夢見る白雪姫

折色 寄

夢i

 夏休みが終わって二週間ほどが経った放課後の空は、秋の始まりを告げるような夕焼けに染められている。毎年経験しているはずなのに、何をするでもなかったはずの夏休みがこんなにも恋しくなるとは予想していなかった。

「あーあ。くそだりぃ。授業マジで眠い」

 学生鞄を背負うようにして揺らす駿河が、まだ夏の暑さを残した空気に苛立つように顔を顰めた。

「昼寝する癖がついてるから、まだ授業に慣れないね」

 早めにカーディガンを着ている僕とは違って半袖のシャツを汗ばませている駿河に、僕は同調した。

「私はみんなとこうやって話したかったから、夏休みが終わって嬉しいのに」

 僕と駿河のやり取りにクスクスと笑う風花は、僕と同じくカーディガンを着ている。僕や駿河と違って機嫌良さげにそう言っているあたり、本心なのだろう。その心意気に感心はしたものの、共感はできなかった。

「つーか、結局夏休みの間に集まったの二回だけだよな」

「しかも、結局駿河の家に集まってゲームしただけだし」

「ごめん。僕が海で日焼けしたくないばかりに」

「理由が女子過ぎて笑える」

 漠然と夏休みに集まることは計画していたけど、その詳細までは詰めきられておらず、ダラダラと休みが消化されていった。その結果、夏休みが明けるまでに三人で集まったのは駿河の言った通り二回だけだった。元々海に行く予定だったけど、運動嫌いの僕が猛反対したせいで二人ともインドアの遊びしかできなかったのだ。その件に関しては本当に申し訳なかったと思っている。

「来年はちゃんと夏休みらしいことしようぜ」

 駿河が気怠げに言った。僕と風花はその言葉に頷いた。

「本当は今年用に買った水着があったんだよね。来年も着れるように身体を整えておかなくちゃ」

「うわー、それは惜しいことした。な、梵」

「……どうして僕に同意を求めるのさ」

 駿河はニヤニヤと僕の顔を窺っている。理由は単純明快。僕が風花を好きだからだ。ただ、それはお互い様だ。駿河だって、風花のことが好きだ。駿河に至っては、僕に直接そう告げてきたのだ。何故僕に打ち明けたのか尋ねると、「公平を期すため」だと言っていた。つまり、最初から駿河には僕の気持ちが筒抜けだったわけだ。

 僕が気まずい思いでいると、駿河は話題を転換した。

「ま、もうすぐ文化祭あるし、夏休みの後悔もそれでチャラにしようぜ」

「そういえばそうだったね。しかも、風花は主役で劇に出るしね」

 駿河の話題提供に乗っかって、僕は早口でそう言った。

「そうなんだよね。セリフは一応全部覚えたけど、本番で上手くいくかすっごく不安」

「主役は大変だな」

「他人事みたいに言ってるけど、駿河は王子様役でしょ」

 僕の指摘に風花は頷いた。

「そうだよ。ちゃんとセリフは覚えたの?」

「んー? あんま覚えてないけど、まぁ、なんとかなるっしょ」

「……ほんと、どうしてそう楽観的でいられるのか不思議」

 自分とは対照的な駿河に呆れる風花を見て、僕は思わず噴き出した。その様子に風花は頬を膨らませた。

「もう、梵も他人事だと思って」

「ごめんごめん。でも、二人なら大丈夫だよ」

 風花は怪訝そうに僕を見つめたけど、僕はあながち嘘を言ったわけではない。むしろ、本心から思って出た言葉だった。

「そういや、王子が白雪姫にキスするシーンあるだろ? あれってマジですんの?」

「ば、馬鹿! そんなわけないじゃん!」

 しれっととんでもないことを口にした駿河に、風花は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「おいおい、冗談だよ。そうマジになるなって」

「もう! 駿河の馬鹿!」

 風花が腕を組んでそっぽを向いた。そのタイミングで、僕は駿河と目が合った。駿河は口角を少し上げると、僕にウインクをした。駿河の意図が分かって、僕は複雑な気持ちになった。ただ、嫌な気はしない。それどころかこうやっていつも通り三人でつるんでいることが楽しい。

 だから僕は、これが夢なのだと強く自覚した。

僕には特殊能力がある。それは、夢を夢だと認識する、いわゆる明晰夢を見れるというものだ。見れるというよりも、見てしまうと言った方が正しいだろう。僕の意志とは無関係に、自動的な夢への理解が訪れるのだ。

 僕は夢を見始めてから今に至るまで、目の前に広がる光景が夢であることを理解していた。絶対夢感とでも言うのだろうか。とにかく、感覚的にこれが夢だと分かっていた。ただ、夢のどの部分に矛盾が潜んでいるかについては、自分で探す必要がある。

 まず現実世界に則した設定といえるのは、今は夏休みが終わって一週間ほどが経っていること、文化祭が近づいているということ、駿河と風花が劇に出演してそれぞれが王子様と白雪姫を演じるということ、そして僕と駿河が風花のことを好きだということだ。

 そして、現実世界に矛盾していることは、僕と駿河と風花、この三人が仲良くつるんでいて放課後に一緒に帰るような仲だということ、ただそれだけだ。これが単純にして最大の矛盾だ。幼馴染でありながら小学校を卒業してから高校一年生になるまで、僕は駿河と風花の二人と口を利いていない。二人は交流があったようだけど、僕の知る範疇ではない。

 きっとこの夢は僕の願望が反映されたものなのだろう。ある時をきっかけとして、僕たち三人の仲は壊れてしまった。以来僕は、意図的に二人を避けている。だって僕は、風花を殺しかけてしまったのだから。こんなおこがましい夢を見ることにさえ後ろめたさを抱く僕は、さっさとこの夢から目覚めてしまうべきなのだ。

「……梵? どうして泣いてるの?」

 風花が心配そうに僕の頬を撫でた。それで初めて、僕が涙を流していることに気付いた。風花の指先が少し濡れている。

「悪い、梵。からかいすぎたか」

 心配そうに僕の肩に手を乗せた駿河に、僕は大きくかぶりを振った。

「違う、目にゴミが入っただけだよ。心配し過ぎ、二人とも」

 そう言った自分の声が、涙を流すときに特有の震えを伴っているのは明らかだった。僕は必死で涙を止めようとカーディガンの袖で目元を拭った。

 顔を上げると、涙で濁った視界に心配する二人の顔が映った。その光景がさらに歪んできて、僕は悟った。僕にとって都合の良い、甘美な世界はこれで終わりなのだと。僕はそのことを嘆くように、わがままを零した。

「目覚めたく、ないなぁ」

 諦観したような自分の声を鼓膜で受け取りながら、僕は生命の恵みとなる光を感知した。

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