絶一門

赤川凌我

第1話 絶一門

絶一門

彼には精神がない。そうは言っても、何も生きていない訳ではないし肉体や顔面はある。彼には主要な哲学がない。趣味趣向も流されたものであるし、特に何かに愛を持つ事はない。性欲はあったので恋人はいる。しかし人間にとって中核となるものが欠如しているのだ。彼は21世紀末の意気軒昂としている日本を半ば鳥瞰図的に俯瞰していた。彼という存在は急速に発達した現代文明によって生み出されたものなのか、或いは何らかの発達遅滞によって引き起こされたものなのか、諸説あるが現在ではその原因は断定には至っていない。彼自身も自分の事を周囲に敷衍するという行為を行わなかったので真相は依然として闇の中にあるのである。麻雀で言えば肉体を萬子、顔面を筒子となぞらえた場合、索子に相当する精神が抜け落ちているので日本の紳士たちは彼を絶一門と呼んだ。そして現在ではその呼称が定着し、もはや彼の名前は完全に忘却の彼方に消えうせ、記録上でも彼の名称は絶一門という名が支配的になっている。したがって私はここから先彼を絶一門と呼ぶ事にする。これは便宜というよりもむしろその方が私にとっても自然だからだ。

彼は和歌山の田舎に生まれた。出生は確か平成の末期だろうか、彼は幼い頃から普通の子供ではなかった。神童とも教師や生徒の保護者から呼ばれていた程の特殊な児童であったのだ。彼は出生してから3歳までは寡黙な人物であり、滅多に笑ったりしなかったと言う。彼は周囲の自然や人間を注意深く観察していた。瞬きもせず大きな瞳で周囲を凝視する彼の事をまるで警察官のようだと言う大人もいた。衝撃的だったのが彼の両親が喧嘩をしていた時赤ん坊同然の体格だった絶一門が彼らの仲裁に入ったという逸話だ。これは本当かどうかは分からない。しかし伝記作家が彼の特異性を居丈高に発信する為には好都合な逸話であったため、現在では日本人一般に流布していると言った次第である。

「絶一門は奇妙な子供だったよ。身動ぎせずに周囲の騒然とした様子を無言で見つめていたんだ。それだけなら別に極端に異常とは言えないんだろうけど、慄然とすべきは彼が英語をあの3歳までに日本語よりも明晰に理解していた事なんだ。インターネットなどで外国の情報を見ていたんだ。普通年年端もいかない児童はそんなことしないでしょう?タイピングもあの頃には円滑に出来ていたね、恐ろしい子だよ」

絶一門の母方の叔父にあたる人物は当時の彼の事をそのように語っている。

また「彼は4歳になった頃には突如多弁で社交的な人間に変貌したんだ。周囲も驚愕するような博識と当意即妙な知恵。彼は幼稚園の中でカリスマ的な人気を誇るようになっていたんだ。それに周囲を頻繁に欺くようになったしブラックユーモアも忌憚なく言うようになった。正直言ってガキの発想じゃないような事をしていたし、言っていたね」

しかし周囲の人間はそれでも絶一門にれっきとした精神がないとは思わなかった。彼自身演じていた節もあるのだろう。しかし内面は非常に空虚でいつも同じ時間に同じ事をして、特に好き嫌いをする事がなく清濁併せ呑む経験をしていったのだ。どんな事にも彼は物怖じせず挑戦していった。しかし限られた人生、全ての物事に挑戦する事は理論的に不可能である。彼はその点利口でスポーツなんてものはナンセンスなものだと捉え、運動能力そのものは知力と同様に不世出のものであったのだが率先して周囲の児童のスポーツに参加する事はなかった。精神がない、とは誇張である。絶一門にも性欲はあったし、知的好奇心もあった。しかし彼はそれらを支える精神的主柱がなく素直な彼の友達は彼に独自的な軸がない事を機敏に看破し、彼から離れていった。子供の知性というのも馬鹿にはならない。ノイズに相当する雑念がないだけその知性は純粋かつ神聖なものである。

「絶一門は、かなり幼稚園時代にトポロジーや特殊相対論などを理解していたようです。またその頃独自に偏微分方程式の着想を得ていたし、万有引力の重力定数も既に証明したとかで知っていました。しかし周囲に彼に見合った人間はいないようでした。彼は孤独でした。小学校低学年まではずっと孤独だったと思います。しかし周囲の教師連中をはじめとした大人達は彼の才能を絶賛し、これから先の日本における希望であるとみなす人物も相当数いたようです。とある心理試験によると彼は演技を度外視した性格や頑迷固陋さが全くありませんでした。IQも500で当時世界トップクラスに高かったのですがどの分野にも特筆すべき偏りは見られず、臨床心理士達はこのような児童は前代未聞だと吃驚仰天していました。どこにも精神に異常がなかった子供時代に彼が精神科でそのような検査を受けたのは他ならぬ彼の両親の彼への期待に相違なかったのですが、彼の結果を受けた事で彼の両親は彼を人間として扱わなくなりました」小学校時代の絶一門の教師は何故だか気丈そうに当時の事をそのように熱弁した。どうやら彼の長いキャリアの中で最もエンターテインメントらしい奇想天外な経験はそれだけだったのだろう。私は凡人の通俗心理を垣間見た気がした。

私は絶一門を本当に空っぽな人間と定義してしまって良いのか、判然としない。彼に関わった人間が開口一番に彼には精神がないというような事を言うのだが、もしかしたら感情の機微を察する能力がないという事なのだろうか、それなら私は発達障害を真っ先に思い浮かべる。少なくとも彼にはその疑いがあった筈だ。中心となる軸がないと言ったって、現代日本人が情報のインプット一辺倒になってしまって自分自身の魅力がないと海外の人間や日本の社会学者などに評されるのはさほど珍しい事ではない。一体彼の心理のどこに絶一門と呼ばれるまでの特徴があるのだろうか。そう思い、私は彼に対して俄然興味関心を勃興させた。それ故私は一時期、彼の研究に一際焦点を合わせ、東奔西走した。

「彼は生意気だという事で教師から暴行を受けた時がありました。すると絶一門はどこで入手したのか分からないマシンガンをランドセルから取り出し、彼に暴行を受けた教師を数秒で蜂の巣にしたのです。当然周囲の児童は泣き喚くわ。その教師を慕っていた児童は怒気鋭く絶一門に咆哮を上げるなりしたのですが、彼自身は返り血を受けて血まみれのまま職員室に行き、懇意だった教頭に僕、人を殺してしまいましたと悪びれもせずに言いました。教師一同は異常を察し、犯行現場に向かいました。絶一門のクラスメートは未曽有の事態にどうする事も出来ずにいました。その日の内に特殊清掃員は呼ばれ、遺体や血痕の清掃にあたりました。絶一門は自分が凶行をしたと容疑を認めました。まもなく絶一門は大阪府の少年院に入れられました。和歌山県では彼のような複雑な人間を更生させる施設はないとPTAの連中が判断したと聞いています」当時絶一門の同級生だった早見という人物はそう語った。彼はその事件の事を仔細に知らなかったのだが、どうにも当時の衝撃が忘れられず、時間が経ってからその事件について当時の関係者に取材をしたと言う。

彼は少年院でどう過ごしていたかと言うと、彼は模範囚であったと言う。また裁判の際に多くの法律的知識に触れたらしく、彼は単に机上のものだと思っていた法曹業界に感動したと言う。彼は自分の不利益を考えず度々自分の弁護士を質問攻めにした。その逸脱した犯行と純粋すぎる知的好奇心はまさに異様であったと絶一門の弁護をした弁護士は語っている。

多くの中二病患者が憧れるであろう虚妄に近いステータスと境遇を絶一門は既に持っていた。彼は少年院で読書をしたり院内の外部への通信制のないパソコンで毎日何やら書いているようであった。少年院の一員が何を書いているのかと聞くと小説や、研究らしい。実際その文書には難解な数式や語彙のオンパレードであったようだった。当然そのような一風変わった人物に反感を感じる人物もいたが絶一門はそのような連中を寄せ付けない天性のオーラがあったので誰も彼をいじめる事はなかった。彼は当時11歳、小学校高学年に相当する年齢であっても、屈強な、筋骨隆々の闘士が持っているようなオーラを持っていたのである。そして17歳まで彼は少年院に服役していたようだ。17歳の頃には彼の身長は198㎝になっており、如何に戦後の食生活が大幅に改善されたと言っても彼のような並外れた長身は当然院内でも注目の的であった。実は彼の後年の独白によれば15歳頃から暴力と性的衝動が結びついたようで、多くのブラックユーモアと称した小説の作品群が現在でも記録として残っている。彼の小説は現在ではプロアマ問わずその高い芸術性と引き込まれるような世界観から多くの人間から人気を得ている。最初彼の小説は禁書扱いされていたのだが、とある芸術評論化がその作品群に彼の天才を発掘し、日本政府を動かした事で強引に彼の小説は大手出版社からも出版され、また犯罪者のコンテンツに卑しい印税などつけてはならぬなどという思想で彼の小説をネットで無断で公開している人間も現在では少なくはない。

いつの間にか絶一門はトルストイ、ヴィクトルユーゴー、モーパッサン、シェイクスピア、ヴォ―ドレール、ドストエフスキーなどの文豪から、アナクシマンドロス、プラトン、アナクシメネス、ヘラクレイトス、タレス、デモクリトス、アリストテレスなどの古代ギリシアの哲学者を敬愛するようになっており、それらの分野への知識も短期間の内に専門家でさえ舌を巻くレベルになっていたという。皮肉な話だが彼は犯罪者でありながら、空前絶後の文化人になっていたのである。アウトサイダーアートとして院内で取り組まれていた芸術創作の時間にも彼は傑出した才能を発揮していた。彼の作品は芸術的慣性に乏しい看守でさえも魅了されずにはいられない出来栄えだったという。

絶一門の若い頃は無病息災であった。彼の遺伝子は頗る強靭に出来ていた。そして彼はどのような時にも過去の自分の行動に忸怩たる思いを抱くことはなかった。彼には後悔という言葉とは無縁であった。彼のような人間は言うまでもなく稀少であったし、その過剰な程の才能は多くの人間に感銘を与えた。

絶一門は20歳になり、少年院を出て寮つきの職場に就職した。そこは男しかいなかった。絶一門が気に入らない連中がいて、彼は初めてそこで冷遇を受けた。絶一門にアニメの世界観を押し付け、自分と絶一門は分身だと言っていたチビの男。なげやりで噂好きなやや長身の男、絶一門の睡眠を妨害し、彼に罵詈雑言を投げた男、この相部屋の三人によって絶一門は苦しめられていた。暴力や殺害で応じるのは同じことの繰り返しで馬鹿のする事だ。絶一門は途方に暮れていた。ある日、相部屋に絶一門がいると絶一門を寝かせまいと気持ち悪いアニソンを流して電気の消灯をチビの奴が許さなかった。この時絶一門の堪忍袋の緒がついに切れてしまい、彼はチビに向かって罵倒を始めた。それでも生意気だったので絶一門は彼を近くにあった鈍器のようなもので殴った。殴られたチビは泣き始めた。絶一門は気にしなかった。その時は彼には普段のチビの狼藉ぶりをし返すチャンスにようにも思えた。彼は鈍器に血が滲み、チビにあざが出来るまで執拗に殴り続けた。そしてある程度時間が経って絶一門は遂に殴るのを辞めた。別に自分が暴力漢と呼ばれようが彼は気にしなかった。これほどまでに激しい怒りの発露は精神がないと言われる彼にしては甚だエゴの強い行動である。しかし彼のそれは堅固な哲学や個性によって発生したものではなく、単にその場限りのものであった。それ故彼はこのような苛烈な怒りの爆発をよく覚えていないらしい。彼の精神は存在しないが故にその他の欲動やリビドーと言ったものが決定的な役割を担う事になっているのだ。粗雑な侵入者には限界が来たら鉄槌を、それが彼のモットーであった。

またある時、彼はある映画を観て笑い転げたりしたし、美しい景観を見て涙したりもした。また静謐な空間での読書をよく好んでいたという。成人後の彼の感情は非常に豊かなものとなっていた。そして現在では精神がないと恐れられているし、ごく親しい人の間にしか感情の高ぶりを表現しなかったものの、精神の主柱も既におぼろげながら出来始めていた。彼は人間として生きる事が出来始めていた。いかに先天的なものがどうであれ、これは人間が環境によって変化する事のこの上ない例ではないだろうか。

彼の殺害した小学校教師の縁故のあるものは成人になった彼を未だに憎んでいた。小学校教師は体罰はあったものの、日常生活において巧みに仮面を使い分けていた模様で親しい人には善人のように扱われていた。絶一門への復讐のために何やら計略を練っている者もいた。当然絶一門はそのような連中がいてもおかしくない事は知っていたので普段からばれにくい防弾チョッキを着ていたし、登山用と称してジャックナイフをいつもカバンに忍ばせていた。日本でそこまで用意周到に武装する人間は私の知る限りでは彼以外にいない。彼は殺害した小学校教師の事をその頃も死んで当然だと思っていた。人間に様々な側面が存在する事は知っていたのだが自分に対して不当な扱いをするものは誰であっても彼は逆鱗に触れ、過剰なまでの反撃に出る事が多かった。

彼は何故か21歳になる前に寮つきの仕事を辞めた。そして就職のためのスキルを磨くサポートを受けるようになった。彼の学歴は高卒認定は取ったものの大卒ではない。しかし彼には学校というものは悉く合わない。そのような小社会で跋扈している連中は皆低能だと彼は思っていたのだ。青年期特有の傲慢さか、それともこれは彼の才能に裏打ちされた正当な評価なのか、この辺は専門家によって評価が分かれるところである。

彼を歴史上に名を残す天才的な悪人であった理由は彼が元総理大臣を演説中に射殺した事である。彼は自作で銃を作った。元来手先は器用だったのですぐに銃を作る事が出来た。この法治国家の日本、安全な日本において銃を所持する事は難しい。小学校時代の殺人に使用した銃は特殊なルートで入手したものであるらしく、やはり現代でも依然として銃殺がかなり抑制されている事は事実であるだろう。彼は日本のオズワルドだと海外メディアで呼ばれるようになり、その不明瞭なキャラクターやロジックから彼には精神がないのだと表現する人間が現在の日本では大多数を占めるようになった。彼の芸術作品は日本の芸術を更に発展させた。彼の芸術によりインスパイアされた芸術家は彼の芸術を更に洗練させたり、小型化させたり、独自進化させたり、また雑多な場面で彼の芸術品は見られるようになった。犯罪者の芸術品を礼賛するのは倫理的道徳的に気が引けるのかと思いきや、日本国民は絶一門の犯罪と表裏一体の独創性を認めるようになっていた。今や22世紀の日本国民は絶一門をマッドジーニアスだと呼ぶようになり、彼を端緒とした心理学の発達も新鋭の学者により弛みなく推進された。

こういう記録が残っている。「日本の天才と言えば?」「絶一門」「絶一門」「彼は悪い事しっちゃてるけど、それでも?」「天才は変わっているのが通例だからね。また天才は一般の尺度では測れないよ。彼の内部にも重大な問題があって、彼にはどうする事も出来なかったんだと思う」「彼は精神がないとまで言われてるけど、本当にそう思う?」「そんな事はないでしょ。彼もまた現代流にアレンジされたとは言え、れっきとした人間だった。幼少期は彼はロボットだったというようなエピソードが広く知られているけど、私はそういうのも一つの発達の形だと思う」「しかし彼のような人間がこの国の大多数を占めたら国が崩壊すると思いませんか?」「崩壊への懸念は昔から叫ばれてきたけど、少子高齢化もどうにかなったでしょ。また教育格差も解消されたとか。そこまで思いつめて考えなくても人間その気になれば国の崩壊を未然に防ぐことが出来ると思うね。あまりにも怠惰な人間は行動を起こすことすら躊躇して、結局それが集団の破滅に至るかも知れないけど。現代の日本人は良くも悪くも要領が良いよ、だから、何度も言うけど国の崩壊は心配しなくて良いと思うよ」「身近に絶一門のような人間がいたらどうですか?やっぱり怖いですか?」「彼が怖いとされるのは一般の論理から飛躍し、また非常に変則的な精神構造をしているからだと思う。現代ではそういった人間に対して有効に働く合法の薬も発売されているし、薬による副作用の心配もないらしい。いやあ、素晴らしい時代になったもんだよ」「彼の犯行については?」「まあ暴力は良くないと思うけど、彼の性格を考えればああいう犯行も不可避なものだったんじゃないかと思うよ」「彼に罪はないと?」「どんな理由であれ、凶行を抑制できなかった事は大人の男としていかがなものかと思うけど、彼の精神に対しては往年から問題視されてきた。しかし決定的な結論を出せずにいた。彼の凶行は学問の発達と時代の風潮が絶一門に合致していなかったが故におこったものじゃないかな。彼に一切の責任がないとまではいかないけど、生まれつきどうにもできない障害を持っている人もいるのだからそういった治療を暗中模索にでも進めた上で彼を糾弾するのは理にかなっていると思うよ。しかしそれ以外のケースで彼を糾弾するのは頗るナンセンスだと思う。実際私の友達も私と同じ意見を持っている人が多いよ」「彼の殺害した死者についてはどう思います?人の命は重いものだと思いますが、彼らに対してもやむを得ない死だったと思いますか?」「冷徹なようだけど死んだ彼らは多分愚かさ故に死んだんだと思う。小学校教師についても、元総理大臣についても。総理大臣の場合も実は絶一門を隔離し、差別ではなく区別し、台頭した中国よりも今後の日本の脅威として彼の周囲に包囲網を作り、軍国主義的に彼を厳しく扱わないといけないなんて言ってたらしいじゃない。絶一門は不当な行動に一気に憤激しやすい人間だから、そりゃ反発心を招くと思うよ。その辺あの元総理大臣は狭量だったと思うよ。確かに人の死は悲しいが、これは絶一門に対対して真剣に考えて、彼のような研究資料を基に学問を一心不乱に発達させていけば怒らなかった事だ。即ち日本社会の未熟さが絶一門の犯罪を惹起させたんだと思う」

「あなたは大いなる才能を前にすれば犯罪も認めるような人間なのですか?」「ある程度の天才に対する理解というのは必要だと思う。彼らは普段から凡人だらけの世の中で疲れ切っている。彼らにも配慮した国造りも必要なのではないかと思う。アホみたいにスポーツ教育を学校の生徒に強制するよりも先にすべきことは天才への理解と手厚い保護だと思うよ。天才なくして奇跡的な栄華は実現されない。天才は凡人がどれだけ頑張っても及ばない、殊に絶一門の場合は正式なIQが500だったという話も聞くから、統計的な分布から見ても著しく逸脱している」「IQは時代遅れのバロメーターだとみなす人々も22世紀には多いようですが、その事についてはどう思われますか?」「まあ確かにあのような心理検査は体調や気分にも左右される。絶対視するのはおかしい事だ。でも仮に彼がIQを測らなかったとしても彼の特異性は分かる人には分かるだろうね。彼はライブした事もあってリードギターとリードボーカルを取っていたけど楽器の演奏も上手かったし、魂が籠っていたよ。ギターやボーカルの上手い人間は吐いて捨てるほどいるけど彼のように魂のこもった味のあるパフォーマンスを出来る人間はやはり珍しいものだと思うよ」「彼に嫉妬する人々もいますが、彼の存在は芸術を変え、日本を変えました。実に類稀なる才能だと思いますが、あなたもやはり、彼を賛美する人間なのですか?」「そうだね、私は彼を賛美している。彼のような男はこれから先現れないだろう」

「彼を理想の男性だとする女性も珍しくはないようですね。彼はその恵まれたルックスと才能がありながらも天才であるが故にコミュ障だったので女性にはあまりモテなかったらしいですが」「ああ、そうだね。彼は刑務所内で27歳の頃撲殺されたようだけど、彼の死を惜しむ女性も多くいたよ。彼をデフォルメした二次元画像や萌え画像のようなものもあるらしいね。彼を女体化したイラストも多くの人に好まれているとか」

「皮肉な事ですね、犯罪者をそのように捉える人間がいるとは」「彼の犯罪は彼の才能とは分けて考えた方が良いと思うよ。あまりに先入観にとらわれすぎると、発展や発達はない。実際固定観念抜きで彼の作品を楽しめば今まで自分が見えなかった事が見えてくると言う人もいるよ。彼の作品にはその個性的な性格に呼応してやはり独自の、観衆を魅了するものがあるのだと思う」

「彼は正義ですか?」「正義とも悪だとも言えないと思う。しかしもし神がいるなら神は彼に才能を与えると同時に一癖二癖のデメリットも与えたのだと思う」「彼の存在はあらゆるアートに影響を与えましたが、あなたは特に何処に魅力を感じますか?」「絵画と小説だね。何だか今でも理解されていない学問の論文も書いていたようだけど。彼は時代や環境の先進性を考慮しても偉大な人物だよ」

「彼は発達障害の特性と似たような性格を持っていたらしいですね。精神科医の中では発達障害の突然変異だと彼をみなす人物もいつらしいですが、あなたはその事についてどう思いますか」「私の学生時代、少し変わった生徒は発達障害の断定を教師から烙印されていた気がするよ。まあ障害なんてものは逃げ道にもなりえるからね、理解しがたいものと相対した時、低能な人間は真っ先に障害を疑う事も多い。障害は依然として現代でも非常に研究されている分野なのだが、それでも専門家でもない以上は、どのような局面においてもそうだが、他人を決めつけるのはあまり好ましい事ではないな」「それは友人関係や仕事関係でも?」「そうだ、人間と関わっていく以上、やはり最低限のモラルは必要なのだと私は思うよ。仮にその結果が悲惨なものであっても、モラルを持って人間を捉える事は極めて人間らしいと思うがね」「モラルは絶一門の嫌った既成概念に相当するのではないですか?」「カントによればモラルのようなものは実践理性によって認識されるものなのだと言う。中でも定言命法と仮言命法なんてものもあるけど、一概にモラルは悪だと決めつけるのは些か早計だと思うよ」「カントで思い出しましたが彼は晩年に実存主義の哲学やレヴィナスなどの哲学に傾倒していたようですね」「彼は自分の異質性を補うためには哲学が必要だと踏んだのだと思う。哲学史上の偉人達は絶一門程天才ではないにせよ、一般の書物とは違って哲学者の書いた著作はどこか息吹のようなものを彼は感じたのだと思う」「彼を無断で解剖した医者は捕まったようですが、何でも彼の脳みそは一般人の脳みそと違って大脳新皮質が多くのニューロンによって構成されていたようですね。それも天文学的なレベルで」「人間の脳は小宇宙だからね。それも彼のような天才ならその構造が決定的に違うのも自明の理だろう」「彼の最後の恋人、長身美人の恋人は彼の後を追って自殺しましたね。彼女にとって彼以上の男はいなかったのでしょうか?」「彼女は彼の事を、単に天才であるだけではなく、きちんと奥があって、愛らしくて、優しいとどこかで言っていたよ。実際彼は才能だけではなく、他人から愛されるに値するものをたくさん持っていた。学生時代、その事に気づく人間はいなかったけど。皆鈍感だったんだね。それとも彼の演技癖が功を奏しただけなのだろうか」「彼は日本の哲学や研究者には見向きもしなかったとか」「数学や科学の日本の専門家には一目置いていたみたいだよ。それでもやはり彼は傲岸不遜なと事があったね。彼は閉塞した時代を精一杯生きて、その中で自分の吸収すべきものを取捨選択していたのだと私は思う」「どの時代にも時代を超越した天才はいるものなんですね。彼がそういった存在である事は疑いの余地がない事だと思いますか?」「うん、そう思うよ。彼は天才中の天才だね。ただの世間で持て囃される天才などではなく、正真正銘のパラダイムシフトを起こし、世の中を変えた実績のある天才肌だよ、だからこそ彼の今の名声は隠す事の出来ないものなのだと思うし、如何に犯罪に彼が走ったからと言っても彼の作品は消えない。勿論彼の論文もね」「彼は統合失調症のような幻聴を普段から聴いていたと言われていますがそれについてはどう思いますか?」「まあ幻聴は体調によって聴こえる時があるからね」「もう時間の様です。長いインタビューありがとうございました」「はい」

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