第87話 真実を咲かせて




 * * * * *




 デイドリーマーズが魂を食べる理由。

 巨像に喰わせた専用食たちのリスト。

 統括部のサイボーグ化計画。


 秘匿されていた真実やフランチェスカの悪行の全てが、全世界のウォッチャーたちの手に渡った。


「マスターピースが探していた亡霊はこいつか」


 ミシェルから受信した資料に目を通しながらマコトが呟く。

 フランチェスカの記憶は正確だ。いつ、どこで、誰を、何に喰わせたのか。事細かに残されたデータの中に、タマキと鍵をマコトに託して二度と帰らなかった男の名前を見つけた。


「統括部の連中は人知れず脳を義体に移植され、フランチェスカの傀儡にされた。ヴィジブル・コンダクターは亡霊の隠れ蓑だったというわけか」


 包帯が巻かれた胸の中で絶え間なく嗚咽を溢すクロエの銀髪を撫でながら、ユリウスが力なく呟く。

 ミュンヘンのドイツ支部を取り囲んでいた統括部のスナイパーたちは、主と連動したプログラムが焼き切れて全員脳死した。


 人間にとって害あるデイドリーマーズを駆除する。その信念で戦ってきたこれまでを振り返り、急激に虚しさが溢れ出す。


「結局俺たちは、何と戦っていたんだろうな」


 重苦しい空気が流れる中、フィリップの通信ガジェットがけたましく鳴り響く。通信元はアメリカ。本部の円卓で世界の行く末よりも自らの懐の実入りを憂う本部からだった。

 が、フィリップはそれを無視して電源を落とす。恐らく出頭要請だろう。今回の責任を全てフィリップに押しつけ処刑するか、もしくは永遠に日の目を見ることのない無償奉仕をさせられるか。どちらにせよ応じるつもりはない。


「本部から全ウォッチャーに箝口令かんこうれいが敷かれた。彼らにとって、秘密は秘密のままにしておいた方が都合がいいみたい。今まで通りヴィジブル・コンダクターは各国の要請に応じてデイドリーマーズを狩り、国費から多額の報酬を受け取る」

「でも、それじゃあ……!」


 ミシェルが命と引き換えに撒いた種が、根絶やしにされてしまう。


 アーティはユリウスにもたれて泣き崩れるクロエを見やった。

 大罪を犯してまで守りたかった存在を失い、その命の残り火すら掻き消されてしまうなんて。例え報いだとしても、これでは誰も救われない。


「ドイツ支部に残してきたあのヤバイのはどうなるんです?」

「本部が研究材料として預かりたいってさ。死ぬまで調べ尽くされて、そのまま地下の資料庫で持ち腐れるだろうねぇ。これで全てなかったことにされるワケだ。世界は今まで通り視える人と視えない人に別たれて、人知れず白昼夢は続く」


 カタリナの質問に対するフィリップの回答に、全員が言葉を失った。

 真実を秘匿することで守られるのは仮初の平穏と、傲慢な権力者たちの私腹。世界は、何も変わらない。


「だけどボクには、自分が下した決断で失った命に意味を与える責任がある」


 普段の砕けた口調からは考えられないような重みのある声色に、空気がピンと張り詰めた。


「命に、意味を……?」


 クロエが泣き腫らした顔を上げる。彼女もまた、向き合わなければならない命が多くあった。


「全てをなかったことになんてされてたまるか。彼らはボクの信念に基づく馬鹿な選択で死んだんだ。だからその馬鹿を貫き通して、何が何でもデイドリーマーズの存在を世界に周知させる。そのために死んだんだって、いつかみんなの墓標に語りかけられるように」


 意味のない死ほど虚しいものはない。取り戻せないからこそせめて正当性を持たせたい。そのためには生きている者たちがやり遂げる必要がある。志を頓挫する理由を一つずつ潰して血だらけになろうとも、命の上を絶え間なく歩き続けなければ。


「だから、アネット嬢の力を貸してほしい」

「わ、私の……?」


 まさかの指名に戸惑いの声が上がる。平凡な自分では当事者にはなれないと思っていたからだ。

 だが、フィリップの目は本気だった。


「融合体の子どもをアメリカ本部よりも先に手に入れて、真実を開示するタイミングまで保護する。この一件の生き証人になってもらうんだ」

「保護って……正気?」


 強張るアーティの肩を引き寄せて、マコトが眉をひそめる。あれは犠牲になったドイツ支部の職員と、不完全に実体化した偏食種グルメたちの成れの果て。忌むべきものとして葬り去るのが妥当ではないだろうか。


「あいつが死んだら本部はそれこそ好き勝手に事実を改竄かいざんして、都合の良い秩序が保たれるだけだ。だからこそ誰も手出しできない場所で息をさせておくのが一番の劇薬になる。怒りや憎しみはこの際飲み込んでやるさ」

「でも、私にできることなんて……」

「未熟な母体から生まれた未熟な子だ。恐らく母体から切り離されたら長くは生きられない。だからアネット嬢には、本部の追跡を逃れてもあの子が生き続けられるような完璧な器を作ってほしいんだ、情報転写式具現装置リアライズで――」

「ちょっと待ってよ」


 突然の提案を受けて本人以上に動揺したのはマコトだった。堪らずアーティを背に隠し、頭一つ大きいフィリップを見上げる。


「アーティをあいつのところに連れて行くって? そんな危険な真似させられない」

「センセーですら理解できなかった存在を具現化するには、アネット嬢の力が必要なんだ。センセーの奥さんの時のような奇跡をもう一度起こしてほしい。ボクたちにはもうそれしか希望が残されてない」

「でも……!」


 どれだけ詰め寄られようと、フィリップの意思は揺るがなかった。

 異形の子どもが本部の手に落ちれば、真実は完全に葬り去られてまた同じ日常が巡るだけ。取り込まれた多くの同胞、そしてミシェルの命は意味を失う。


「情報は必ず全て開示する。この世界で生きる全ての人に、真実を知る権利がある。そうでしょ、センセー?」

「ッ……!」


 そんな未来を誰よりも望んでいたのは、マコト自身だ。


 奥歯を噛み締めて震えるほど握り込まれて蒼白になった手を、温かな指先が包む。ハッとして隣を見れば、アーティが穏やかな微笑みを向けていた。


「私、やります」

「アーティ……」

「マリーさんとヴァイクさんのこととか、命がけで戦ってくれた人たちのこととか。なかったことになんてしたくない。ちゃんと知ってほしい」


 テトラクラマシーの彼女にも、写真を通して証明したい極彩色の世界があった。

 でも、今は――。


「緑のトマト、ブラウンの信号機、黒いポスト。それに、トーキョーに咲く花、ビンツの花嫁」


 握り締めた指を一本ずつ解いていく。マコトがぶつけていた承認欲求を一つずつ数えるように、ゆっくりと。


「先生がレンズ越しに向き合っていた世界を、たくさんの人に知ってほしいんです。きっとそのために私はこの目を持って生まれて、マコト先生と出会ったんだと思うから」


 満天の星空が乱反射した海のような瞳が弧を描いた。


 目を背けたくなるような現実に幾度となく直面しても濁ることのない、出会った頃と変わらない澄んだ水面。そんな彼女が映す世界で、一緒に生きていきたい。


 アーティを引き止める言葉を飲み込んで、マコトも強張る口元をようやく緩めた。


「アメリカからミュンヘンまでプライベートジェットを飛ばしても最低10時間はかかります。皆様お疲れでしょうし、今夜だけでも休まれた方が良いのでは?」

「さっすがララ様! と言うわけで、出発は夜明けにしよう。各自しっかり休むように! みんな、悔いのない朝を迎えてね」


 全てを出し尽くせるように。

 最後まで言葉にしなくとも伝わる思いに、全員が深く頷いた。



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