婚約破棄されたワタクシが、元婚約者の子どもをナニーするって、一体何!?
高取和生
第1話
◇仰天◇
ほへっ?
ヘンな声が出そうになりましたわ。
いけない、いけない。
淑女たるもの、感情を出すのも憚れますのに。
「あの、サザス様。申し訳ないのですが、もう一回おっしゃっていただけます?」
裏返りそうな声をなだめ、私は目の前に座るサザス様にお聞きしました。
「だからあ、シモーヌの代わりに、我が息子、カトラスを育てて欲しいのだ、メリニア」
目って、点になるものですね。
脳内はクエスチョンマーク満載です。
あんた、何言ってんの!
思わず怒声を上げそうになりましたが、拳をぎゅっと握って耐えました。
何といっても私は、アガピア侯爵家の令嬢ですから。
「まあ、サザス様、それは良いお考えですわね」
コロコロと、隣席の義母アルーダが笑います。
良い考えのわけ、ないだろ!
神様、ぶん殴って良いですか。
視線をずらして我が父、アガピア侯を伺うと、目を閉じ頷いておりました。
クッ!
やはりあの時、この家ごと潰しておくべきでしたわね。
それはもう、三年前のこと……
◇◇◇
「すまない、メリニア。君との婚約を解消して欲しい」
サザス・ポエトリー様が頭を下げた。
生まれた時から決まっていた、私、メリニアの婚約者。
彼はポエトリー伯爵家の三男で、六歳上の方。
サザス様の隣のシモーヌ
義姉さまは、私と血の繋がりはない。
父の後妻の連れ子である。
「理由を、お聞かせ願えますか、サザス様」
別に聞きたくはなかったが、「婚約破棄もしくは解消」を告げられた時の、様式美みたいなものだ。
「俺は『真実の愛』を見つけたのだ! そしてその相手、シモーヌのお腹には……こ、こ、子どもが……」
当時十二歳だった私は、思春期を迎えたとはいえ、まだまだ純粋なお年頃。
婚約者がいる男。
義理とはいえ、妹の婚約者であることを知っている女。
そんな立場同士、しかも結婚前の男女に……
子どもが、出来たあ!?
おそらくは、田畑を荒らす害虫を見るような目で、二人を見たと思う。
すうっと目を細めた私を、姉さまは鼻で笑った。
「お子ちゃまのあなたより、アタクシの方が魅力的ってことよ。気にすることはないわ、メリニア」
いや、普通気にするでしょ!
ていうか、家同士の婚約って結構固い契約ですよ、分かってます?
「それは問題ない。既にポエトリー伯とは話がついている。我がアガピア家の跡取りが生まれるやもしれぬ、目出度い話だからな」
母亡きあと、迎えた後妻とその娘には、ゲロ甘な父がそう言った。
おめでたいのは、あなたの頭ですよ父上。
アガピア家の爵位を継ぐのは、亡き母の血を受け継いだ私なのですが。
ともあれ、生まれてくる子に罪はない。
私もまだ十二歳。来月からは王立学園の中等部に通い始める。
新しい相手を適当に見繕って、婿を迎えれば良いだろう。
達観と楽観。
私は幼かったのだ。
王都の学園に通うようになって、私は思い知らされた。
五歳上のシモーヌ義姉さまも、同じ学園に通っていた。
姉さまは学園に在籍する間中、自分がいかに、妹のメリニアによって可哀そうな目にあっているかを語り続けていたのだ。
さらに、高位貴族の男子生徒には、婚約者がいようがいまいが、ベタべタとまとわりついていたという。
結果、学園内では、先輩や教師から白い目で見られ、同級生らは遠巻きにされ、ボッチの生活をおくるはめになった。
元々、地味目な容姿をしている陰キャな私に、新しい婚約者など、見つかるはずもなかった。
◇◇◇
「では、アガピア家の領地邸で、メリニアがカトラスの育児と教育を行うことでいいな」
いいわけないだろ!
けれど私の心の叫びが、父様に届くことはなかったです。
幸か不幸か、私はこの春で学園を卒業します。
なまじ高位貴族なので就業という選択もなく、卒業後は行先の宛てもないのに嫁入り修行。
爵位を継げる立場でありますが、少なくとも十八歳を越えないと申請書類を出せません。
不貞を働いた元婚約者と、婚約者を寝取った(あら失礼)身内の子どもを育てるなんていう、理不尽な役割を甘んじて受けるくらいしか、道は残っていないのです。
義理の甥カトラスと侍女を一人連れ、王都の邸を離れたのは、花が一斉に咲き始める五月の初めでした。
◆カトラス◆
「あなたの名前は、カトラス・ポエトリーよ。こんにちは、カトラス」
新緑の葉っぱの様な、穏やかな瞳。
母よりもずいぶん若い女の人が、僕に向かって微笑んだ。
誰?
僕は自分の名前くらい知ってるよ。
「私はメリニア。メリーって呼んでね」
メ・リ・ニ・ア?
僕は頭の中で、その名を探す。
ああ、母の妹? だっけ。
母と似てないな。
似てなくて。
良かった。
立ったまま何も言葉に出来ない僕を、メリーはそっと抱きしめてくれた。
ふわりとメリーの髪が舞うと、良い匂いがした。
野原の花の香りだ。
母のような、思わず咳き込んでしまうような、キツイ匂いじゃなかった。
メリーは僕の手を取って、馬車に乗せる。
馬車に乗るのは初めてだ。
嬉しくて、僕は窓の外をずっと見る。
あの家から、抜け出せた。
あの母から離してくれた。
この馬車が、何処に向かっているのかは知らないけど。
ひょっとしたらこのまま、捨てられるのかもだけど。
それでも良い。
隣のメリーは僕の手の甲をずっと撫でてくれている。
僕の指先は、少しずつ温かくなった。
◇育児放棄◇
領地へ向かう馬車の中で、私はカトラスを初めて間近で見ました。
細い。
男の子だけど小さくて華奢。
顔立ちは、大変整っているのに、目だけ大きくギョロッとしていて半魚人のよう……
半魚人、見たことないけど。
サザス様のお話は、大袈裟ではなかったようです。
サザス様と姉さまは、アガピア邸の一角に離れを建て、そこで暮らしています。
父の執務を少しばかり、サザス様が手伝っていらっしゃると聞きました。
カトラスの育児は、主に乳母が担っていたそうです。
ところがカトラスが二歳のお誕生日を過ぎた頃、乳母だった女性は急遽、故郷に帰ることになりました。
あの姉さまが……
自分のことだけしか興味のない姉さま。
私が可愛がっていた子猫を、いきなり奪った姉さま。
すぐに飽きて、使用人に捨てさせた姉さま。
そんな姉さまが子育てなど、出来るはずはなかったのです。
丁度同じ頃、サザス様はポエトリー伯から爵位を一つ貰うことになり、我が邸とポエトリー邸とを行き来するようになり、必然的にお姉さまが一人きりで、幼いカトラスと向かい合うようになりました。
そして……。
離れ邸からは毎日、お姉さまの怒声が響くようになりました。
お姉さま付きの侍女が、見かねてサザス様に直訴。
サザス様が慌てて戻ってみると、部屋の片隅でじっと動かない我が子と、鏡の前で自分の髪の毛をむしり続けている妻に驚愕したそうです。
三歳のお誕生日を前にして、カトラスは一歳児のような歩き方しかできず、言葉を発することは、殆どなかったのです。
◇領地にて◇
王都にあるアガピア邸から、領地の別邸までは、馬車で一日ほどかかります。
別邸に着いた時には陽が落ちて、カトラスは眠っていました。
別邸には、私の実母の時代から仕えている侍従たちがおります。
侍従長の手を借りながら、カトラスを抱え部屋に行き、私はベッドに寝かせます。
ランプを消そうとしたら、カトラスはいきなり私の手を握りしめました。
そして一生懸命、顔を横に振ります。
「うんうん、暗いのやだね。あなたが眠るまで、一緒にいるね」
そう言うと、カトラスは大きく息を吐き、目を閉じました。
私の手を、握りしめたまま……
憐憫と義憤。
そんな感情が湧いた自分に驚きながら、私は決めました。
この子が、カトラスが、年齢相応の成長を遂げるまで。
暗闇を怖がらないで、眠ることが出来るまで。
私はカトラスに寄り添うことにする、と。
次の日から、私はカトラスと一緒に過ごすようになります。
カトラスは言葉を発することは出来ないけれど、話を聞き取ることは出来るようです。
「おはようカトラス! まずは顔を洗おうね」
器に入れたぬるま湯を用意すると、カトラスは小さな手で、ちゃぱちゃぱ顔を洗います。
目尻に残る涙の跡に、私の胸はきゅっとなります。
「朝ご飯は食堂で食べますよ」
カトラスは手づかみで食べようとするので、スプーンの持ち方から教えることにしました。
食後は散歩に出かけます。
よちよち歩きのカトラスに合わせ、ゆっくりのんびり領地を歩きます。
春の日差しは心地よく、カトラスはしゃがんで石を拾ったり、野の花を摘んだりしています。
がさっ!
振り向くと野ウサギが、草むらからぴょこんと、頭を出しています。
「あ、あっ!」
珍しくカトラスが声を上げます。
彼が転びそうになりながらも追いかけていくと、野ウサギの姿は瞬時に消え、齧りかけの野イチゴが一粒、落ちていました。
「野イチゴ野イチゴなぜ赤い」
下手くそな歌を唄いながら、カトラスと歩きます。
声が出ないのは、声を出す筋肉がついてないからだと、お医者は言ってました。
いずれ、カトラスが一緒に唄ってくれるといいな。
夜はカトラスの枕元で、絵本を読んで聞かせます。
「今日は『光の勇者の物語』ね」
それは、勇者が光の剣を奮って悪の権化と闘い、捕らわれた姫を助け出すというお話です。
初めて読み聞かせた時に、カトラスの目がキラキラ光りました。
男の子、なんですね、やっぱり。
読みながら私も眠くなり、そのままカトラスと一緒に、寝てしまうこともありました。
そうそう、領地の邸にやって来て、嬉しいことがありました。
捨てられたと思っていた猫が、こちらで飼われていたのです。
子猫から、綺麗な大人の猫になっていました。
「メリー、メリー。朝だよ」
こちらに来て三ヶ月も過ぎる頃、カトラスはスラスラと喋るようになり、骨が浮き上がっていた身体も、ほんの少し丸みが出てきました。一安心です。
肉付きが良くなると、カトラスの端正な顔が際立ってきました。
なんという美少年!
おばちゃんは嬉しいよ。
子どもの成長は思っていたより、ずっと早いようです。
猫と同じ? いいえ、人間はそれ以上なのです。
子育てをしているとはいえ、私もまだ十六歳。世間的には大人未満。
カトラスと一緒に生活しながら、私も次のステップに進もうと思います。
◆カトラス◆
メリーと一緒に暮らすようになって、俺は本当に救われた。
お腹を空かせて泣くこともない。
泣いたとしても、叩かれたり、爪で刺されることはない。
お風呂には毎日入ることが許されている。
そういえば、ここで最初にお風呂に入った時、俺の体を見てメリーは泣いた。
俺の腹や太ももには、青や赤の痣が、たくさんあったからだ。
それから俺は、毎日メリーと一緒にお風呂に入るようになった。
俺はチビだしガリガリだし、裸を見られるのは正直恥ずかしかった。
でも。
メリーの素肌は真っ白で、綺麗な形の胸があって、目を伏せながら俺はチラ見した。
七歳になって、領地内の小学校に通うようになった。
その小学校は、メリーの母上が建てたものだという。
俺を引き取ってから、メリーは俺に読み書きや計算をはじめ、国の歴史や領地の天気を毎日教えてくれた。
だから学校の勉強で、困ることはなかった。
俺が小学校を卒業する頃には、メリーは二十歳を越えていた。
「ねえねえ、あなたの『おばさま』って、結婚しないの?」
学校では時々、クラスメートから質問される。
その質問、俺は嫌いだ。
それに『おばさま』じゃない。
メリーはメリーだ!
「この前、君のお邸の近くで、メリニア様が綺麗な男性と一緒にいたけど、メリニア様の婚約者?」
うるさいうるさい!
それはきっと、俺の体を時々診に来る医者だよ!
良い医者だけど、優しい医者だけど、俺は好きになれない。
だって。
メリーとお似合いだから……。
心配になって、俺はメリーに訊いてみた。
「ねえメリー。あの医者のこと、どう思ってるの?」
「医者ってクアトロス先生? 良いお医者様よね。ケガに詳しいっていうので、わざわざ王都から来てもらって良かったわ。あなたの昔の傷、良くなったでしょ?」
「うん。いやええと……その、男としてどう見てるのかって……」
メリーは口を開けて笑った。淑女の笑いじゃないぞ、それ。
「クアトロス先生は、もうご結婚されているわよ」
俺は心底ほっとした。
◇アガピアの魔女◇
カトラスが小学校へ行くようになり、私にもゆとりの時間が出来ました。
いや、だって。
朝の身支度でしょ。カトラス分も。
朝ご飯でしょ。カトラス分も。
お散歩でしょ。カトラスと一緒。
午前中のお勉強でしょ。カトラス用の。
お昼ご飯でしょ。当然カトラスと。
お昼寝でしょ。カトラスの寝かしつけ。
ここでようやく自由時間。カトラスが寝てる間だけ。
その間に、領地の執務と来客の接待。
夕方に湯浴みでしょ。カトラスと一緒よ。
で、夕ご飯食べて、絵本の読み聞かせして、寝る。
はい。
一日終わりました。
それでもこれでも貴族なので、私はきっと恵まれています。
こちらの邸にも、仕えてくれる侍女と侍従と料理人がいるので、掃除洗濯お料理は任せています。
たまに私が洗濯していると、年配の侍女に取り上げられます。
侍女はいつも同じセリフを言います。
「はあ、メリニアお嬢様。あなた様は世が世なら……。こんな僻地でこんなことをしている方ではないですのに」
そんなため息を聞くのも切ないので、なるべくお任せしているのです。
私の母は、もっと大変だったでしょう。
母は十八になると同時に、侯爵位を継ぎました。
王都の邸は親戚に任せ、長らくこの領地の改革に従事してました。
アガピアの領地は、元々は荒れた土地だったそうです。
母は独学で土地の改良に着手し、ミミズがたくさん生息するような、豊かな大地に変えました。
婚約したばかりの父が、初めて領地に来た時に、顔を出したミミズを見て、逃げ出したと聞いてます。
「なんでそんな相手と結婚したの? 母様」
「顔」
母は即答しました。
そうですか、顔ですか。
嗚呼、色男は金も力も、度量もなかったのね。
土地改良の次に母が着手したのは、領地の特産品の開発でした。
低木の樹皮を使って作る、紙を開発したのです。
王族と一部の貴族たちは、他国から輸入した、バカ高い紙を使っていましたが、自国でも安価で作ることが出来るようになり、王家に大変喜ばれました。
次々と改革が進み、アガピアは豊かになりました。
爵位を継いで、わずか数年で侯爵家を建て直した母は、いつしか「アガピアの魔女」と呼ばれるようになっていました。
なぜ、「アガピアの聖女」じゃなかったのでしょう……
やはり。
顔、かしら。
ま、ともかく。
資金を得た母は、領地内に学校を作りました。
教会と協力し、教会の敷地内に小学校を建てたのです。
「読み書きと、簡単な計算くらい知らないと、悪い連中に騙されたりするからね」
領地内の子どもたちは、七歳から十二歳までは小学校に通えるようになり、子どもの世話をしなくて済む時間、母親たちは紙作りに従事できます。
出来た紙は、国が買い取るので、従事した母たちにも賃金が支払われます。
こうしてアガピアの住民たちは、幸せに暮らしました。
めでたしめでたし……
とはいかず。
母が亡くなってからは、種々の業務が滞り気味でした。
領地に戻り、カトラスと一緒に過ごす傍ら、私はなるべく領地内の人々の話を聞き、何が必要なのか、何が足りないかをチェックしました。
領地の人たちの希望とは。
小学校に行く前の幼児たちの面倒を、見てくれる場所が欲しい。
アガピアは母の代になって、王都から移住してくる人たちが増えましたが、その多くはお若い人たちです。自然に恵まれ、豊かな収入が見込めるこの地で、結婚し出産すると、今度は幼子を誰かに見てもらわないと、夫婦で働くことが難しい。
なるほど。
カトラスと過ごしながら、いかに子育てとは労力が必要なものか、私は実感したのです。
目の前で子どもの成長を見るのは楽しい。
とても楽しい。
でも。
自分の時間を持つことは、難しいのですね。
私は決心しました。
紙を作る女性たちが、出産後も復帰しやすいような場所。
夫と離れ、一人で子育てをしている女性の孤独が、癒せるような場所。
そんな場を、私が用意します。
「アガピアの魔女」と呼ばれた母の娘、ワタクシ、メリニアが!
あ、魔女の娘ということで、最近「魔法少女メリー」って呼ばれて……
ないです。
だって私、二十歳を軽く越えましたもの。
◆カトラス◆
もうすぐ小学校を卒業する。
あっという間だった。
今日、メリーに呼ばれて彼女の部屋に入った。
「はい、これちょっと着てみて」
渡された服は、コートにウエストコート。どちらも裾に豪華な刺繍が施されている。
「貴族の正装だからね。うん、ぴったりだわ」
派手じゃないか?
他の子は、こんな格好するんだろうか。
「大丈夫! 毎年女の子はドレス着てるし、男子もそれなりにオシャレするから」
見ると、メリーの指は、包帯が巻かれている。
まさか。
この刺繍、メリーがしたの?
忙しいのに。
小学校の横に、子ども園を作って、邸と何回も行き来して。
夜遅くまで、部屋の灯が点いていて。
「え? 刺繍? ああ、ウエストコートの方だけね」
俺はメリーの手を取って、頭を下げる。
ありがとう。
メリーがいなければ、今の俺はない。
本当はメリーの手の甲に、口づけをしたかった。
「それで、卒業したら、騎士学校に進学で良いのね」
メリーは彼女の母校、王立学園に行かせたかったみたいだ。
だがそうなると、王都に戻ることになる。
それだけは嫌だ。
今も……。
「騎士学校の演習場は、ウチの領地内だから、たまに帰ってくるでしょ?」
毎週帰ってくるさ。
寄宿舎もそれほど遠くない。
早く立派な騎士になるんだ。
姫を助ける、光の勇者みたいに。
◇王都の残念な人たち◇
数年前。
私メリニアは、十八歳になった時に、速攻爵位継承の申請をいたしました。
当然の如く、父は猛反対。
義母や義姉、サザス(敬称略)までもが騒ぎ立てました。
我が国の貴族には、王からお手当が出ますからね。
それに、領地の税収や紙の売り上げもアガピア家に入ります。
しかし、その収入は、領地の民の生活と、安全を保障するためのもの。
貴族が贅沢な生活をするためのもんじゃないんです。
仕方なく、父には、母が持っていたいくつかの爵位の一つを差し上げました。
ついでにアガピアの領地で、飛び地になっている場所を分けてあげましたの。
聖女のような娘に、感謝して欲しいですわ。
そこまで尽くしましたのに、「親不孝者!」とか「意地汚い女」とか罵られましたの。
全く、自己紹介乙、なんですね。
子爵位なんか嫌だとか言ったら、馬に蹴られますわよ。
「だって子爵じゃあ、王子と結婚できないじゃない!」
お猿さんのような義姉の叫びを聞きました。
なんと、サザスと義姉の間には、二人目のお子が誕生していたのです。
「わたくし、こういう娘が欲しかったのよ! 見て見て、わたくしにそっくりでしょう? ウチの姫」
確かに目付きの悪さはそっくりでした。
ベッタベタに可愛がっているのは分かりましたが、私の心には怒りの炎が揺れました。
あんた、カトラスにしたこと、忘れたの!
無詠唱の呪いでも、かけたくなりましたわ。
呪文知らんけど。
「子爵が嫌なら、男爵にしますよ」
怒りをこめて、私は言い放ちました。
シブシブと父が了承したので、私は王都の邸を去ったのです。
言いなりになる娘だと、思われていたのでしょうね。
お生憎様。
女が重ねた年齢は、固い鎧に変わるのよ!
◆カトラス◆
騎士学校は四年制だ。
三年生の終了時に、近衛騎士か辺境騎士か、それ以外に分かれる。
ちなみに近衛騎士は、本人の希望というより、教官の推薦で決まる。
俺は、メリーのための騎士でいたい。
「へえ、今度、御前試合があるのね」
三年終了時には、国王陛下の前で剣術の試合が行われる。
そこで優秀と認められると、近衛騎士になれるという。
「メリーも、観に来てくれる?」
「勿論!」
花が咲いたようなメリーの笑顔に、俺は癒される。
二十代の後半になったとはいえ、メリーは少女のような雰囲気だ。
相変わらず忙しいみたいだけど、俺が帰省した時は、一緒にいてくれる。
「ねえメリー」
「なあに?」
「メリーは、その、ええと、けっ、結婚しないの?」
メリーは首を傾げ、人差し指を唇に当てる。
「そうねえ、カトラス、あなたがお嫁さんを貰ったら、私も考えるわ」
そうか。
俺は小さく拳を握る。
まだ。
チャンスはあるんだ!
◇御前試合◇
めっきり、社交界から遠のいていた私です。
領地では、動きやすく汚れても構わない服しか着ていないため、王都に出向くとなると、気合を入れなければなりません。
しかし。
だがしかし!
うふふ。
私ね。
腐っても侯爵ですのよ(腐ってなくてよ)。
それなりに、化けることくらいできますわ。
何といっても、愛しのカトラスの晴れ姿を観に行くのです。
ドレスも新調いたしましたわ、自分で。
贈ってくれる相手がいないので。
試合は王宮の特設剣技場です。
しずしずと、招待席に向かいます。
だってほら、侯爵ですから。
会場に入ると、それはそれは、あちこちからの視線が痛いわ。
美しいって罪ね。
……ちょっとテンション上がり過ぎて、調子に乗りました。
お席はなんと、王族の方々のお近くですの。
会場が良く見渡せます。
あら!
カトラス!
騎士の制服に身を包み、髪もビシッと整えている。
なんて。
なんて。
カッコいいいい!!
思いきり手を振りたかったけれど、我慢したのは貴族の矜持ですのよ。
国王陛下が開会を告げ、勝ち抜き戦方式の試合が始まりました。
カトラスは順調に勝ち抜いています。
素人目にも、素早い剣さばきです。
準決勝戦の相手は、確か辺境伯のご子息ですわ。
カトラスよりも一回り、大きな体をしています。
見るからに。
おっさんみたい。
もとい。
強そうですわね。
会場全体に、重い金属音が響き、カトラスもお相手も互いに一歩も譲りません。
ああ!
相手の剣が、カトラスの頬をかすめました!
その瞬間、カトラスは相手の咽喉、に切っ先を突きつけました!
「勝者、カトラス!」
心臓に悪い観戦ですわ。
決勝戦は、休養後です。
「キャア! カトラス凄いわあ!! さすが私の息子!!」
会場の端から、品性下劣な声が響きました。
まさかね、と思って声の方を見ると、そのまさか。
カトラスの産みの親。私の義姉シモーヌが、窓ふきでもするかのような手つきで、カトラスに向かって身を乗り出している姿が見えたのです。
◇正体◇
イヤな予感がした私、決勝戦前の休憩時間に、騎士たちの控室を目指します。
私は走り出しました。
ドレスの裾を上げ、もう淑女とか令嬢とか脳内から追い出して。
アイツらならやる!
きっとやる!
「ねえねえ、ワタクシたち、カトラスの父親と母親なんですよぉ! 決勝戦前に励ましてあげたいの! いいでしょ」
やはり!
シモーヌは
アホだった!!
しかもシモーヌだけじゃない。
サザスや父までもいる!
「決勝戦前は、外部の方は、立入禁止です」
護衛の言葉で引くような、そんな連中ではないですわ。
飢えた烏の如く、ギャアギャア騒ぎ立てます。
仕方ない……
かくなる上は、私、メリニアが奴らを追い出さなければ。
場合によっては、
「お止め下さいな。アガピア子爵とその他の皆様」
護衛はハッとして敬礼する。
父と
「おお、我が愛しき娘、メリニアではないか!」
「不敬ですわ。侯爵とお呼びください」
「な、何よ、偉そうに!」
父の顔色は変わり、目が泳いでいます。
シモーヌは目をひん剥いて、逆毛を立てています。
サザスは空気。
何なのかしら、この人たち。
「偉そうに、ですか、間違っていますわよ」
私は三日月のような目で笑います。
「偉そうではなく、偉いのですよ、私。いえ、前アガピア侯爵だった、我が母は。
ねえ、父様?」
さすがの父もハッとしたようですが、今更ですわね。
「あ、あんたの母親なんか知らないわよ!」
シモーヌの叫びは、ごもっとも。
サザスはやはり空気。
「フィローリス・アガピア侯爵。またの名を『アガピアの魔女』は、先王の第六息女なり」
後方から声に、私は静かに向きを変え、淑女の礼をします。
慌てて父も膝をつき、シモーヌとサザスの頭を押さえます。
国王陛下がおなりでした。
「久しいな、メリニア。随分と、フィローリスに似てきたようだ」
陛下は私の頭をナデナデします。
「えっ? じゃあ、メリニアは、陛下の孫?」
「バカ者! 陛下の姪だ」
ひそひそと話す父とサザス。
「さよう。フィローリスは私の腹違いの妹であった。本来は、高位貴族か
アガピアというのは、先王の側妃であった、祖母の姓なのです。
「よって、フィローリスが持っていた、アガピア侯爵位と同時に、王位継承権もメリニアが継いでいるのだ。皆、心に留め置くべし!」
一同、平伏いたしました。
陛下はすれ違う時に、小声で私に言いました。
「メリーの好きなように、やっちゃっていいぞ」
かしこまりました。
これから陛下は、決勝戦前の二人の騎士に、それぞれ励ましのお言葉を授けるそうです。
だから私はカトラスの憂いを払うべく、ここに宣言いたします。
「王位継承権第十七位のアガピア侯爵が命ずる!
今後一切、カトラスと私の前に、顔を出すんじゃねえええ!!」
◇決着◇
はあ……
咽喉が枯れましたわ。
母がそうだったように、身分とか爵位とか関係ない生活を、ひそやかに送るつもりだったというのに。
ちらりと国王の座席に目をやると、陛下は親指を立て、笑顔になられてました。
さあ、決勝戦です。
カトラスのお相手は、近衛騎士団団長の次男だか三男。
カトラスよりも身長が高いです。
当然、
互いの剣を、撥ね返す音だけが聞えます。
『大きくなったら、光の勇者になるんだ』
そう言って、剣術の稽古をしていたカトラス。
本当に……
大きくなったね。
もう暗闇を、怖がることもないよね。
あら、やだ。
目から、水が……
その時。
決戦の場に、一条(ひとすじ》の光が降りました。
カトラスの剣は、その光を刀身に受けます。
彼の瞳も、黄金(きん》色に輝いたのです。
ヒュン!
風を切る音と共に、カトラスの剣は、相手の左胸を刺す!
その直前で、刃は止まっています。
旗が、上がります。
「勝者、カトラス!」
会場に舞う紙吹雪は、一つ一つがキラキラと輝いていました。
優勝したカトラスは、陛下から直々に勲章を授かります。
「見事であった、カトラス。優勝の褒美は、先ほど聞いたもので良いのだな?」
「はっ!」
陛下は私に向かって、指で小さくブイ字を投げてくださいました。
涙と何かの汁で、ぐしゃぐしゃになった私は、訳もわからず頷いていました。
◆カトラス◆
やった!
勝った!!
これで、国王陛下にお願いした、褒美をいただける!!
俺が願ったのはただ一つ。
一生かけてメリーを幸せにしたい。それだけだ。
陛下は仰った。
「それは、我が姪メリーを、妻にするということで良いのかな」
「はい!」
陛下は俺に命じられた。
「ふむ。年齢差はあるが、ま、いっか。
ならばカトラスよ、五年で功績を上げて
「ありがたき幸せにございます!」
十年、か。
短くはない年月だけど、一生かけて守ると決めたんだ。
絶対、やってみせる!
◇終章◇
私は今日も領地にて、預かった子どもたちのお世話やら、紙を作るための低木の伐採やらで走り回っています。
あ、でも、寄る年波には一勝二敗で負け越しです。
そうそう、子どもたちのお世話をする、専従の方の養成を始めましたわ。
遠い西国で、それは『ナニー』と呼ばれる、育児専門のお仕事なんですね。
カトラスが騎士学校を卒業して早十年。
彼は辺境で五年従軍し、その後は近衛騎士として、王太子の警護に当たっていましたの。
で、ようやく帰ってくるんです!
いくつかの勲章と騎士爵を得て、晴れて除隊となりました。
あとはカトラスがお嫁さんを貰えば、私の役目も終わりですね。
「ただいま、メリー!」
飛びついて来るカトラスは、大型犬のよう。
可愛い!
「お帰りなさい! ご飯出来てるわ」
「ちょっと待って。プレゼントがあるから」
ごそごそとポケットを探るカトラス。
何かしら?
王都で流行っている呪い人形?
「はい、これ」
えっ!
ええっ!
ちょ、ちょっとまって、これって!
「俺と、結婚、してください!」
カトラスが差し出したのは、指輪でした。
「え? いや、そんな! あなた、私が何歳だと思ってるの!」
「忘れた」
「四十よ四十! けっ、結婚なんて、子どもが出来るかどうかって年なのに」
パニクる私を、カトラスは抱きしめました。
「メリーがいればいい。俺はメリーだけいればいい。
メリー言ったよね。俺が結婚するまで自分はしないって。
だから。
俺と結婚してください!」
やだ……
目から……
洪水……
「陛下からの伝言。『王命により、メリーはカトラスと結婚すること』だって」
なんだよ、もう!
言葉が、出てこない……。
そして
私の年の数を越えるほど口づけを交わし、燃えるような夕焼けと、澄み切った朝焼けを、二人一緒に見つめたのです。
その次の日も、また次の日も。
二人、ずっと一緒に。
おしまい!
あ、追伸。
翌年、私は双子の赤ちゃんを産みました!
カトラスは今も、私の横にいるのです。
了
婚約破棄されたワタクシが、元婚約者の子どもをナニーするって、一体何!? 高取和生 @takatori-kazu
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