流刑地
◆流刑地
「イタタタ……」
起床するのに苦痛を伴った。
過度に体を動かしたことによる筋肉痛。
それからもう一つ、どう表現したらいいのか、体の深い所が澱んでいるみたいな鈍痛。やべこにたずねると、魔法切れによる疲れだそうだ。
「治る?」
「マナが体に充填されていくにつれ、治りますよ。ただし、現世にはマナがほとんどないので、その分だけ時間を要することになりますね。出勤までの少しの時間……食事中だけでも向こうに行くことをおすすめします」
「そうか。じゃあご飯は向こうで食べようね」
自然な流れでまともなご飯にありつけることになり、心の中で小躍り。
2人で聖神世界に移動した。
「魔力を切らして、マナを入れ替えることにより、アンチエイジングの効果もあるんですよ。美魔女と呼ばれている魔導師たちは、常に新しいマナを入れ替えているそうです」
やべこがわざわざボクの分の料理を配膳してくれた。ダートムアでは既に仕事をしている人たちと、これから食事にありつく人がいた。フレックスタイム制ってやつか。
食後、また新たに何人かの勇者と隷属魔法……主従関係の契約を交わして、現世へ。
いつもの道を通ってバイト先へと向かう。
昨日の時点では朝の特訓をお願いしようかと思っていたけど、とてもじゃないけどできっこなかった。起床時と比べたら魔力はある程度充填された感覚はあったけれど、全快とはほど遠い。
「なんか疲れてない?」
今日のキッチンに立つのはいつもの龍田さんじゃなかった。社員の井荻さんはボクの顔を見るなりそう言った。
「はい。少し」
まさか魔法の特訓をしていたとも言えないし、テキトーな言い訳も浮かばなかったので、返した言葉はたったそれだけ。素っ気ないことこの上ない。
ボクはまた、店中をピカピカに磨き上げた。
つまり今日も暇だったわけだ。
普段に輪をかけて暇だった。キッチンの換気扇を外した。埃を取り除いて、重曹を溶かした水に浸けて洗う。その間に冷蔵庫内もキレイにした。
「なんかワルイね」
井荻さんは客席に座り、パソコンをいじっていた。神保町に新店舗を出すことが決まったみたいで、それにまつわるいろいろで忙しいとか。
プチ大掃除を終え、ボクは定位置に立ち尽くす。
ふと窓の外に目をやってどきりとした。
闇黒三美神の1人、雷電かつゆのエクレーアがそこにいたからだ。
「どうもっ」という感じでペコリと頭を下げる。どうやら1人らしい。会釈を返すと店の前の、ほんの僅かな自転車置き場の横に大きな殻を下ろした。井荻さんの自転車と同じように、チェーンの鍵をポールに繋ぐ。
誰も盗らないよ……。
「こんにちわっ……」
「いらっしゃいませ」
中へ入ってきたエクレーアはボクの言葉より、井荻さんの挨拶に肩をビクつかせた。
敵の幹部に対してどうなのかと自らに疑問も持つけど、「どういたしました?」とボクは一旦外に出て聞いてみた。
「お仕事中すみませんっ! あのっ、じつはお話ししたいことがありましてっ……」
と彼女が言うところには――――、
「クビになった?!」
バイトの休憩時間に待ち合わせをして、今ボクは駅前の喫茶店にいた。地下の、このご時世にタバコを吸える所だ。エクレーアは殻を下ろしたスクール水着。コスプレ歓迎の街でもさすがに浮いていると言わざるを得ない。
「はいっ。クビなんですっ。闇黒三美神っ」
闇黒三美神って職業なんだ。労働条件どんなだろ。退職金とかあるのかな。
「この場合、退職理由は「会社都合」なのか「自己都合」になるのか心配でっ……。失業保険の条件が変わるのです。知ってますかっ? 失業保険っ……」
「まぁ……」仕事を辞めたらお金をもらえる。超簡単に言えば。「でも戸籍のある人の話だよね」ボクは声をひそめた。
「はっ! たしかにそれもそうですねっ!」
それも……かぁ。
「今日は、他の2人はどうしたの?」
なんだか、ですます口調もわずらわしかった。
「リビちゃんとプルちゃんは日雇いバイトに行きましたっ。ちょっぴりあやしいやつにっ……」
エクレーアはテーブルのすみにあるポッドの中の角砂糖を摘んで、スッと口に入れた。こりっ、と遠慮がちな一噛み。
闇黒三美神が置かれている状況は嫌というほど、解った。
「3人はこの世界の人間じゃないからね」
「人間でもないんですっ」エクレーアは手のひらを口元にあてた。「魔物なんですっ……」
彼女はボクから勝ち取った王冠をゴートマに渡し、そしてどうなったかを話した。
「ハメられたってこと?」
キロピードについても、彼女たちの推測が含まれた嫌疑を聞かされる。
「キロピードはわるいやつなんですっ!」
元闇黒三美神がそう言うのは、人によっては噴飯もののセリフだ。
ボクは笑わないけど。
その理由は、かつてのお隣さん……女神のようなお姉さんの言葉があるから。それとボクが目指すの魔王の理想像が、お父さんのように懐の深いものだから。とか……いろいろと。けれども、一番強い理由は、彼女ら闇黒三美神がどうしてもボクと無関係な人たちに思えなかったからだ。
たとえボクの仲間を傷つけ、ニセモノにしろ王冠を奪った張本人でも……だ。
なんて言うんだっけ。そう、シンパシーってやつかな。
ぴろろんっ――――!
かわいらしい電子音が鳴った。エクレーアが胸元から水着の中に手を入れて、なんとガラケーを取り出した。「リビちゃんがみんなの分を調達してくれたんですっ」と聞いてもないのに教えてくれた。へぇ……とあいづちを打つ。
「あっ、なんだか2人ともここ来るみたいですっ。その……なんですが、外で会ってくれませんかっ? ここはちょっと……」
エクレーアはタバコの煙を嫌がる仕草をしたけど、ボクには解った。500円のコーヒー代をボクを含めた4人分払うのは厳しいことが。
「いいよ」
コーヒーは飲み干し、席を立った。
「いいんですっ、いいんですっ」
とエクレーアが言ったけど、ボクらは別々に会計をした。
初めて闇黒三美神と闘った駅の西口近くで、闇黒三美神は揃った。
「2人とも早かったねっ? お仕事はどうしたのっ?」
エクレーアが遠慮がちに聞いた。
「なんか当然のようにケツ触られたから逃げてきたんだよ」
「逃げた……? アレは撃退と言った方が正しいかと……」
2人はいつものきわどい格好にシャツだけを羽織るといういでたちだった。少しでも普通に寄せようとした努力は認めるけど、エロスが香りたつ2人の脚が逆に強調されてしまっている。間違いが起こってもおかしくない。
「来てくれてありがとうな、キルコ」
「キルコさん……でしょう、リビエーラさん……」
「折り入ってご相談があるんですっ、キルコさんっ!」
三美神は深々と頭を下げた。
「いやその前にまず」
「言わなければならないことがありますね……」
「この間はどうも――――」
3人の声が重なった。
「申し訳ありませんでした!」
全力の、誠心誠意をこめた謝罪だった。
「頭なんて下げなくていいよ」
苦手だ、こういうのは。
「あの時のことは、怒ってないから」
王冠がニセモノだったからではない。
よく分からないけど、謝られてみると、謝られる前から3人のことを恨んでなどいなかったことを知った。
事情があった。言い訳とかはもはや聞かなくていいやって気分になる。
「その代わり、ボクの仲間がなんて言うかな。3人は、行くあてが無いんでしょ?」
8年前のボクと同じだ。この、実に頼りない気持ちは、他に誰かがいてくれるだけで和らぐ。
たぶんだけど、ボクと同じ16歳の少年少女は、学校の教室で、自分の席だけが無くなったら、これと同じ気持ちになるんじゃないだろうか。ぽつんと、自分の席がみんなの席の列から抜けている。立ち尽くしている自分に、誰も声をかけてくれない。あぁ、わたしって1人なんだなと、猫じゃらしみたいに細くなって揺れる。
「とりあえずボクの部屋においでよ」
3人がはじけたように顔を上げた。
「ボク、休憩終わるから、もう帰るね」
「キルコ、恩にきる!」
「ですからキルコさんでしょう、リビエーラさん……」
「言い忘れてたっ! あのねっ? キルコさんの尻尾が勇者たちに無敵だって分かったから、これからは魔物がメインに派遣されそうだよっ。気をつけてねっ!」
尻尾の攻撃の威力、バレちゃったのか。
ますます特訓に身を入れなきゃダメだな、これは。
「ありがとう」ボクは三美神にバイトが終わる時間を教えて、店に戻った。
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