黄泉の国へようこそ!

Nekome

第1話 黄泉

「あたし、あなたを案内する人!着いてきて!」


 目を覚ました時、私の目の前に居たのは幼児とも言えるほど小さな少女だった。


「着いてきてって言ってるでしょ!」


 そう言いながら横たわっていた私の体を揺さぶり、強引に引っ張られる。

 私は仕方なく立ち上がった。

 記憶にあるよりずっと軽い体に、私は満足感を覚える。


「まずね!貴方に見せなきゃいけないものがあるの!」


 そう言い指を刺した先には何もない。

 そもそも、この場所自体、何もないのだ。真っ白な空間、下には墨のような霧が漂っているだけであり、遠くを見つめても、地平線しか見ることができない。


 私は困惑したが、早く着いてきて!と言う少女の目には一滴の曇りもない。私は少女を信じることとにした。


「これ!叩けばあなたの今までを振り変えれるの!素敵でしょ?」


 何も無かったはずなのに、いつの間にか私の目の前には大きな水晶玉が現れていた。

 自分の背丈を優に超えるそれは、異様な雰囲気を醸し出していた。


「ほら、触ってみて!早く!」


 私は恐る恐る水晶玉に手を伸ばし、叩こうとするが、あと数ミリで触れるというところで、体が固まってしまった。


「はやくして」


 少女はそう言うが、私はこれを触ることができない。今までに良いことなんて一つもなかったのだから、振り返ったところで、辛いだけなのだ。


「手を差し出して、最後ぐらい、逃げないでよ」


 そう言い責め立てる少女の声は元の純粋さは失われていた。

 まるで私のことを毛嫌いしているような、そんな冷たい声。


 私はその言葉に促され、水晶玉に触れた。


 視界が暗転する。


 ーーーーーーーーーー


 目で見ているのか、頭の中に思い浮かんでいるのかすらわからない。

 とてもとても古い記憶が、私には見えていた。


 

 私が生まれた時の記憶。

 視界は真っ暗、まだ目が開いていないのだろう。当たり前だ、生まれたばかりなのだから。

 ただ、聴覚から得られる情報で、どうやら私は周りに歓迎され生まれてきたようだ。


 家の中。

 母が退院し、私はやっと家にこれたようだ。

 暫くすると目が開き、様々な景色が見える。


 家の中は混沌としていた。

 金切声を上げる認知症の祖母。その対応に追われる母。私は何も関係ありませんと言わんばか  りに優雅に新聞を読む父。

これ以上見たくないと思っても、記憶の波は止まることを知らない。

 私は大声で泣いている。誰かに気づいて欲しいと願い泣いても、家の中の騒音で、全てかき消されてしまう。私を気にかける者は、この家にはいなかったのだ。


 時たまミルクを私にあげにくる母の顔は疲弊しきっており、見るに耐えなかった。


 正確な年はわからないが、おそらく3歳頃だろうか、祖母が死んだ。

 今まで祖母に付きっきりだった母は、今度は父と良く喧嘩するようになっていた。

 2歳ながら毎晩聴こえる怒鳴り声に耳を塞ぎ、布団の中にこもるのだ。


 4歳の時、母が家から出て行った。

 残される私に母は頑張ってと言い、去っていった。


 母が去ってから、家の中は幾分かマシになったようだ。

 怒鳴り声はもう聞こえていない。

 ただ、母が去った後の家は、空虚だった。

 父は私に無関心で、幼稚園に入った後、私だけ迎えがこないこともザラにあった。


 父は私に何も教えてはくれなかった。風呂の入り方、体の洗い方、ご飯を食べる時のマナーなど、何も。

 そのせいで私は中学の時に友人ができるまで、よく馬鹿のされていたのだ。

 その友人も、高校が別になってから話すことはなく、今の今まで近しい人ができたことはなかった。


今すぐにでも家を出たいと思っていたが、出方が私にはわからなかった。

 父はもちろん私にスマホなど与えてくれなかったし、必要最低限のお金と服以外、私には持ち物がなかった。

 逃げたくても逃げれなかったのだ。


 途方もない時間をかけて、今までのことを見ていく。


 ただ父から与えられたお金で食料を買い、毎日貪る生活。人の一生にしては随分と単調で、つまらないものだったのではないだろうか。

 こんなに嫌な人生を仕方なく生きていたと言うのに、その最後は、買い物に行く途中に車に轢かれ死んだ。交通事故で死んだのだ。実にあっけない。


 そこまで見たところで私の意識は戻された。


 瞼を開けると、先程通りの白い世界が広がっていた。

 恐る恐る指先を水晶玉から離すと、体全身が脈打っていて、思わずへたり込んでしまう。


 見ている間は何ともなかったのに、終わった瞬間、動悸が止まらなくなったのだ。


「大丈夫?」


 誰かの声、誰かの気配、先程いた少女か、はたまた別の子供か、私にはもうわからなかった。


「心配しないで、貴方が悪くないこと、わかったでしょ?」


 今はただ、この目の前にいるものに縋りつきたいと思ったのだ。

 這いつくばり、目の前にいる者に近づく。

 細い足を私の腕が捉えた時、そのまま縋るように抱きついた。

 人肌の温もりとはまた違う暖かさが私の体を覆った。


 私は一息吐き温もりと私が混ざっていくような感覚を味わいながら、目を瞑った。

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黄泉の国へようこそ! Nekome @Nekome202113

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