17◆光の隙間に

「…私を呼んだということは、通常の以津真天とは異なるものが現れたんだな」

「そうなんです…!!過去に描かれた絵巻と見比べてもかなり大きく、まるで龍のようで…神主5人で掛かりましたが、とても太刀打ち出来ませんでした…」


悔しげに包帯を巻かれた自身の右腕を見つめる山貫さん。肋骨も何本か折れているらしく、本来鳴くだけの以津真天にしては異常に強力なようだった。

この様子を見ていた私は、子供ながらにただならぬことが起きているんだと察していた。


「では、深夜にそちらに向かおう。加々禰、起きていられるな」

「うん、大丈夫」

「加々禰ちゃんもお連れになるんですか!?」

「加々禰は将来宮司になる。経験は多いに越したことはない」

「…そう、ですか…」











深夜2時。

黄気神社の様子は、思ったよりも酷かった。

陽の光が差し込む隙もないくらいに生い茂った木々と、蔦と苔に身を這われて神聖さを失った灰色の鳥居。

奥には、不気味な霊気を纏う木製の真っ黒な本殿が寂しげに建っていた。


「山貫、加々禰の身を守っていてくれるか」

「わ、わかりました!」

「加々禰も、なるべく自分の身は自分で守るように」


こくりと頷く。

父は本殿の前まで進むと、一呼吸置いてからパンパンと二つ拍手をした。

その刹那、何処からともなく声が。


《…イツマデ…イツマデ…》


その声は、細く慎みのある小鳥の鳴き声や、不躾に高く響くカラスのような鳴き声など、様々な種類の鳥の声が混ざっていた。

次第にその声は生気を失ったように掠れていき、暴力的なまでに汚くがなり始める。


「うっ…酷い臭いだ…」


前から流れてくる、生ゴミ、ヘドロ、肥溜め、腐敗臭を混ぜたような最悪の臭気。遠くから聞こえてくるバサッ…と羽ばたく音と共に濃くなっていく。

直後、一際大きな羽音が聞こえたかと思うと、本殿の上に気球くらいの巨大な鳥の姿が現れた。


《キイイイイイイアアアアアア!!》


白骨化しかけの鳥の頭に、空を覆う血塗れの黒々とした翼。龍のように太い蛇の胴体は、隣の県まで届いていそうな程に果てしなかった。


「ひぃい!こ、こんなの祓えるのか!?」


すっかり怯え切った様子の山貫さんとは対照的に、父は堂々と以津真天に対峙すると、祝詞を唱え始めた。


高天原たかあまはら神留かみづま皇親神漏岐神漏美すめむつかむろぎかむろみ命以みこともち日皇太神ひすめおおかみ奉請おぎまつり 青體あおと幣帛白體みたしらと幣帛みてくら百机ももとりのつくえ悉備奉ことごとくそなえまつり…」


以津真天は父を吹き飛ばす勢いで、強く大きくその翼をはためかせる。

辺りの木々は斜めに倒れるまで揺れ動き、私と山貫さんは鳥居まで追いやられた。


《イツマデェ!!イツマデホウル!!ヒトノコラヨ、オロカナリ!!オロカナリィイ!!》


「きゃあっ…!」

「加々禰ちゃん!!」


山貫さんは私を抱き寄せながら、何とか鳥居にしがみつく。

小枝や枯れ葉などが飛んでくるのを手で避けながら、私は目を凝らして父の戦いを見つめた。


種々之物くさぐさのしな横山之如よこやまのごと積足つみたらして 百度ももとぐら置戸おきともち祓給はらいたま清給きよめたまひて…」


父は膝をついてしゃがみ、少しずつ風に押されつつも、眠るように瞼を伏せて祝詞を唱え続ける。


《オンヲ、シンジンヲワスレタヒトノコラヨ!!ナガキニワタリツカエタワレヲオトシメヨウトハ!!アメノヒモ、カゼノヒモ、マチワビテイタワレヲフミニジルトハ、イカナルコトカ!!》


怒り狂う以津真天は、その内に自身の胴体を鎖のように振り回し、父に向かってぶつけようと掛かっていく。

父はそれを軽々と避け、跳ねて越え続けた。


朝日あさひ豊栄とよさか光照てら天暁みか待奉祭祀まちたてまつるまつり御太麻みぬさ倍心成就みぶこころまどか常磐堅磐ときわかきわまもたまいて…」


《ワレハナク!!イツマデモ!!イツマデト!!オワリナキコノヨイガアケルコトナシ!!ワレハナゲク!!イツマデト!!イツマデモオオオオ!!》


すると以津真天は、貫くような推進力で私達めがけて飛んで来た。

翼で無数の木々たちが吹っ飛ばされ、あっという間もなく目の前まで来ると、地を割りそうな程の極大な鉤爪を振りかぶる。


《ヒノメヲミルコトナカレ…ヒトノコラヨオオ!!》


「うわああああああ!!」


山貫さんは絶叫して、私に覆い被さった。


この時私は彼に対して、父に対しても、ごめんなさいと思った。

山貫さん、あなたは相当の恐怖を抱えているのに、それでも身を挺して守ろうとする。

でもごめんなさい。きっと、私はあなたごと貫かれて死んでしまう。

お父さん、自分の身は自分で守れと言われたのに。今まで沢山修行してきたのに。ごめんなさい。ごめんなさい。


咄嗟に涙の滲む目を瞑った瞬間、瞼の向こう側で何やら強い光が発された。

数秒経っても何も起きないのを確認してから、恐る恐る目を開ける。


「…延齢之事つのるよわいのことを、八百萬神等諸共やおよろづのかみたちもろとも聞食きこしめせもうす」


そこには、私達と以津真天の間に入り、攻撃を“手鏡”で受け止める父の背中があった。

父が掲げている金色の装飾がされた朱塗りの手鏡は、日本天野大神宮で天照大神の御神体とされる“八咫鏡やたのかがみ”そのものであった。目を薄めなければ直視できない程に強く、純白の光を放っている。


《天照大神にかしこかしこみ白す…日待ひまちはらい


鏡から発された光は直ちに以津真天を包み隠し、禍々しい悲鳴と共に、以津真天の身体は崩れていった。


「大丈夫か、2人とも」

「ありがとうございます天野様!!加々禰ちゃん、怪我はない!?」

「はい…ないです」


父は汗を1つも垂らしておらず、何事もなかったかのように山貫さんと私を助け起こした。


「あの、以津真天は…」

「彼処に居る」


父が本殿の方を指差すと、そこにはきらきらとした清浄な光が、ふよふよと宙に浮いていた。

やがてそれは形を作り始め、一体の鶏になる。


《我は、常世長鳴鳥とこよのながなきどり天照皇大御神あまてらすすめおおみかみに仕える神使シンシなり》


その姿は余りにも神々しかった。緋色の鶏冠と嘴は気高く、白と黒が入り交じる細長い尾は川が流れるように垂れて、ふわふわ風に揺れていた。


「こ、これはどういう…!?」

「この神社に神の使いとして祀られていたが、人々の信仰が薄れて力が弱ってしまったことで以津真天に身入られたらしい。天照大神の神光を浴びて、本来の姿を取り戻せたようだ」

《汝、御神の加護を受けし血の者か?》

「ああ。私は天野禰之助、こちらに居る私の娘、加々禰もまた同じくだ」

《我を救いし事、御神に尽くし事、感謝せん。併し、我が真の姿を取り戻したとて、何処にも居所は在らず。我は此の儘消え逝くのみだ》


諦めたように目を閉じる長鳴鶏。

そこに漂う寂しさは、私がここに来て感じたものと似ている気がした。


「なら、私の社に来て欲しい。あなたの居場所を用意しよう」

《…真か?》

「天照大神の側で、きっと居心地も良いはずだ。そこであなたには神社を、そして私たち天野家を守っていただきたい」


父の申し出に、長鳴鳥は二つ返事で了承した。


《良かろう。受けし恩に報い、汝に誓わん》

「有難う。これからよろしく」


「す、すごい…あのアマテラスの使いを、使役するだなんて…!」


私は、父の姿を見て泣きそうになった。

巨大な敵にも臆せず対峙する姿、冷静に祝詞を唱える姿、攻撃を避ける姿…

颯爽と、私を守ってくれる姿。

長鳴鶏と誓いを交わす姿も。

本当に本当に格好良かった。


私も、あんな風になりたい。

父のような宮司に、私も。











「この度は、誠にありがとうございました…!!」

「何とお礼を言ったら良いか…」

「構わない。こちらとしても、アマテラスの神使を見つけられたのは幸いの産物だった」


翌朝。山貫さんの家に泊まって一夜を明かした私たちは、東京に帰る前に白根神宮の神主たちに挨拶をしていた。


「加々禰。私は他にも挨拶をする所があるから、ここで待っていてくれ」

「わかった」

「山貫、すまないが暫く加々禰を頼む」

「わかりました!お気をつけて」


父を見送り、社務所の中の椅子に座って待たせてもらっていると、不意に隣に座る山貫さんが話しかけてきた。


「加々禰ちゃんはさ…やっぱり、宮司になりたいの?」

「もちろんです。昨日のお父さん、すごくかっこよかったから…私も、お父さんみたいになりたいです」

「そっか…」


山貫さんは少し困ったように笑った。

当時の私は、なぜ彼がそんな顔をするのかわからなかった。てっきり、お母さんのように「頑張ってね」と応援してくれると思っていたから。


「加々禰ちゃんに1つ、教えたいことがあるんだ」

「なんですか?」

「禰之助さんは、加々禰ちゃんを宮司にするために熱心になっているようだけど…多分、加々禰ちゃんは宮司にはなれないと思う」


そう言われた時、私は目の前が真っ白になった。

今までも、これからも宮司になるために頑張るつもりだったのに。

お母さんもおばあちゃんも、早くに亡くなったおじいちゃんも、私が宮司になるのを応援してくれていたのに。


「な…なんで…!?」

「…基本的にね、宮司は、男の子がなるものなんだよ。だから加々禰ちゃんには無理なんだ」


この時からかもしれない。

私の心に、1枚の壁が差し込まれたのは。

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