第6話・弘徽殿の悪役令嬢(3)
「お前、明日からわたくしに出仕なさい」
「……いえ、私が女装をして宮仕えをするのはあまりに無謀……蛮勇を超えて命知らずとしか申せぬ蛮行かと存じまする……」
犬神人とは、穢れを忌避する公的な神祇官の代わりに特殊清掃を行う下級神官のことである。犬のような神人だから犬神人。神人つまり神官でありながら僧形なのは、彼らの仕える社が神仏習合さらには主祭神が異国の荒ぶる神だからだ。
疫神を祀る神社に仕えて遺体処理や鳴弦の祓えを専門に行う賤民だが、
そこでちょうど熱を出した女房がいたのをいいことに大事を取って里下がりを申し出た。そこに病気平癒の加持祈祷を依頼して犬君を呼び出せばいい。彼が仕える祇園社は疫病平癒の社なのだから。
要件はただひとつ。
そうして実際に会ってみると、犬君という
夜を閉じ込めたような
さすが稚児上がりと言おうか、化粧ができるように眉や肌も整えられている。異性の服装をした者はその性別を神仏の化身として取り扱うというような信仰がある。だから寺では行儀見習いの
そこで思いついたのだ。彼に宮中の噂の真相を追わせる方法。普通の僧や神祇官やと偽るよりも冴えたたったひとつの方法。この美しい髪の男に十二単を着せて出仕させればいい。
断固拒否する犬君を、弘徽殿は上から下まで眺める。
「お前は、見たところ、今すぐ落飾させてその髪を
さらっとすさまじいことを言う姫君だ。
犬君の髪を剃り落として鬘にしなくとも、その髪は当世二人といない艶やかさで、扇を広げたように肩を飾っているというのに。
「そんなわけはないでしょう。誰も見たことないは言い過ぎです。さすがに私とて寝るとき食べるときは直面ですし、殿上人の中には私と寝た者もおります」
それを聞いた弘徽殿はパチリと扇を閉じた。
「つまり相手は女ではないということね? ならばなおさら好都合」
犬君はついにあきれた様子も隠さずに言う。
「声でバレますよ」
弘徽殿はあっさりと答えた。
「しゃべらなければいいじゃない。和歌のひとつも詠めないとは言わせなくてよ」
そもそも貴族の女は成人すれば男に顔など見せぬものだ。親兄弟でなければ必ず御簾や几帳を隔てて話す。禁裏は厳密には男子禁制ではない。清涼殿に近い弘徽殿ではよく公達が冷やかしにも来るし、梨壺では男性の有識者も交えて和歌集が編纂される。しかし、そこにいる女性たちは部屋の奥に御簾を隔てて顔を合わせないのはもちろんのこと、女御やその側近ともなれば声すら直接掛けることはない。下々の女官に耳打ちして伝言を回したり洒落た色の紙にしたためたり、その間になんかいい感じの和歌にされたり気の利いた花を添えられたりなどもして、御簾の向こうの相手へと届けられるのだ。
「大丈夫よ。このたびの発熱で弘徽殿は人手不足なの。藤原家から人員を補充するという形でお前を同行するわ。必要な衣類はすべてわたくしが与えますからご心配なく。朝夕には食事も出ますし、必要なら殺生戒に配慮した膳も用意しますから遠慮なくおっしゃって」
弘徽殿の女御は当たり前のように労働待遇を告げてくるが、だからそういう心配はしていないのだ。犬君はため息をついて辞退の意味で一礼した。
「私は自分を男とも女とも思うたことがございませぬ。弘徽殿の女御様が女だと思えば女にございます。……しかし社会通念としてそういうわけには参りますまい。他の女房達の気持ちをお考えなさいませ」
だーかーらーと弘徽殿の女御は耐えかねて少し声を荒げた。
「だから庶民のお前を女房に取り立ててやると言っているんじゃないの。女房とは
犬君は困惑したように頭を下げたまま考えた後、「それだけではないのです」とため息をついて言った。
「……かようなつまらぬ事件に、女御様のお命を懸けるわけにはいかないのです」
あくまで気遣っているようでいて脅すような犬君の言葉をやり返そうと、弘徽殿の女御は意地悪に微笑む。
「おかしなことね。まるでお前ならこの不可思議な事件の真相を知っているみたいですわよ」
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