人生は無限のキャンパスかもしれない

霜月サジ太

人生は無限のキャンパスかもしれない。

 人生は無限のキャンパスかもしれない。




 いくらでも広げられるし絵具を重ねられる。






 一人ひとりが一生懸命に、その人だけの絵を描いているのを眺めるのがたまらなく楽しい。




 不器用な絵だと嘆く人もいる。


 いや。この色、この筆遣い。荒さ繊細さも最高じゃないか!






 さぁ、今日はどの絵を観賞しよう――。










 少年には不思議な力があった。






 人の歩んできた人生が油絵のように見えるのだ。




 赤ん坊はまっさらなキャンパス。


 幼子は極彩色を塗る。




 年を重ねるにつれ複雑な色を帯びたり


 一度塗った色を覆い隠すように全く違う色で塗り重ねる。




 右と左、上と下で全く違う絵を描く人がいる。




 明らかな一枚絵になっている人がいる。




 キャンパスを区切って、小さな絵をたくさん描く人がいる。






 人生の歩み方で




 描いてある絵だけでなく




 絵の描き方さえも違ってくる。








 楽しい絵ばかりではない。




 闇に染まって




 思わず目を背けたくなるような






 そんな絵を抱えている人だっけごまんといる。










 怖い絵を、暗い絵を描く人を救いたいと働きかけたこともあった




 明るい、楽しい絵を描いてくれないか。




 とても見ちゃいられない。






 でも、無駄だった。




 描きたい絵の通りに生きられる人なんて一握り。




 致し方なく、我慢して好みじゃない絵を描いている人ばかり。


 そうするしかない。


そんな生き方しかできない。


 日々を送るので精いっぱい。




 彼らは自分の絵がどうなっているか知る由もない。


 どう変えたらいいのか、どうしたらいいのか分からないんだ。




 自分のキャンパスを眺める術がない。








 少年だけが見ることができた。










 少年はキャンパスに口出しするのをやめた。








 どうせ言っても変わらない。嫌な顔をされるだけ。


 だったら見えない振りすればいいじゃないか。


 自分以外は見えないんだ。


 何も変わりはしない。






 そうやって他人に興味を持つのをやめた。






 相変わらずキャンパスは見えていた。


 でも、それはもう風景だった。


















 あるとき。


 駅のホームで電車を待っていると一人の女の子のキャンパスが目に留まった。




 かわいらしい女の子が恥じらいながら見つめ合う絵が、その少女のキャンパスに描かれていた。




 ずいぶんと久しぶりにキャンパスに目を奪われた。


 いや、「目を奪われた」のは初めてかもしれない。






 時が止まったようだった。


 一切の雑踏が静寂に変わった。








 美しかった。とても繊細だった。


 迷いなく描かれた二人の少女。






 何か胸騒ぎがした。


 こんなに美しく完成された絵なのに、




 額に無理な力が加わって生地が歪んでいたのだ。




 少年にはその意味が分からなかった。








 止まった刻の中、モノクロになったセカイ。


 少女のキャンパスだけが鮮やかで――。








 持ち主の少女がまだ空っぽのホームの先へ足を踏み出していた。










 見つめ合う二人の絵具の少女。






 今まさに二人の間には闇色の絵に具が広がり、更に力ずくで引き裂かれようとしていた!










「だめだ!」






 少年は駆けだしていた。




 ほんの数歩先の少女が遠い。




 少女に声が届いたのか、びくりと一瞬動きが止まる。




 間に合って!






 少年が伸ばした手は、少女を掴んだ。


 そのまま引っ張り、少女はその場にへたり込む。




 二人の間にあった闇色がしぼむ。




通過電車が突風を連れて通り過ぎる。


 巻き上げられる髪が少女の顔にへばりつく。




 かけられていた負荷が収まり、軋み音をあげ弓なりになっていた枠が元に戻る。








「自分で描いた世界を自分で否定しちゃいけないよ」






 ぼろぼろと涙をこぼし、しゃくり声をあげる少女。


 うっすら茶色がかったボブカットが幼く見せるのか、年齢不詳だった。


 下手すると小学生かもしれない。






 まいった、これじゃあ僕が泣かせたみたいだ。






「ほ、ほら、立てるかな? あそこのベンチまで歩こう?」




 どぎまぎしながら、少女を誘導する。




 痴漢扱いされるかな、誘拐犯に思われるかな。






 人と深く関わることを避けていた少年にとって一刻も早く逃げ出したい状況だった。






 それでも、一目惚れした絵画は守られた。




 切ない表情で見つめ合っていた油絵の少女たちと、目が合った。


 瞳が優しさを帯びていた。






「あ り が と う」






 唇が動いた気がした。




 そんなまさか。絵が喋るなんて。






 驚き瞬きすると、少女たちはまた見つめ合っていた。




 泣きじゃくっていた少女は落ち着いてきた。




「とめ……て……くれて、ありが……とう……ございます……」




 どうにか絞り出す声。






 慰めるでもなく、いてもたってもいられず少年は口を開いた。






「教えてほしいな、君の描いた物語を」






 闇の中にいた少女たちに光が一筋差し込んだ。




 願わくば楽園にたどり着けますように――。

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人生は無限のキャンパスかもしれない 霜月サジ太 @SIMOTSUKI-SAGITTA

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