昔住んでいた部屋



◆昔住んでいた部屋



 打倒ゴートマを心に決めた昨夜は3人で過ごした。初めて客間が機能すると思ったけど、あそこは朝日が当たらないしエアコンもないから、メルには主寝室をあてがった。やべこはボクのそばが良いと言うので、止めたのだけど、彼女は客間と隣接したリビングで、ソファにその身を横たえた。


 今日はバイトが休みで良かったな。


 下北沢の駅から井の頭線。3人で電車に揺られ、吉祥寺。


 この町では、さすがにやべこもビキニアーマーというわけにもいかないので、ボクの服を着てもらっている。といってもかつてのお隣さんの1人がくれた物だ。やべこは今、「無職」と書かれたヨレヨレのTシャツにマント。メルの方も魔族から人に戻っている。


 メルの住む部屋には、駅から5分も歩かないうちに到着した。


 なんというか、ボクは身分の差というものを痛感した。


 ボクの築30年越えの賃貸城とは別格の……シャレた、モダンな、スタイリッシュで、ふぁびゅらすな建物。もちろんオートロック付きだ。宅配ボックスもあって、エントランスなんかうちの主寝室より広い。無学歴フリーターのよそ者のボクとは暮らしぶりが天と地。


 まぁそれは、あくまで建物自体の話だけど。


「テキトーに座って。いまコーヒー淹れるからさ」

 メルは羽織っていたパーカーを無造作に放り投げて、キッチンへ向かった。


 部屋の中はなんとも…………ボクの掃除魂がたぎりにたぎるありさまだった。


「キルコ様、どうぞこちらへ」やべこがソファに積まれた雑誌をまとめながら言った。


「ありがとう……」ボクはそこへ歩み寄って腰を下ろすまでの数秒間、部屋に散乱した物の数々に目を走らせた。


 間違いなくゴミであるもの、そうでないもの、衣類、本類、郵便物などの紙もの……瞬時にカテゴライズ。掃除の段取りを脳内でシュミレーションする。


 ああ……、掃除、掃除がしたい!


「はいコーヒー。さてっと」メルが足で床の物を動かし、空いたスペースに腰を下ろす。「状況を整理しよっか」


 それより先にお部屋を整理したい!


「キルコ? どうしたの、苦々しい顔して。あっ、ゴメンね。お砂糖持ってくるよ。アタシいつもブラックだから気がつかなかった」


 お部屋の惨状に気がついて!


「そうそう。アタシの聖神もどうなってるのか見なくちゃね。ちょっと配線繋ぐから」


 メルが大きなテレビの前で、ゲーム機の絡まったコードをほどき始める。ボクもやべこも手伝った。ほどきながらで状況の整理をしていった。



・8年前に魔国はゴートマに手引きされた勇者により陥落。


・ボクは王位を継承するが、現世(と呼ばざるを得ないこの日本)に追放。


・王位が欲しくなったゴートマが、王の証である王冠を狙い、刺客を放ってボクを探した。


・昨日、ボクは下北沢にいると特定された。


・これから下北沢に刺客が集まることになる。



「引っ越しちゃえば?」メルがこともなげに言った。


 ボクは買った戸籍の年齢がボクとだいぶ離れていることなどで、大きな契約をするのが危険なことを伝えた。問題になってしまう、と。それにあの場所も気に入っていることも話した。お金がないというのも大きいけれど。


「好きならしょうがないか」


「うん。それにあの部屋にいると、なんだか守られてる気がして」それは本心だった。



 それから、聖神世界と呼ぶことにした……ボクの故郷について、やべこ曰く。


・あそこはゲームの聖剣神話をモデルにした世界で、ゲームの世界と繋がっている。


・ゲームで描かれていた土地以外に、プレイヤーの人間たちの想像や思いの力によって補われている。スケールが違うということだ。


・聖神世界出身の勇者たちはゴートマによりとっくに滅ぼされており、ゴートマが言う刺客とは、現世のゲームデータから引っ張ってきたキャラクターである。


・キャラクターたちもプレイヤーの想像やイメージにより、性格や外見に差がある。



「ゲームを元につくられた……? 誰がそんなことできるの?」

「それは分かりません……」

「そんなの女神さまに決まってるじゃない? ここまで来たらいてもおかしくないでしょ」


 ボクは、ボク自身が異世界人であることに、少なからず戸惑いを覚えていた。


 でもゲームデータから引っ張ってこられたやべこを見ていると、さほど気にすることでもない気がしてきた。現世……この日本という世界に来た時に、そういう感情はだいたい網羅しちゃったからだろうか。


 今更ってやつだ。うろたえ飽きた。


 心霊体験をしたメルが、ボクらのことを信じてくれているのと似ているかもしれない。


「キャラクターや世界が、プレイヤーのイメージでふくらむってのは、こういう古いゲームの良いところだよね」

 メルが嬉しそうに言った。


「なんで?」


「今はグラフィックが綺麗すぎてさ、イメージする余地が少ないのよ。でも昔はみんなイメージした。広い冒険の世界をね」


「つまり私は、メルさんのイメージにより、この性格ということですね」


「アタシも強くて優しい勇者に憧れていた時期があったってことですよー。……うしっ! やっとほどけたよ」


 ようやく配線をほどき終えて、ゲーム機を起動することができた。


「うしっ! つづきからスタート!」


 テレビ画面にドット絵の世界が映される。


「あ、ちょうど魔王城にいたわ。この鏡、ラスボス前の最後のセーブポイント」


「わぁ! すごい! ここ、よくかくれんぼで使ってた客間の一つだ!」


 ドット絵でも分かる。お城の奥まったところにあって、物置きになりかけていた小さな部屋だ。


 また行きたいな……。


 2人に案内してあげたい。お城は広くて、迷路みたいだから。


 ボクは目を閉じて、記憶に浸る。


『キルコ!』


 ふと匂いが変わって、ボクは目を開けた。


「ここ……、また移動してる!」


「キルコ様、ご無事ですか?」

 やべこも来ていた。


「うん。なんともないみたい」


『こっちの部屋から2人が消えて、代わりに画面にいるよ。ドットのね』メルの声が響く。


「メルは来ないんだね」


『アタシそっち行ったら日本になんか帰りたくなくなるだろうから、幸いだよ』


 大好きな世界にいたい気持ちは分かる。


「メルさん、私の他のパーティは?」


『メニュー画面にはいるけど……。そっちにはいない?』


「いません。私とキルコ様だけです」


 ボクも辺りを見渡したけど、部屋の中にはボクらだけだった。


 昔からあった、お城の調度品とは雰囲気がちょっと違うこの鏡は、ゲームのセーブに使う物だったのか。


「懐かしくてたまらないや。ねぇ、ちょっと歩いてもいいよね」


『魔王城…………ゴートマといきなり鉢合わせるなんてことにならないかな?』


「それは大丈夫だと思います」やべこが言った。「ゴートマは新しい城を建てたので、ここは今や廃墟となっているんです。立地が立地ですので、他の魔族も越して来なくて」


 立地が悪い。たしかに、死樹海迷宮とか屍荒原とか周りにあるし。現世で言ったら、断崖絶壁に建つ家の周りに青木ヶ原樹海とか霊園とか古戦場とかそういうのがあるのと同じだろう。でもそのおかげで。


「お城を自由に歩き回れる!」

 ボクは耐えきれなくなって部屋を飛び出した。


 廊下には、赤茶と黄色の六角形が並ぶカーペットが敷かれている。これ、蜂の巣みたいで大好きだった。走っても足音がしないくらいフカフカで。


「なッ?! 体が勝手に!」不意にやべこが戸惑いの声を上げた。


 メルがまたまた大興奮で言う。

『すごいよコレ! いや当然なのかもしれないけど、やべこをアタシが操作してるよ』


 どうやらコントローラーによってやべこを操っているようだ。


『ヤバいめっちゃ興奮してきた……キルコを主人公勇者で追いかけてる! たまらん、はぁはぁ……!』


 メルの荒い息遣いが聞こえる。追ってくるのは勇者のやべこだけど、ヨダレを垂らしたメルが取り憑いているみたいだった。恐ろしくなって逃げる。ボクのことを好き好き言っていたけど、その言葉のありがたみに隠れていた危うさを思い知る。好きが強すぎる。


『待てぇー!』


「待たない!」


 記憶をたどりながら走り抜けていく。地の利はこちらにあるんだから!


『キルコ~~、きっとキミは「地の利はこちらにある」と思っているんでしょーん?』


「なっ!」


『でもねぇ、アタシがいったい何時間このゲームをプレイしてると思ってるのかなぁ?』


 暴走メルinやべこの気配が不意に無くなった。


 どこだろう?!


 ボクは息絶え絶えになりながら、昔自分が寝起きしていた部屋にたどり着いた。


「わぁ……ここ」

 あまりに記憶のままだったために目頭が熱くなってきた。


 窓辺に寄る。そうだ、この窓から死樹海迷宮を眺めて、指先を窓ガラスに滑らせて迷路あそびをしていたっけ。迷宮は定期的に形を変えるから、毎日やっても飽きなかったな。


 天蓋付きのベッドも懐かしい。お父さんが絵本を読み聞かせてくれたのをよく覚えている。


 ボクはベッドに腰かけた。すると同時に、不穏な気配を唐突に感じた。


『キルコー!』


 やべこがベッド横の壁から現れたのだ。

 扉があるわけでもない、ただの壁からだ。


 ベッドに押し倒され、ビキニアーマーの女勇者がボクに覆いかぶさる形となった。


「申し訳ありません、キルコ様……!」息も切れ切れにやべこが言う。


『魔王城にはねぇ。ミスなのか意図的なのか、たくさんの隠し通路があるんだよ? そしてアタシはその全てを把握している。いくら住んでいたキミでも、アタシの追跡から逃れるのは不可能!』


 隠し通路……? スイッチを押して開く仕掛け扉などは知っていたけど、こんな物理無視のすり抜けなんて見たことがない。


『壁に向かって走るなんてするはずないものね。気付かなくて当然。さぁ! 成長したキルコを「簡易鑑定」のスキルで調べちゃうぞ~』


「スキル『鑑定』とは対象のステータス値を調べるものです。私なんて者がキルコ様のお力を覗き見るなんて……ううっ、申し訳ありません」


 美女に押し倒されて、涙ながらに謝られる。


『ん~~? へぇ~? ほぉ~……』


 体をまじまじと観察されて、恥ずかしい気持ちになる。


 もう帰りたい!


 そう思うと、ボクとやべこはメルの部屋に移動していた。


「うわー! もうちょっとだったのに!」


「メルさん! あのような強引な行為は今後控えていただきたいです」


 やべこがボクを起こしながらメルに抗議した。


「めんぼくない……。どうも好きなものには夢中になっちゃうたちでして」


 初めて名前を呼ばれた時の、メルのきらきらした瞳を思い出す。部屋に散らかっているのは何かに夢中になった証拠かもしれない。なんて考えてみたりもした。


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