第5話  スペシャル・キッシュ~暴食猫のビートを添えて~




 公園で買ったもう一個のバケットサンドはとうとう手を付けられることなく、同居猫の胃袋に収まった。


 猫の名前はタマキ(♂)。

 半野良だが、ご飯の時間になると必ず帰ってくるちゃっかり者だ。


「3ユーロの晩ご飯なんて、あいかわらず贅沢猫さんですね~」

「何言ってるの、これ前菜だから。毎晩手作りフルコース要求してくるよ」

「どこのお坊ちゃんですか」


 短い足に丸い顔。黒い中長の毛におおわれた身体は、一般的な猫よりも一回り大きい。見た目の通り中身もぎっしり詰まっている。

 ちなみに理解しているのかどうかは不明だが「重い」「デブ」などと言うと、百発百中で噛まれるので注意が必要だ。


 タマキは定位置である出窓スペースで、前足と牙を使い器用にパンを食べた。


「うみゃ、うんみゃいっ、うみゃみゃみゃみゃ」


 人間の言葉で訳すなら、「うまい」だろうか。ハムをペロリと平らげて至福の声を上げている。


 彼は食事の時だけにゃんごろと擦り寄って来るが、普段は触ると容赦なく引っかくし、写真を撮ろうにも必ず変顔をかます。

 可愛げがないのに存在しているだけで可愛いとは、すさまじい矛盾だが羨ましい。


「さて、そろそろ俺たちも始めようか」


 妙に含みを持たせてマコトが宣言したが、夕飯作りのことである。

 公園からの帰り道にたっぷりと買い込んだ食材をキッチンに広げて、二人並んで調理を開始した。人間と猫様のためのスペシャルディナーだ。


 そう、マコトはぐうたらしているが料理ができる。何ならパリの一番街に出店できるレベルだ。


 それなのになぜ押し掛け女房のような専属シェフを招いているのか、その理由は……――。




* * * * *




 一時間後、色鮮やかな料理が食卓に並んだ。


 前菜は季節野菜のテリーヌ。トッピングはワサビソイソースだ。

 珍しく安価で手に入った疑似サーモン(養殖細胞で作られている)を余った野菜と和え、クラッカーに乗せる。テーブルがぐっと華やかになった。

 片手間でパパッと作ったジャガイモのガレットに、トロトロに煮詰めたオニオンスープ。そして牛すじのワイン煮。隠し味に入れたハチミツで、味をまろやかに。ここまでがマコトのメニューだ。


 贅沢猫の分は小皿に分けて、出窓へ移動させた。

 タマキは基本的に食べ物であれば何でも食べる。普通なら中毒になる食材でもお構いなしだ。


 まん丸な黄金の目を輝かせ、暴食の権化はカナッペのサーモンにかぶりつく。

「うんみゃぁ~~~!」と恍惚に染まった高音の鳴き声が響いた。


 そんな素晴らしい夕食の席のど真ん中に、黒い円盤が鎮座している。鈍器のたぐいではない。

 皿に乗っているということは恐らく食べ物なのだろうが、その全容がまったくわからない未知の存在だ。


「えへへ、生焼けが心配でいっつも焼きすぎちゃうんですよね~。でも中身はたぶん無事だと思うので、いっぱい食べてください!」


 アーティが愛らしい頬を染め、コテン、と小首をかしげて笑う。何を根拠に無事を語っているのかは謎だ。


 カッチカチの焦げに包まれたその物体は、フランスの家庭料理の一つ、キッシュである。

 容赦ない火加減により、トッピングに乗せたアスパラガスは炭になった。


 なんとなくお気づきだろうが、マコト専属シェフのアネット・フォン・ペルティエは、殺人料理人である。

 メシマズヒロイン属性と言えば可愛いらしいが、彼女の作品はとうていその枠に収まらない。

 生物の血肉となる食材でなぜ殺傷能力の高い殺人料理を生み出すのか、もはや神秘だ。


 食べ物であれば何でも胃袋に入れるタマキですら「これはちがう」と本能が察しているらしい。料理中のアーティを延々と威嚇するのが彼の習慣だ。

 今日もおなじみのBGM『フシャーッ! <作詞作曲:タマキ>』がフルサイズで流れていた。


 そんな発癌性が高そうな暗黒キッシュを前に、美しい双眸そうぼうを輝かせる男が一人。




「やっぱりアーティは天才だ……! どうしたらうちのおんぼろオーブンでここまで芸術的に焦がせるの!?」




 初めて火を目にした人類も、こんな風に興奮したのだろうか。

 普段クールなマコトからは想像できないほど、テンションがぶち上がっている。


 彼の名誉のために言っておくが、けして馬鹿舌なわけではない。むしろその逆で、舌が肥えすぎた結果、完成された味に飽きてしまったのだ。なんとも贅沢な話である。


 食事に一切の興味を失ったマコトは、フランスパンと牛乳というシンプルメニューをエンドレスループしていた。

 そんな退屈な日々を過ごす中でついに出会ってしまったのだ。精神を色々な意味で崩壊させる、禁断の味に――。


「すごい……! 外側は真っ黒なのに中は生焼けだ! 今日もイイ感じに火加減バグってるね!?」

「そんなに褒められたら照れます~!」

「フィリングはホウレン草と玉ねぎかな? コショウかけすぎ! 舌がしびれるっ! 辛いのに焦げが苦い! 食べ物なのに口の中が痛いとか意味わかんない! 新・感・覚!」


 色違いの目をキラッキラに輝かせて、自ら進んでキッシュダメージを食らっていく。

 そんな同居人の様子を眺めるタマキが「変態野郎」と目でさげすんだ。


「今日はデザートも作ったんですよ!」

「神なの……!?」

「マコト先生の専属シェフでぇす!」


 とんでもない茶番だ。


 冷蔵庫から運ばれてきたのは、可愛らしいココットプレートに盛られた、青紫の臓物らしきもの。口に入れてはいけない見た目をしている。


「このプルプルしたのはゼラチンです! 青いクリームは……なんか気づいたらこうなってました!」


 食べ物で臓器を作る神の手が生み出すクリームは、青くなるらしい。


 モンスターの創造主は何の気なしにスプーンでそれをたっぷり掬い、マコトの口元へ差し出した。

 腕によりをかけて作ったのだから、これくらいの役得はあっていいだろう。


 銀のスプーンの上で揺れる異物を、形の良い唇が静かに迎え入れた。

 美しい横顔にミスマッチなゲテモノとコントラストが神々しい。

 アーティは幸せの絶頂を迎え、思わず「はぅあ……」と感嘆の溜息をこぼす。


「…………」

「ど、どうですか、先生……?」

「……びっくりするくらい、無味」


 逆にすごい。


 感動したマコトがお代わりをせがむ様子に呆れたタマキは、大きなあくびを零したのだった。



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