第34話 館主人の帰還




 バルト海の水が溢れるドアを、男三人がかりでどうにか閉める。

 移動場所は見知らぬやかたの玄関先だった。

 水浸しになった石畳のエントランスポーチにマコトとアーティ、そしてウォッチャー二人が息も絶え絶えに倒れ込む。


「うひゃ~……超スリリングなアトラクションだったねぇ。さすがのボクもリピートはナシかなぁ。ウェッ!」

「ゲホッ……。何だったんだ、今のは……」


 フィリップとユリウスが四つん這いになって海水を吐き出す。

 津波が迫っているのにドアを開けて外に出た無謀な二人を追ったら、見知らぬ場所に飛び出した。

 不思議と空気が澄んでいて、ビンツとは匂いも違う。もしかしたら助かったと見せかけてあの世なのでは……と、緑葉の瞳が疑い深く周囲を見渡す。


「先生、ここは……?」

「…………」


 同じく濡れ鼠になったアーティの問いに、なぜかマコトは口を固く閉ざした。


 鳥のさえずりに木々の瑞々しい香り。どこかの山の高台にひっそりと建つ洋館のようだった。

 壁や屋根に這うこけつるが目立つが、人の手が届く場所は不思議なほど手入れが施されている。


 小さな庭に建つ木製のパーゴラに咲いた薄紫の藤が風に揺れた。そのすぐ横には、ふもとまで続く細い坂道が敷かれている。車は通行できないだろう。


 その坂道を、クラシカルデザインの使用人服を着た一人の女性が登って来た。


 黒髪は白く清潔なキャップの中にすっきりとまとめられている。足元まで隠す黒いドレス、その上に着たエプロンはキャップと同色でコントラストがより映えた。


 女性は玄関先に転がるやかたの主人を見つけると、その足を止める。


「……あら旦那様、お帰りなさいませ。今回は随分と遅いお帰りですね。とうとう移り気に流されて戻って来ないのかと思いました」


 彼女は玄関先で水浸しになって倒れ込む四人を見ても特に驚くこともなく、マコトに向かって淡々と頭を下げた。

 だがうやうやしい態度とは裏腹に、言葉の隅々すみずみに妙な棘を感じる。


「長い不在でが大変心細くされています。さぁ、その無駄にお美しいお顔を見せて安心させて差し上げましょう。ああ、それよりお風呂が先ですか? お客様のお部屋も用意しないと……はぁ、めんどくさいですねぇ」


 随分と素直でおしゃべりな使用人である。

 しかし口調は平坦で、棒読みと言ってもいい。主人を前にした態度とは到底思えない。だが、それよりも……。


「お、奥様……?」


 聞き慣れないワードをぎこちなく反復するアーティ。


 奥様……人様の奥方、もしくは女主人。後者の可能性もあるが、答えを教えてくれる者はいない。何せマコトもだんまりなのだ。


 すると女性は、頭から水を被った四人のみすぼらしい姿とずぶ濡れになった玄関先を改めて見渡した。

 そして深く、それはそれは深く溜め息を吐く。今後の後始末を憂いているようだ。


「ハァ~~~~~~……。ああもう、本当に旦那様はろくなことをなさらな……――し、潮水しおみず!? ぎゃああああああああ塩分過多!! パフォーマンスアビリティ60%まで低下!! キケン、キケン! 無事に夕食にありつけると思うなよこのクサレご主人様!!!」


 それまで感情の起伏が少ない印象だった彼女は、石畳を濡らす正体が海水だと知った途端に発狂した。

 幾何学的な模様を浮かべた虹色の瞳から透明なオイルを溢し、マコトを指さして「ひとでなし」「最低浮気男」「加虐趣味変態主人」などと、散々になじる。



 彼女は家政専用量産機LA2-C型、通称ララ。

 主人であるマコトとやかたの眠り姫に仕える、生産終了15周年の旧式ヒューマノイドだ。






『怪物の花嫁』―完―



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る