第10話・弘徽殿の悪役令嬢(7)

「今、言葉を選んだ割には随分じゃなかった!?」

 ツッコむ弘徽殿に犬君は「気のせいです」と真顔で答える。唐菓子の中に包まれた木の実のほっくりとした甘みが美味しい。

「しかしずっと申し上げている通り、この事件には怪異が入り込むような謎など何も無いのでございます」

弘徽殿は眉をひそめて言う。

「牛車で行き会ったという百鬼夜行はどうするのよ」

 犬君はにっこりと微笑って首を振る。

「それこそ何の不思議もございませんでしょう?」

 そうして木の実の味の余韻を惜しみつつも嚥下して一息ついてから話を続ける。

「牛車が載せていたのは確かに亡者でございましょうが、動かない亡者でございます」

「……どういうこと?」

 犬君は皮肉げに笑った。

「平安京とは、帝と帝のおわす大内裏を徹底的に清浄に保つため、内裏の穢れは洛中へと、そして洛中の穢れは洛外へと追い払わせて政治中枢の平安を保つ一大構造にございます。内裏には必ず穢れがあってはならぬ。となれば、運び出さねばならぬ仏がたくさんいるではありませんか」

 弘徽殿は扇で口を覆いながらつぶやく。

「……桐壺の殿舎で病死した童たち……」

 そうです、と言い、犬君は手を広げる。

「牛車の内寸はおよそ三尺二寸。これはほぼ十歳前の童の身丈にございます。牛車いっぱいに寝かせて載せれば手の先くらいははみだしましょう」

 成人男性の犬君の腕は肘を曲げた状態でおよそ1mを示している。腕をいっぱいに広げた長さは身丈とほぼ同じだというから、そのくらいの大きさで間違いないだろう。強いてツッコめば牛車の寸法が三尺二寸というのは古代律令の規定であり、最近の牛車であればもっと大きなものもあるが、秘密裏に遺体を運搬する目的で立派な大型の牛車は使うまい。

「生きて手招きしているみたいだったという話はどうなるの?」

 弘徽殿が首を傾げる。

「牛車というのは大変揺れるものにございまする。力の入らない遺体の腕がはみだしておれば、当然こう……手招くように揺れるのでございます」

 わざとこわばらせた腕を揺らすと、白い指先が力なく揺れる。そんな少し滑稽な小芝居をしばらく見つめてから、弘徽殿は口を開いた。

「わたくし、ひとつ質問があるのだけれど」

 はいと答えると、弘徽殿は真剣な顔で尋ねる。

「死んだ人は身体が硬く固まってしまうというのは本当?」

「その通りでございます」

 死後硬直のことである。およそ三時間後から筋肉はこわばりはじめ、それはやがて全身に広がり、二十時間を頂点として、後は腐敗の進行によって再び弛緩していく。

「手足が曲げられなくなるのはだいたいどのくらい?」

「八時間ほどでしょうか。身体が小さくて活発な童のことですからもっと早いかもしれない」

 それを聞いた弘徽殿は深くうなずいて、言った。

「だったら、やっぱりそれは変よ」

 弘徽殿は硬くて手では形の変えられぬ唐菓子のねじれを無理やり逆側にひん曲げるように指で引っ張って見せる。しかしもちろん唐菓子の形は変わらない。

「こうして……一度固まってしまえば、簡単には形を変えられないということでよくって? その場合、わたくしなら、手を頭の上に上げた状態で運んだりしないわね。きちんと姿勢を整えて衣装もきちんとして、腕を側面につけてから動かすわ。牛車の中で硬直が進んでしまってバンザイしたままの体勢の童を吊るしたら、それはなんだか美しくないもの」

 美しい美しくないという問題なのかという言い草だが、この場合は一理あるのである。童は乞巧奠の供物にされていたのだから。そうしてもちろん、犬君が見たときには童たちの腕は下にさがっていた。

「ある程度の時間までなら、強い力をかけて捻じ曲げることはできるのです。唐菓子よりはへし曲げるのが簡単かと。そこから再び身体の硬直が進むので――」

「それ、あなた以外に詳しい人がいる? 具体的に何時間までなら大丈夫とか骨折しないように無理矢理へし折ればいいとか、そんな詳しいことは、よく遺体を見ている人にしか判らないのよ。何時間後に取り返しがつかなくなるか解らないけど硬直することだけは解っているのなら普通は安全策をとって、いつでもそうなっていいように形を整えてから運ぶものじゃなくて?」

 犬君は考え深げに扇で口を覆いながら言う。

「はみ出していたのは手ではなく足なのではないでしょうか。童の小さい足なら夜の遠目には手と見分けがつきますまい」

 ちなみに今の時代、ふだん足袋や靴下をはく習慣はない。裸足はだしのこどもの足なら白くて五本の指がある。どうでしょうかと言う犬君に、弘徽殿は眉をよせてびしりとツッコんだ。

「苦しい!」

「ですよね」

 犬君は苦笑して扇を下した。

 いくら裸足だとはいえ、手と足とでは指の長さも違うし、そうなれば傍に見えるだろう袖と裾は明らかに違う。見た目の立派さにごまかされてとんだポンコツに協力を依頼してしまったのではないかと不安になりかけた弘徽殿の女御の前で、

「さて、冗談はこのくらいにいたしまして」

 犬君は声音を変え、真剣な顔で扇を閉じる。

「――これは桐壺の更衣様の無実を信じたい女御様には最も不本意な仮説でございますが、最も納得のいく経緯がございます」

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