現実10

 姫乃風花に連れられて、審はお墓の前に来ていた。予期せぬことに、姫乃風花の同伴者と一緒に電車を使ってここまで来たのだ。電車の中で自己紹介をしたところによると、その男の名前は霧雨駿河というらしい。自己紹介が終わったタイミングで、審は姫乃風花の記憶を思い出していた。霧雨駿河が、川のほとりで姫乃風花の隣で眠っていた少年の顔と瓜二つだったからだ。どうやら、あの時の少年が成長した姿が目の前にいる男であるらしいと合点がいった。もう一人、その記憶に、姫乃風花に梵と呼ばれた少年も居たと記憶していた審は、だからある一つの墓石を見て驚いた。


柊木梵


 墓石には、はっきりとそう刻まれていた。

「僕の親友なんだけどね、そいつが乗り合わせていたバスが事故に遭って亡くなったんだ」

 悲し気にそう言った姫乃風花の言葉で、審はバスの横転で死傷者が出たニュースを思い出した。その隣に立っている霧雨駿河も、同じように表情を歪ませていた。

「実は、そこに僕も乗り合わせていたんだ。正確に云うと僕ではなく、もう一人の僕がね」

 姫乃風花の言葉の意味が理解できなかった審は、首を傾げた。その反応を予期していたかのように、姫乃風花は頷いて言った。

「解離性同一性障害。僕はいわゆる、二重人格者なんだ。主人格は姫乃風花で、副人格は僕。つまり、本物の姫乃風花は別にいる。僕の名前は一応、姫乃海斗っていうことで通ってる。僕は自分のことを男だと認識しているんだ。君とやり取りをしていたときは、自分のことを『私』って呼んでいたけどね」

 審は姫乃風花と相対してから今に至るまで抱いていた違和感が払拭されるのを感じた。触れることはなかったが、姫乃風花が自分のことをずっと「僕」と呼んでいることに違和感を抱いていた。姫乃風花と通話したときも、こうやって今目の前にしていても、どこからどう見ても女性の姿をしていたからだ。

「……海斗。姫乃風花の記憶で聞いた名前だ」

「多分、風花の記憶に僕の記憶も混じってたんだろうね」

「そうか、だから記憶毎に違和感を抱いたんだ。記憶に対して抱く感情で一つ異質なものがあったのは、それが原因だったのか」

 審は、記憶別で梵に対する風花の気持ちが全く異なっていたことを思い出した。

「僕は風花の夢を観測する能力がある。まぁ、能力というよりは、眠ってしまえば風花の夢が自動的に共有されるんだよね。つまり、僕は自分自身の夢を見ることもなければ、ここに居る駿河っていう奴や風花みたいな特殊能力はない。だから、僕は君を頼った」

 姫乃風花改め、姫乃海斗は、申し訳なさそうに審に微笑んだ。

「じゃあ、あんたがずっと、風花の夢を創ってたのか」

 駿河という男が審を睨んだ。

「彼は僕にお願いされてやっただけに過ぎない。事情は伝えていないんだ」

 海斗の言葉に、駿河は難しい顔をして唸った。

「本当は、用意してきた睡眠薬を飲んで、砂田くんにたくさん夢を創ってもらおうと思ったんだけど、駿河に掴まってここまで一緒に来てしまった。もしかするとお天道様は、フェアを求めているのかもしれないね」

 海斗は何かを諦めたように笑った。そして、審に向き直ると、切実な表情を浮かべた。

「砂田くんには本当のことを言うよ。僕の話を聞いた上でどうするかは、君に任せることにする」

 海斗はそう言って微笑むと、話し始めた。

「さっき、バスに僕が乗り合わせていたって言ったよね? その時に表出していたのは、この身体の主人格である風花なんだ。その事故のショックで、どういうわけか風花は目を覚まさず、代わりに僕がずっと活動状態になっている。でも、風花は消え去ったわけじゃない。眠っているんだ。砂田くんが何度も夢を創ってやった相手。それは、間違いなく風花だ」

 審は海斗の説明で、自分が形成した夢が消えていないことから、姫乃風花が目覚めていないと疑問に思っていたことを思い出した。

「風花は今、夢の中でその墓石に眠る梵っていう奴と日常を送る夢を見ている。風花はきっと、事故に遭って意識を失う直前に、目の前で梵が絶命したことを理解したんだろうね。だから、風花は現実世界に二度と戻らないように、梵が今まで通り生きている世界を創り上げた。自分も事故のことなんかすっかり忘れてね。最初から、事故なんてなかった世界の中で、風花は生きている。

 僕はそんな風花の願いを、もう少し叶えてやりたいと思ってる。けど、ここに居る駿河は、そうは思っていない。風花に目覚めてほしいと願ってる。でも僕は、駿河が風花を目覚めさせることを恐れた。だってそうだろう? 風花が現実の世界に戻って、梵がもうこの世には居ないことを知ったらどうなるか、想像するのは難しくない……ごめん。僕の私見を含み過ぎたね。

 僕は駿河の意見には反対だ。けれど、間違っているとは思わない。まだ風花が目覚める準備を終えていないのは事実だろうけど、だからといってこのまま目覚めないわけにもいかない。きっとこのままズルズル先延ばしにしても、風花のためにはならない。おそらく風花は、一生梵が居ない世界に戻る決心なんてつかない。だったら、いつ目覚めさせたっていいわけだ。

 そこで、君には選んでほしいんだ。眠った僕に複数の夢を形成して、風花を目覚めさせようとする駿河の障壁を作る。つまり、僕に肩入れをするか。

 夢の中に閉じ込められた風花を取り戻そうとする駿河のために、君は風花に手を下さない。夢の形成に着手しない。

 僕や駿河のためじゃなくとも、風花のことを思って、どちらを選択するべきなのか。

 その答えを、君には示してほしい。もしも僕に肩入れをしてくれるのなら、この後睡眠薬を服用して眠る僕に大量の夢を創ってほしい。もしも駿河に肩入れをするのなら、このまま何もせずに帰ってもらう。あ、どちらを君が選ぼうと、これまでのお礼はさせてもらうからそこは安心してほしい」

 冗談めかして笑う海斗に、審は困惑した。突然そんな選択を迫られても、どちらかを選ばなければいけないのはあまりにも酷だ。何故なら、どちらかの願いを叶えると同時にどちらかの願いを踏みにじり、はたまた一人の少女の今後が掛かっているのだ。

「難しい選択を迫っているのは、もちろん理解している。見ず知らずの君にお願いするようなことじゃないのは重々承知している。でも、僕にも、おそらくは駿河にも、どちらが良いのか踏ん切りがついていないんだ」

 海斗の言葉で審が駿河に視線を移した。すると、駿河は苦しそうに目を逸らした。

「……随分と時間を食ってしまったみたいだ。とりあえず、ご飯でも食べに行こう。もちろん僕の奢りで。砂田くん。君は何が食べたい?」

 首を傾げる海斗に、審は何も答えることができなかった。


 結局リクエストすることのできなかった審は、海斗に連れられて焼肉に来ていた。それどころではないだろうとは思ったものの、どうしてもこれまでのお礼がしたいと言い張る海斗の気持ちを踏みにじるわけにもいかず、審は渋々頷くしかなかった。

 お通しされて席に着き、メニュー表を見たところで、学生が来るような焼き肉店ではないことに審は気付いた。

「……高くない?」

「ん? あー、気にしないでよ。僕の奢りだから」

「いやいや、だから気にするんだってば」

 審が抗議すると、海斗はクスクスと笑った。

「本当に君は人が良いな。僕に協力してくれたり、遠慮したりしてさ」

 海斗のズレた審への評価に、これ以上の抗議は不毛になると予感して、審は閉口するしかなかった。

「駿河も、遠慮なく食べてよ」

「……自分の分は自分で払う」

「意地張っちゃって」

 冷やかすようにそう言った海斗に、駿河は睨みを利かせた。しかし、すぐに諦めたように溜息を吐いた。

 その様子を見ていた審は、素朴な疑問を口にした。

「二人は仲悪いの?」

「悪いな」

「一方的に嫌われてる」

 駿河は審の言葉に首肯し、海斗は両手を上げて首を振った。

「嘘つけ。お前も俺のこと嫌ってるだろ」

「嫌ってはないけど、少なくとも好きではない。だって、自分を嫌ってくる相手を好きになるなんて難しいでしょ?」

「……どうして霧雨さんは海斗くんのことが?」

 審が訊くと、駿河は頭を掻きながら鬱陶しそうに答えた。

「……そりゃ、自分の好きな奴の身体に男が入ってるんじゃあ、嫌にもなるだろ。それに、風花と話す時間も減ることになる」

「……なるほど」

「それもあるんだろうけど、大元の理由は別にあるよ。風花は小さかった頃、目の前で父親を亡くしたんだ」

「お前……」

 海斗が平然とそう言ったことに、駿河は驚いた様子だった。

「砂田くんには言う義務があるからね」

 海斗は駿河にウインクをすると、真剣な表情をして審に言った。

「その時のことが、風花にはえらくショックだったみたいでね。当然ではあるけど。そのショックが原因で、僕という新たな人格が生まれたんだ」

 審は姫乃風花の記憶で、父親が血だまりを作って倒れていた光景と、母親と一緒に医者に診てもらっている様子を思い出していた。あの時の記憶は、そういうことだったのか。

「そこからが大変だったんだ。僕の意識が姫乃風花を制御している間、女の子の身体をしていながら男みたいな喋り方はするし、一人称は『僕』であるせいで、いじめられるようになっちゃったんだ。それが原因で、風花は塞ぎ込むようになった。だから、母さんにも煙たがれるようになった。当然、駿河に嫌われても仕方ない。だって、僕のせいで自分の好きな子がいじめられるようになったんだから」

 海斗が申し訳なさそうに駿河を見ると、駿河は気まずそうに水をあおった。その様子を見ながら、審は姫乃風花の記憶で「男みたいで気持ち悪い」と少年少女たちに詰め寄られていたことを思い出していた。

「同級生たちはみんな風花のことを煙たがっていたのに、梵だけは違ったんだ」

 海斗は遠い記憶に馳せるように、微笑みながら言った。

「小学校低学年のとき、風花は梵と出会った。幼稚園の頃から一緒だった駿河とクラスが離れ離れになって不安がっていたらしいけど、自分を普通の人間と同じように接してくれる梵に救われたそうだ。で、いつの間にか梵に惹かれてたわけだ」

「きっかけは、白雪姫の劇だってよ」

 それまで口を閉ざしていた駿河が、酔っぱらったようにコップを力強くテーブルに叩き置いた。

「質の悪い当時のクラスメイトたちは、風花を白雪姫役に立候補させた。それで、誰も王子役に名乗り出ないのをからかおうと口裏を合わせていたらしい。だが、そこで空気を読まずに、梵がすぐに王子役に名乗り出たんだとよ」

「それでクラっときちゃったわけか」

 海斗はからかうように駿河に言った。しかし駿河は、そんな海斗の茶化しに応じることなく、至って真剣に答えた。

「いいや。風花は、その前から梵のことが好きだったんだろうよ。風花は一度たりとも俺に目を向けたことはない。おそらく、風花は梵じゃなきゃダメなんだろうな」

 駿河の言葉で場がしんみりすると、海斗は気まずそうに謝った。するとタイミングよく、店員さんが肉を運んで来た。海斗はそれを丁寧に受け取ると、早速焼き始めた。

「僕は焼肉奉行だから、勝手に塩梅を推し量って取り皿に入れまくるからね」

 海斗はそう言って審にウインクした。

 しばらく静かに肉が海斗の手によって焼かれていると、駿河が先ほどの話題を持ち出してきた。そのことに、海斗は少し驚いている様子だった。

「だから俺は、あいつに気を許すことにした。梵と話すうちに、気付いた。風花が梵を好きになった理由に」

 駿河の言葉に、審は思わず疑問を投げかけた。

「それで梵さんのこと、嫌いになったりは?」

「嫌いにはならねえよ。ただ、むかつくのは当然だよな」

 そうやって駿河が鼻を鳴らすと、「はいよ」という掛け声で海斗が肉を取り皿に置いた。

「サンキュー」

 駿河は海斗に礼を述べると、それを口に運んだ。そのタイミングで、海斗は審にも肉を渡してきた。

「うまいな」

 駿河はそう言って、審に「早く食ってみろ」と促した。それに従って審も肉を口にした。

「……うまい。やっぱり、普通の肉とは違う」

「あはは。そりゃ奢り甲斐があるってもんだ」

 海斗は笑いながら、自分の分を取り分けることなく、次々と審と駿河の皿に肉を乗せていった。ようやく自分の分の肉を取った海斗は、それを美味しそうに食べた。そして笑顔のまま、海斗は駿河に言った。

「夢に潜ったらさ、ちゃんと梵と話しなよ。もう現実世界では会うことはないんだから。風花はずっと、駿河と梵がまた仲良く一緒に居ることを望んでいるらしいからさ」

「……なんでお前が風花の気持ち知ってんだよ。夢だけじゃなく、気持ちまで共有できるのか?」

「まさか。言ってなかったけど、僕は風花と交換日記をしてるんだ。それで相談されていたんだよ。どうしたら、二人がまた仲良くなれるだろうかって。どうしたら梵は、私たちに心を開いてくれるだろうかって」

「…………」

「だから、僕は返した。風花が梵に話しかけてみればって。強引でもいいから、昔の関係に引きずり戻してしまえって。後は、駿河が素直になるのを待つだけだろうから」

 海斗は肉を裏返しながら、駿河を見た。駿河は唸りながら肉を頬張った。

 ここまで話を聞いてみて、審は疑問に思ったことを口にした。

「あれ? 霧雨さんは梵さんと仲良いって話じゃ?」

「それは、中学を卒業する前までの話だ」

 駿河は不機嫌そうに審に言った。

「俺や風花に夢に関係する特殊能力があるのは知ってるよな?」

「うん」

「だが、この能力を信じるような奴は、周りには居なかった。それはそうだろうな。俺だって、もし自分にそういった類の能力がなけりゃあ信じることなんて到底できなかっただろうよ。だが、梵には話したんだ。俺も風花も、あいつになら夢の話をする仲になってもいいと思ってな。そうしたら偶然、梵も能力を持ってるってんだからたまげた。

そのうち、風花の事情も話した。風花には、二つの人格が存在してると。あいつは驚いていたが、風花から距離を空ける素振りは全くなかった。俺はあいつのことを、親友だと思っていた。だが、あいつは雪山で」

 そこまで言うと、駿河は苦い表情を浮かべて口を閉ざした。審は今の駿河の発言で、姫乃風花が印象深く思っていた雪山の記憶がフラッシュバックした。

「風花さんを残して、梵さんが洞窟から出た」

 審が記憶をなぞらえながら言うと、駿河と海斗は驚いた顔をした。

「……そうか。あんたの能力で知ったわけか。そうだ。あいつは、風花を残して洞窟を出た」

 駿河は気持ちを落ち着かせるように息を吐いた。

「小学校を卒業した俺たちは、記念に家族を交えてスキー旅行に行ったんだ。途中までは、いつも通り仲良く遊んでいたわけだが、俺たちは大人から離れてスキーを滑りたくなったんだ。誰が言い出したのかも覚えちゃいねえ。

 開放的な気分になってた俺たちは、人気の少ない山の端に行った。そして、知らないうちに吹雪に呑まれてた。悪天候になるとはちらっと小耳に挟んでいたが、まさかここまでひどくなるとは思っていなかった。それまで快晴だったからな。

 吹雪で視覚もまともに機能しちゃくれない状況の中、俺たちは洞窟を見つけた。だが、俺たち三人の体力は雪に足を取られ続けて限界だった。特に、風花はその日体調があまり良くなかったそうだ。それは後から知ったんだが。

 とにかく、風花の容態が悪いことに、俺と梵は焦った。今にも意識を失いそうな風花を横にしながら、俺は梵に言ったんだ。風花の側に居てやってくれと。この三人の中なら、俺が一番体力がある。だから、洞窟から出て大人を探そうと思ったんだ。梵は危険だからと俺を止めたが、風花の命が危ないことを引き合いに出すと、あいつは頷いた。

 だから、俺は梵を信じて洞窟を飛び出した。人を探すのは当然難航したし、俺の体力が尽きるのも時間の問題だった。だが、運良く吹雪が収まって視界が明けた頃に、俺は人に出会えた。その時に随分と宿舎から離れたところに俺たちが居たことに気付いた。俺は大人たちを連れて洞窟に向かった。だが、そこには凍死しかけた風花しか居なかった。

 数十人掛かりで梵を探した結果、雪に埋もれた梵が気を失って倒れてるのを発見した。幸い命に別状はなかったし、風花の話によれば梵は人の気配がして洞窟を出たと言っていた。だがその道中、本人によれば、足を滑らせて雪山を転げ落ちてしまったらしい。とにかく、梵が自分一人だけが助かろうと思っていたわけではないことは理解している。

 だが、事情はどうあれ、風花を一人にしないと約束したにも関わらずに洞窟を出たことが、俺は許せなかった。風花はどれだけ自分が辛くても、それを人に言うことのない奴なんだ。梵だって、それを理解していたはずだ。それに、俺はもうこれ以上、風花が変わっちまうのを見たくなかった。俺は風花が親父を亡くして我を失っていた日々を知ってるんだよ。もしもまた風花の身に何かあったらどうするんだと、俺は梵を責めた。

 そのことがあって以来、俺は梵を突き放した。梵も当然ではあるが、責任を感じたんだろう。俺や風花を避けるようになった。中学三年間は、あいつと喋った記憶がない。だが、あいつとの情報共有がなくなったことが皮肉となって、何の因果か俺たち三人は同じ高校に進学することになった。願書を出しに行くとき、強制的に俺たち三人で行く必要があったんだが、あいつは一言も俺たちに話しかけてくることはなかった」

 そこまで一気に話し終えると、駿河は水を一杯飲み干した。

「それで、今に至るってわけだ。俺はまともにあいつと口を利かないまま、二度と会うことはなくなっちまったわけだ」

「……それで、海斗くんはけじめをつけろって話を霧雨さんにしたのか」

 審が確認すると、駿河と海斗は同時に頷いた。

「風花は高校の文化祭で、また白雪姫を演じることになった。俺は風花が好きだから、王子役に立候補した。だが、梵は前とは違って挙手しなかった。俺たちに後ろめたさがあるからなのか、単に勇気がなかったからなのか、俺に遠慮しているからなのかは分からねえが、気に食わなかったな。周りの奴らは俺と風花がお似合いだと囃し立てたが、風花が俺に靡くことは絶対にない。おそらく風花は、あの時みたいに梵が王子役に立候補することに賭けて白雪姫になったんだろうからな。結局風花は、本当に白雪姫みたいに眠っちまって、梵を王子役にしたいらしい。俺は梵に敵いやしないんだ」

「……駿河」

 海斗は心配そうに駿河の表情を窺った。しかし駿河は海斗の心配をよそに腕を組んで審に視線を移した。

「今夜、まぁ、あんた次第にはなるが、俺は風花にちゃんと言うつもりだ。梵は死んだってな。梵が死んだことを正直に話せば、風花は絶対目覚めることを選ばないって理解していたから、今まで言えなかった。ずるいよな」

 駿河は自嘲するように言った。それから海斗に向き直ると、駿河は申し訳なさそうに笑った。

「心のどこかで、俺はお前が少しでも長く表出していたいがために、風花を眠らせたままにしているんじゃないかと思っていた。だが、それは俺の歪んだ考えだったと分かった。悪かったな、海斗。俺はこんな状況になっちまったのを、誰かの責任に仕立て上げたいって思っていたんだと思う」

 駿河の謝罪に、海斗は微笑を浮かべた。

「なんとなく、駿河がそう疑ってるんだろうなって気付いてた。実は、僕は風花に提案したことがあるんだ。僕という存在が原因で風花が苦しんでしまっている。だから、今日限りで君に姫乃風花の身体を返すって。でも、次に僕の意識が浮上して日記を確認したら、それはできないって書いてあった。風花は僕のことを、一人の人間だって認めてくれていたんだ。災いの元凶だった僕をね。結局、放課後家に帰ってからの時間で僕が表出するというところで、話は収束したんだ」

 海斗は憂いを帯びた表情をしていた。駿河はどこか迷いを抱いているような面持ちだ。審は二人の様子を見ながら、自分はどうするべきなのか、必死に答えを探し続けていた。

 腹が膨れて最後にデザートを頼むことになった審は、オレンジ味のシャーベットをオーダーした。海斗はメロン味のシャーベットを、駿河はバニラアイスを注文した。

 ちまちまとシャーベットを審が食べていると、海斗が訊いてきた。

「そろそろお別れの時間になっちゃうから聞いておきたいんだけど、砂田くんはどうして僕に協力してくれたの? はっきり言って、あの手紙やツイッターのDMはかなり怪しかったと思うけど」

「……多分、救われたかったんだと思う。俺、自分の能力のせいで家族がバラバラになったんだ。だから、俺の能力が誰かの役に立てば、何かしらの罪滅ぼしになると思った」

 審が言うと、海斗は神妙な面持ちで頷いた。

「むしろ、俺も疑問だったんだ。過去に自分の能力が嘘っぱちだったって公表したにも関わらず、どうして今になって協力を乞うんだろうって」

「やっぱり、覚えてないんだね」

 海斗はそう言って笑うと、頭を押さえた。おそらくシャーベットの冷たさが頭痛に変換されたのだろう。

「昔、砂田くんがテレビの企画で、一般人にも能力を使う検証があったよね」

「……あー、懐かしいな。一般応募を受け付けてたやつか」

「うん。それで、どうやらその企画に風花が応募してたらしいんだけど、偶然にも受理されちゃって。でも、取材が来たのがちょうど僕が表出していたときだったんだ。僕は困惑しながら説明を受けて、顔写真を取られた。きっと今の時代じゃクレームが来るだろうけどね。それから、見たい夢の内容を取材して来た人たちに伝えた。

そしてその日の晩に、僕は本当に君に依頼した夢を見たんだ。といっても、夢に関しては主人格である風花しか見ないんだけど、僕は風花の見ている夢を共有して見ていた。そして、驚いた。オーダーした通りの夢を、風花は見ていた。それで僕は、もしかすると砂田審という人間は、風花や駿河と同じような能力を本当に持っているのかもしれないと思うようになった。その時のことが印象に残っていたから、あれから十年が経ったけど、僕は砂田くんに手紙を送ったんだ。君が出版した本の最後に記されてあった出版社宛にね」

「……そうだったのか」

 審は当時の記憶を探ってみたが、思い出すことはできなかった。ただ、もしも過去にテレビ出演をしていなければ、こうやって自分の能力を誰かに使うこともなかったことを思うと不思議な気持ちになった。

 全員がデザートを完食すると、海斗は腹をさすりながら審に言った。

「砂田くん。一つだけ言わせてほしい」

「なに?」

「君の能力は、誰かのためにある。君のおかげで、僕は本当に助かった。風花も。駿河は分からないけどね」

 海斗は苦笑しながら駿河に視線をやった。駿河は鬱陶しそうに海斗から目を逸らした。

「だけど、能力を持っているからといって、誰かのためだけに自分を使うのは良くない。だから、風花の件について君がどう結論を下すのかについては、一切口を挟まないことを約束しよう」

 海斗の言葉に、審は思わず背筋を伸ばした。

「駿河、君もこの場に居たんだ。僕はあくまでフェアを期したつもりだよ」

 駿河は海斗の発言に鼻を鳴らして腕を組んだ。だが、反論しないあたり、海斗の言葉に納得していると見ていいだろう。

 海斗は審と駿河を交互に様子見ると、「さて」と言って手を鳴らし、立ち上がった。

「清算の時間だ」


「ごちそうさま」

 審が海斗に言うと、海斗はおくびをしながら手を振った。

「お礼できて良かったよ。これでもう、心残りはない」

 駿河はズボンのポケットに手を突っ込みながら、「うす」と海斗に軽く頭を下げた。結局、駿河も海斗に奢ってもらったのだ。海斗は「どういたしまして」と笑った。

 三人で駅まで向かい、遂に審がどちらを選択したのか表明するときが来た。駅までの道は、焼肉を食べていたときに比べて空気が重く、随分と会話が減っていた。しかし、審はあくまで自分の決断を突き通そうと決心していた。

 駅の改札前まで来ると、審は二人に向き直った。二人は神妙な面持ちで、審が口を開くのを待っていた。審は二人の顔を交互に見つめてから、やがて二人の顔を同時に視界の中で捉えた。

「俺は、もう夢を創らない。第三者の意見として、風花さんは目覚めた方が良い、と思う」

 審がきっぱりとそう言うと、駿河は驚いたように、海斗は憑き物が取れたような表情になった。やがて海斗は深く息を吐くと、審の方に歩み寄り、そして、手を差し出した。

「今日までありがとね」

 海斗はそう言って審に微笑みかけた。審は自分の決断に後悔はないが、申し訳ない気持ちから少し俯いて海斗の手を取った。そして、握手を交わした。

「この選択が正しいのかどうか、やっぱり分からない。けど、風花さんにはどうか、強く生きてほしい」

「ありがとう。ここに居る全員、いや、風花本人でさえ、どちらが風花のためになるのか分からないと思う。少なくとも僕は、君がそれを選択してくれて、ほっとしているよ」

 海斗の言葉に、嘘偽りはない様子だった。

 海斗との握手を終えた審は、駿河の方に向き直った。そして、頭を下げた。

「今まで風花さんが目覚める邪魔をしてきてすみませんでした。俺の選択がどうか、風花さんが良い方向に進むことができるきっかけになればと思います」

「……あんたがどちらを選ぼうと、俺は力づくで風花を目覚めさせるつもりだった。だが、邪魔するつもりもなかった。俺はやっぱり、あんたがその選択をしてくれてほっとしてるよ」

 駿河はそう言って、審の肩に手を置いた。頭を上げた審と目が合うと、駿河は頷いた。

「じゃあ、気を付けてね」

 海斗は審に手を振った。

「風花さんが無事に現実世界で生きられることを願っています」

 審は二人にそう言い残して、改札を潜った。自分が関わった人間全ての幸福を願いながら。


電車を乗り継いで家にたどり着いた審は、不思議そうに自分を迎え入れた玲子に言った。

「ただいま」

「お帰り。ご飯要らないって連絡が来るからどうしちゃったのかと思ってたの。本当に要らないの?」

「うん。食べて来たから」

「一人で?」

「いいや、俺含めて三人だよ」

「……本当に?」

 玲子は驚いたように口元を両手で押さえた。無理もない。幼い頃に家庭が崩壊してから、審は誰かと関わることを極端に嫌うようになっていた。そのため、友人や恋人が出来たという話を、玲子は審の口から聞いたことがなかった。

「一体、誰と?」

 玲子の問いかけに、審は振り返って答えた。

「幸せになって欲しいと思う人たちとだよ」

 審の言葉に、玲子は首を傾げた。しかし、ゆっくりと、涙を浮かべながら微笑んだ。

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