【第76話】泡水透士郎と万屋月夜⑥


 月夜は、寂しがり屋である。

 いや、寂しがり屋という言葉では足りない。


 月夜は、孤独を酷く恐れている――と言うのが正解かもしれない。


 そんな彼女のルーツは、幼い頃、両親を失った事にある。


 物心がつく前に、愛していた……愛を与えてくれていた両親の喪失。

 その、胸にポッカリと大穴を開けた喪失感は――月夜に、大切な人を失う事の恐怖を刻み付けるのは充分だった。


 そんな月夜を支えて来たのが、姉である皐月と兄である太陽だった。


 自分達も辛かった筈なのに……姉として、兄として、二人は妹である月夜を、精一杯支えてくれていた。


 月夜は知っている――そこに大きな愛情がある事を。


 かつてのアダンとの闘い。

 月夜が参戦したのは一番最後だった。

 そうなったのは、皐月が太陽が、最後の最後まで……月夜を危険な戦いに巻き込まないように、立ち回ってきたからだ。

 大切な妹を――危険な目に、合わせない為に。

 愛する妹を――守る為に。

 月夜はそれを理解している。


 だから月夜は――今の家族が大好きだ。


 姉である万屋皐月が。

 兄である万屋太陽が。


 大好きなのである。


 けれど……そんな姉や兄が、いつまでも傍には居てくれない。

 月夜の唯一にはなり得ない。


 彼女は薄々、それを実感していた。


 皐月の剛士に対する恋心の芽生え……。

 太陽と愛梨の関係性を目の当たりにした事で……。


 二人を失ってしまうかもしれない恐怖が、月夜を襲った。


 当時の愛梨に対する強い敵対心は、その恐怖が要因だったのだろう……。

 まだ不安定だった月夜の精神では……誰かに気持ちをぶつけなければ耐えられなかったのだろう……。


 さて――

 そんな不安定だった月夜に、安定をもたらした男がいた。



『オレが、太陽の代わりになる――それじゃ……ダメかな?』



 この時から……は始まっていた。

 それからその男と会う度に、その男の事が好きになっていった。


 姉や兄に匹敵する程――いや、それ以上に――――大好きに。


 彼なら――私の唯一に……。


 そんな希望を持ち始めた頃。

 海外で暴れる【霊騒々】――ポルターガイスト討伐の話が持ち上がった。

 正直――何で今なのよ! と思った。

 思ったが……断る事など出来なかった。


 大切な人がいる――この世界を守る為……。

 そして……孤独を恐れる自分自身のように――……。


 月夜には、闘いに行く以外の選択肢は有り得なかったのだ。


 例え……唯一となり得る人との関係が――――途絶える事となったとしても……。


 さて――そして今日は、いよいよ出発の日。


 月夜が海外へと立つ日である。

 舞台は空港。

 そこで、『日本超能力研究室』のメンバーである、犬飼と猫田と合流する手筈となっている。


 ごった返す空港内で、キョロキョロと二人を探していると。


「月夜ちゃーん!!」


 と、声が掛けられた。

 女性の声だ。


「猫田さん!」

「久しぶりぃー! 元気にしてたぁー!?」


 振り返りざまに思いっきり抱き着かれ、身体のあちこちを撫で回され、少々面食らった月夜だったが、彼女としても猫田達と再会出来た事は嬉しい事ではあるので、すぐに気持ちを立て直し「元気でしたよ」と返答した。

 白衣に身を包み、見るからに研究者の風格を見せつけるこの女性の名前は――――猫田又旅ねこたマタタビ

 又旅は言った。月夜を強く強く抱き締めながら言った。


「ごめんねぇー! アダンとの闘いが終わって、ようやく青春してるって時にぃー、こんな風に呼んじゃってさぁー! 本当にごめんさぁーい!」

「良いんですよ。私の力は、こういう時の為にあるんですから」

「出来るだけ早く終わらせるから! 許してね?」

「許すも許さないもありませんってば。やるからには、全力を尽くすつもりです」

「月夜ちゃん……カッコイイわぁ……全身を舐め回したい……」


 うっとりとした目を向ける又旅。

 この人はこの人で変態そうだった。

 本当に全身を舐め回されそうだと危機感を覚えた月夜は、話を逸らす。


「そ……それより、犬飼さんは?」

「…………」

「? 猫田さん? 犬飼さんは? 一緒に待ってるって、兄貴から聞いてるんですけど……?」

「……あー……いるには、いるんだけどぉ……そのぉ……会わない方が良いと言うかぁ……一緒にいると、恥ずかしいと言うかぁ……トイレで籠ってもらってると言うかぁ……」

「はい? 一緒にいると、恥ずかしい……?」


 どういう事だろう? と、疑問を抱いたが、この数秒後……その犬飼との再会を果たし、月夜はその言葉の意味をちゃんと理解する事になる。


「久しぶりだな……万屋月夜……」


 そんな訳で、話題の男――――犬飼市一いぬかいイチイチと再会。

 「あ、犬飼さん、お久しぶりで……っ!?」振り返り、市一の姿を見た瞬間――月夜は絶句した。

 というより、驚愕した。

 月夜だけではなく、空港内にいる他の一般人達も、彼の姿を見てザワついている。変な人がいるといわんばかりに注目を集めている。

 何故か?


 白衣とその下に着ているスーツの前後ろが反対だからだ。


 つまり……本来背中側に来る筈の部分が、前側にきており。

 ネクタイやボタンなど、本来前にある部分が、背中にきているのだ。

 早い話が、全てを逆にきているのである。


 背中側に垂らされているネクタイは、どのように装着したのだろうか? と疑問が浮かびつつ、絶句する月夜。

 逆に、結ぶの難しいだろう……と。


 又旅の「恥ずかしい」という言葉の意味を理解した月夜だった。


「どうやら彼……朝寝坊しちゃったみたいでぇ……慌てて着たらあんな風になっちゃったみたいなのぉ……申し訳ないけどぉ……笑わないであげてねぇ……彼、アレで至って真面目だからぁ……」

「笑えませんよ……」


 ヒソヒソと話をしている二人を見て、首を傾げる市一。


「何をヒソヒソと話しているんだ……? 二人とも……。悠長に話をしている場合ではないぞ……。さっさと、一秒でも早く終わらせて……万屋月夜……お前は青春へと戻るべきなのだからな……」

「はい……」


 カッコイイ事を言われても、いまいちカッコ良さが伝わらない。

 その白衣とスーツの着こなし方のせいで。


 「ついて来い」市一が、あべこべなスーツ姿を翻し、ツカツカと歩き始める。


「行こっ! 月夜ちゃん!」

「は……はいっ!」


 又旅に引っ張られ、月夜達も歩き始める。


(いよいよ……出発、かぁ……)


 月夜は思いを巡らせる。


(平気だとは思ってても……いざ、その時が来ると名残惜しくなっちゃうな……兄貴や皐月姉とは、今日お別れ出来たけど……やっぱり……伝言なんて頼まずに……直接……言えば良かったなぁ……)


 思い浮かぶのは……想い人の顔だった。

 思い浮かべると、胸が苦しくなってしまう。

 別に一生会えなくなる訳では無いのだから――と、自分に言い聞かせるも……それでも、暫く会えなくなるのは辛いのだ。


 辛くて辛くて……。


 寂しい。


 けれど――ここまで来たらもう引き返せない。

 この選択をしたのは自分なのだ。


 だからもう、後ろは振り返らない。


 ここから先の自分に出来るのは――一刻も早くこの一件を終わらし、一刻も早くこの国へ帰ってくる事だけだ。

 それは分かっている……。

 分かっているのだが――――


(会いたいなぁ……)

(一目、顔が見たかったなぁ……)

(一声……あの優しい声が聞きたかったなぁ……)


 そう……思ってしまう。

 

 月夜は侮っていた。

 よもや、彼の存在が自分の中で、ここまで大きい存在になっていた事実を……見誤ってしまっていたのだ。


 会いたいと胸が苦しくなる程に……。

 あの声が聞きたいと胸が締め付けられる程に……。

 『月夜ー!』と、が聞こえる程に……。


「月夜ー!!」


 幻聴が……。


「待て! 月夜ーーっ!!」


 幻聴……否――



 は――――


「月夜ーーーーっ!!」


 月夜が振り返ると、そこに――――


 愛しい人――――ここにはいない筈の、姿のだ。


「え……? な、何で…………」


 月夜の足が止まる。

 彼の姿を見た事で、心臓が高鳴る。

 身体は火照り。目頭が熱くなる。


「何であんたが……ここに居るのよ……」


 対して透士郎は、乱れた息を整えつつ、少しずつ言葉を繋いで行く。


「白金に……聞いたんだよ……今日、出発だって……。酷い、じゃねぇか……伝言で済ませるだなんて……オレからも、一言、言わせてくれよ……」

「え……?」


 そう言って透士郎は、息を整え、膝についていた手を下ろし、ゆっくりと……月夜を見据えた。

 そして一言――


「月夜――――







 オレはお前が好きだ――愛してる。この一件が終わったら……一緒に暮らしてくれないか?」

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