永久凍土

小狸

永久凍土

「幸せな物語を書きなさい」


 書いた小説を勝手に見た母親からのその言葉を、僕は忘れることができない。


 まず人の机を勝手に漁って、書き溜めていた小説を勝手に見るということで理解ができなかった。


 どういう神経をしているのだろう。


 子どもには人権がないのだろうか。


 育児漫画と称して、子どもの生体を包み隠さず世の中に公開する馬鹿な親どもと、僕の親は同じ種類の人間であったらしい。


 そのことを糾弾すると「家族なんだから」「親だから気になる」などという、なんの説得力の無い言葉が飛んできた。


 家族。


 まるで免罪符のように、母親はその言葉を使う。


 流石に嫌気が差していたので、「二度と見るな」と念を押して、僕は小説の隠し場所を変えた。


 とは言っても、信用はしていない。


 別の場所、鍵を掛けられるところに仕舞うことにした。


 それだけならばまだ一億歩譲ってもまだ良い。


 しかし――しかしだ。


 物語の内容にまで、口を出してくるというのはどういうことだろうか。


 幸せな物語を書け?


 ふざけている。ここにいる限り、自分には幸せな物語など書けるはずがない。


 そんなことも分からないのだろうか。


 いや、分からないのだろう。


 自分が親として信用されていないということも、どうせ理解していないのだ。

 

 その癖「老後の介護宜しくね」などと懇願して来るのだから、本当、たまったものではない。


 どうして僕の人生を滅茶苦茶にした人間を、生かす手伝いをせねばならないのだろう。


 さて。


 長々と色々と様々と、文句と現状を書き連ねてみたけれど――しかし。


 小説においてだけは、僕にも反骨精神があった。


 だから、幸せな物語を書いてみよう――と思い、今に至るという訳である。


 幸せ。幸せとは何だろう。

 

 そう考えた時に、いの一番に出てくるのは、



 。 



 という解答である。


 上手くいくはずのことも壊され、全部が全部上手くいかないことが当たり前、辛いことも苦しいことも「仕方ない」で済まさなくてはならない。こんな世の中で、自分が幸せを掴めるだなんて思えなかった。


 だから、そんな物語を書くことはできないのだ。


 例えば、出産を間近に控えた家庭の様子を書いたとしよう。


 幸せを演出するためなら、出産に立ち会い、涙を流して妻に感謝する夫、分娩室で頑張る妻、そして生まれる新しい命、親戚同士での命への歓迎、等々、そういう展開を想像することは、できる。


 ただ、そういう物語は絶対に書くことはできない。


 自分には、絶対に届かない幸せだから。


 書いていて、自分が辛くなるから。

 

 生涯届かないものを、目の前で見せられている気がして。


 ああ――そうか。


 今、分かった。


 


 だから、書けないのだ。


 ここまで考えて、書き下ろして、やっとこさ僕は、僕の精神性に気付くことができた。


 二十歳をとうに過ぎ、今更なことではあるけれど、こんな風に少しずつ、己の中の永久凍土を氷解させていこうと思う。


 せっかくだ。


 この場所にこうして、記述しておくことにしよう。


 読者の皆様は、不器用で、不幸を追い求め、幸せに嫉妬する馬鹿な男の独白として、この読み物を処理してもらいたい。


 最後に一つだけ。


 忠告など出来る立場ではないことは重々承知しているけれど、これだけは注意しておきたい。


 こんな風になったら、人間、おしまいである。



(了)










 

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