第29話 星に願いを
「あはっ、参ったなぁ~」
「本当にろくなことしないですね、あんた……」
心底呆れた様子のユリウスが満身創痍のフィリップをじとりと見つめる。それに関してはマコトも心の中で激しく同意した。
「こういう状況だから一応言うけどさ――頭吹き飛ばされたくなかったら、このまま見逃してくれない? 明日は大切な仕事があるんだ」
「だってさぁ、ユーリ~」
「……始末書はそっちが書いてくださいよ」
ユリウスがアサルトライフルを床に放るのを確認して、マコトは硝煙が残る方の銃を下ろす。
一方で紺色の頭へ銃口を向けたまま、苦々しい顔で睨む忠犬の足元にマイクロチップを投げた。
「そこのデータベースにアクセスしてヴァッサーガイストの調査結果を転送しろ、今すぐに」
「なぜ貴様に情報を渡す必要がある」
「いいの? 脳が損傷したらサイボーグ化もできないけど」
引き金はマコトの手に握られている。銃口がフィリップの頭へグッと押し付けられた。
ユリウスは大きな舌打ちをすると、苛立った手つきでチップを拾い、ガジェットを操作する。
短時間の調査だったが、地元の新聞社やテレビ局を
例の水没事故以前から、この街では不可解な水難が続いている。特にここ15年ほどはその頻度が凄まじい。デイドリーマーズが関与しているのは火を見るより明らかだった。
そして、目の前の男が言う「大切な仕事」とは、その根源と繋がりがあるのだろう。
情報をみすみすリークすることのリスクがどれだけあるのか、この状況では計り知れない。だが、変態でも上司は上司。
それにユリウスには、フィリップに対して返しても返しきれない個人的な恩がある。
データ送信が完了した画面をマコトに見せると、ようやく銃口が頭から離れた。
マコトが「ありがとう」と軽く礼を言うと、緑黄の瞳がキッと鋭さを増す。
銃を手放すことなくユリウスの横を通り過ぎ、正面扉へ向かった。
二人が微動だにしないのを確認して、ようやく拳銃を屋外の用水路に投げ捨てる。
そしておもむろに、右手を高く掲げた。
「…………!」
割れた眼鏡の奥、アレキサンドライトの瞳が大きく見開かれる。
情報提供のちょっとした礼だ。エネミーアイズはそれ以上何も語ることなく、闇夜へ消えた。
一方、残されたフィリップは興奮で
自らの仮説を裏付けする貴重な証言を噛みしめ、
「あはっ、うひゃ、アハハハハッ!」
「とうとうぶっ壊れたんですか」
穴だらけの廃教会に響く愉快な笑い声。撃ち抜かれた脇腹を抱えて一人笑い転げる男に、ユリウスは冷めた視線を向けた。
動けば動くほど血だまりは広がるというのに、フィリップはのたうち回りながら
「あひゃ、うひぃっ……はぁ~~~ッ。笑い死ぬかと思ったぁ」
ようやく気が済んだ狂犬が、涙目をこすりながらユリウスに指示を出す。
「ユーリ、ドイツ連邦に協力要請を」
「ドイツ連邦?」
討伐要請の発布を管轄しているヴィジブル・コンダクターの統括部ではなく、なぜドイツ連邦なのか。その問いにフィリップが
「ビンツの怪物を討伐する許可を、首相から直接
「許可も何も、実害が出ているんだから現場で対処するのは当たり前じゃないですか」
「そうなんだけど、そうさせたくない連中が内部にいるってことさ」
「は……?」
「街でこれだけヴァッサーガイストが頻発しているのに
未知の存在と対峙するウォッチャーは命の消耗が著しく、人員の入れ替わりも激しい。常に人手不足な実働部隊が世界中の怪異にくまなく目配せするのは困難だ。
そのため各地に散らばる調査員が情報を集め、ヴィジブル・コンダクター本部へ集約される。そしてフランチェスカが所属する統括部で精査された後、各支部へ討伐要請が発令されるのだ。
それにもかかわらず、フィリップたちは実際にビンツへ足を踏み入れるまで、この街の悪夢を知らなかった。
まず疑うべきは調査員の怠慢。しかし話を聞いた彼らはきちんと情報を保持していて、ユリウスへの協力を惜しまなかった。となれば、残るは――。
「ユーリ、これから起きることをよく見ておくといいよ。人間だって、怪物になれる」
そう語る男が見据えた暗闇に潜むのは怪物か、それとも人間か。
その答えと対峙する瞬間が、刻々と近づいていた。
* * * * *
「ふぁ~、食べた~っ!」
五つ星ホテルの料理を堪能してお腹が膨れたアーティは、食後の散歩がてら海辺の広場へ向かった。
天然の焼き魚なんて食べたのはいつぶりだろう。
温暖化と海洋ゴミの影響で世界的に漁獲量が激減してからは、養殖細胞で再現した
夜風を浴びながら広場のベンチに座り夜の海を眺めていると、遠くからふらりと揺れる人影が歩いてきた。
プロムナードの街灯に照らされた青白い横顔に気づき、アーティが慌てて駆け出す。
「先生!? どうしたんですか!?」
「アーティ……。犬と遊んでたら、こうなった」
「そのワンちゃんはケルベロスか何かです?」
神が与えしサスペンダーはぼろぼろになったシャツからずり落ち、頬には乾いた血がこびりついている。相当やんちゃな犬だったらしい。
だがこれ以上追求する言葉を、アーティはまだ持ち合わせていない。危険から遠ざけるためにわざとレストランへ誘導されたと、わかってしまったから。
おぼつかない足取りのマコトに近づくと、彼は力尽きたようにアーティにもたれかかった。
急な接触に「ファーーーーッ!?」という、相変わらずの奇声が上がる。
長距離移動に車酔い、空腹、そして先の戦闘でマコトの体力は限界だ。
「もう疲れた。アーティの丸焦げキッシュ食べたい……歯が砕けるくらいカッチカチのやつ」
「んぐぅ」
胸にクるものを噛みしめ、アーティは
ヤンデレに片足を突っ込みかけたアーティに、マコトは全体重を預ける。
「じゃあ、あとよろしく」
そう言い残して、全身ボロボロの男は静かに寝息を立て始めた。
生気のない顔色を街灯が照らす。傷だらけになった均衡の取れた相貌に、アーティは無性に泣きたくなった。
「守るか頼るか、どっちかにしてください、先生……」
そっと零した独り言は、きっと今のマコトには届かない。
ひたむきな少女が彼の痛みを分かち合うには、もう少し時間が必要だ。
二人を見下ろす星空は晴天。
明日はきっと素敵なウエディングフォトが撮れる。どうか、撮れますように。
胸騒ぎが止まらないアーティは、満天の星空へそう祈るしかなかった。
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