エピソード6『火焔剛士と万屋皐月』

【第83話】火焔剛士と万屋皐月①


 火焔剛士と万屋皐月は両思いである。

 両片思いではなく、完全なる両思いだ。


 かつて――アダン撃破の数日後に、こんな一幕があった。


『剛士くん! あなたの事が好きです! だから私と……付き合ってください!!』

『……あー……』

『あー……って……ひょっとして、駄目……だった……?』

『いや……そうではなく……先に言われてしまったなぁ……と思って……』

『先に? って事は……』

『まぁ……そういう事だ……。オレもではあるって事だな……』

『え!? そ、そうなんだ……! じゃ、じゃあ――』

『だけど――になるのは、ちょっと待って欲しい』

『…………何で……? 私と……恋人関係になるの……そんなに嫌かな……?』

『そ、そうではなくてだな! その……アレだよ……オレとしては……と、思ってるから……と……思ってるから……』

『え? そ、その気持ちは嬉しいけれど……でも私の志望大学って、結構難関だよ……? 馬鹿な剛士くんでは、難しいんじゃ……』

『ダイレクトに心抉ってくる事を言うなよ……それがたった今、告白した相手に対して言う言葉か?』

『で……でも、本当の事――だから……』

『……まぁ……だよな……。けど……――挑むんだ……』

『え……?』

『オレは、お前と肩を並べた状態で付き合いたいんだ。だからオレは……この高い壁を乗り越えたい。死に物狂いであと一年、勉強を頑張るから。まで……その……待っててくれねぇか?』


 剛士は言う……。

 決意の籠った表情で――言う。


『オレがその高い壁を乗り越えた時――――胸を張って、今度はオレから……から……だから……』

『分かった』


 皐月は即答だった。

 即答で頷いた。


『待ってる』


 こうして……二人の恋の延長戦は始まったのだ。

 始まり……そしてまだ続いている。

 しかしようやく……終わりが見えて来た。

 長かった延長戦の終焉は……すぐそこまで迫っていた。



 時は一月一日――


 第一次試験を約二週間後に控えたこの日。

 剛士は万屋家に足を運んでいた。

 時刻は十二時……約束の時間ぴったり、インターホンのボタンを押す。

 ピンポーンという音がする。すると家の中からパタパタと、何者かが歩く音がして、ガチャリ……と、玄関の扉が開かれた。


「偉いね、流石は剛士くん。約束の時間ぴったりよ。ぴったり賞を与えたいくらいだわ」


 出て来たのは、皐月だった。

 今日会うと約束をしていた――剛士の好きな人。

 皐月は既に、出掛ける気満々といった佇まいで、インターホンを押した人物が剛士である事を確認すると、玄関の扉に鍵をかけ、鍵をバックの中に仕舞った。


「もう出掛けられるのか?」

「うん、太陽も月夜も初詣で疲れて寝ちゃってるからね。用事も済ましたし。いつでもどこへでも行けるよ」

「準備が良いな」

「そりゃ久しぶりの剛士くんとのデートだもん。一秒でも無駄にしたくなかったから」

「……そうか……悪いな……」

「謝らなくて良いから。さ! 行こう!!」


 皐月が剛士の手を取り走り出す。


 二人はこの一年――我慢をしてきた。


 会ったとしても殆どが剛士の家であり、外で会ったのは待ち合わせのコンビニ程度。

 例外は、千草と静の暴走族の一件だが……あれを流石にデートとは呼べない。

 だから実に一年ぶりのデートな訳である。


 普段は落ち着き気味の皐月が、まるではしゃぎ回るのも無理のない話なのだ。


「ねぇねぇ剛士くん! どこ行くの?」

「どこに行くかは決めてねぇよ。お前の好きな所へ行こう……今日一日……いや、夜までだから半日か……半日はオレの時間を皐月にやるよ」

「本当に!? やったぁ! じゃあさじゃあさ! 私久しぶりに剛士くんに服選んで貰いたい!!」

「お、懐かしいな。受けて立とうじゃないか」

「それとね! 美味しいオムライス店があるのよ! 一緒に行こう!!」

「オムライスか。良いな」

「後ねあとね! 月夜から聞いたんだけど、美味しいクレープ屋もあるんだって! そこにも行こう!!」

「糖分補給は大事だよな」

「あと、正月言えば福袋だね!」

「新年最初の運試しと洒落込むか」

「うわぁー! 嬉しいなぁー!! 剛士くんと色んな事が出来る!! 楽しみだなぁー!!」

「…………ああ……」


 強くてを引っ張られながら、剛士は小さく呟いた。


「オレも――――だよ……」


 こうして……半日という僅かな時間を、久しぶりのデートを……二人は満喫した。

 全力で案を出し、全力で動き回り、そして――



 全力で……楽しんだ。



 そして……日が暮れる。

 時計の針は十八時半を過ぎていた。


 歩道橋の上で、ライトが点る車が次々と通り過ぎて行くのを見つめながら、満足そうに皐月が言った。


「あー! 楽しかったぁー! 剛士くんとのデートは、やっぱり楽しいなぁー!!」

「……ああ……オレも、凄く楽しかったよ……」

「んー? 本当にー?」

「ああ……本当だ」

「うふふっ、そっかそっか、なら、今日一日全力で遊んだかいがあったなぁー!」

「オレも、良い一日になったよ……」


 そう言う剛士の表情は険しかった……。

 当然、皐月がそれに気付く。


「ねぇ……剛士くん」

「……何だ?」

「わざわざこんな感じでさ……私に時間を作ってくれたのって……意味があるんだよね……?」

「……ああ……」

「その意味……教えてくれる?」


 剛士は、暗闇に抗うように光を灯している街へ目を向けながら、静かに口を開いた。


「再確認の為だ……」

「再確認?」

「ああ……、オレは今勉強を頑張っているのかを――――そのを、見失わない為に、な……」

「ふむふむ……で、どうたった?」

「…………」

「理由――再確認出来た?」


 「ああ……」剛士は笑った。そしてこう続ける。


「やはりオレは――皐月、お前とずっと一緒にいたい。今日みたいに楽しい事を、死ぬ迄、続けていたいと思った」

「死ぬ迄って……相変わらず剛士くんは大袈裟だなぁ」

「だけどそれと同時に……も知れた」

「え……」


 剛士は言う。


「たった今日半日……お前とデートしただけなのに……決心が鈍りかけちまってるんだよ……。『勉強なんてせず、毎日こうやって遊びたい』とか『深い事考えずに、残りの高校生活をエンジョイしよう』とか『受験合格後なんてまどろっこしい事は言わず、今すぐをしちまえば……』とか……色々とな……。改めて……オレの意志が弱いって事も、再確認出来たよ」

「そんな事ない!」


 皐月がそれを否定する。


「そんな事ないよ! 剛士くんの意思は弱くなんてない!! ここまで頑張って来たじゃん!! 残りの高校生活っていう青春を捨ててまで――勉強してきたじゃない!! そんな剛士くんの意思が――弱い筈なんてない!!」


 そう否定する彼女の目には、涙が浮かんでいた。

 剛士はそんな可愛らしい女の子の頭を、優しく撫でる。


「ありがとう皐月……そう言ってくれて、嬉しいよ」

「何度でも言うわよ……私は……剛士くんは凄いって……立派だって……」

「うん……ありがとう……」


 「けどな?」剛士は続ける。


「こんな風にお前の頭を撫でてる今も……オレの決心は揺らいでしまってるんだよ……。今だけでも……今日だけでもない……お前が、料理を作りに来てくれる度に……お前の顔を見る度に……お前の声を聞く度に……心が……折れそうになっちまうんだよ……」


 剛士もまた……辛そうな表情をしている。


「オレは何で…… って……オレが青春を捨てれば……必然的にだろう……? そんな馬鹿なオレの頑固さに付き合ってくれてるお前が……オレは愛おしくて仕方がないんだ……」

「……剛士くん……」

「だからな……? 皐月……お前がを埋め合わせる為に、無駄にしない為に――――オレは必ず、試験に合格しなくちゃいけないんだ」

「……うん……」

「だから皐月…………お前とはもう、会わない事にする」

「……うん……」

「受験が終わるまで、皐月への全ての想いを封印して……それをエネルギーに変えて、勉強しまくる。そして必ず――――合格してみせるから!!」

「……うん……」

「それまで…………我慢しててくれるか……?」

「……うん……分かった……我慢する…………」

「……ありがとう……」

「その代わり……絶対だよ……? 絶対に――――合格してよ!?」

「もちろんだ」

「合格しないと……許さないからね!」

「ああ――――望むところだ」


 こうして剛士は、受験戦争という戦場を……ここから先、独りで闘う事となり。

 皐月はそれを承諾した。

 承諾したくはないが……承諾した。


 剛士の意志を尊重したのだ。


 彼の事を……心の底から信じ、託したのである。


 自分と……剛士の――――幸せな未来を……。


 この決断が吉と出るか凶と出るかは………になるまで、分からない。

 何故なら未来の事など……誰にも、分からないものなのだから……。

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