第三章「分岐点」

第25話「ヨルワタリの名前の由来」

 この日の晩ご飯は夢月むづきの手料理だった。

卵焼き、出汁だしを取った味噌汁、白米、漬物、鮭。いかにも鮭の塩焼き定食という具合で、しかも光一好みの味付けだ。箸をつける時、夢月はこちらの反応をそわそわと気にしていた。


「美味いな」

「そう!? そうだよね、おじさんが仕込んでくれたものだからね!」

「そうなのか」

「うん。色々教えてくれた。料理も、勉強も、ヨルワタリの扱い方も」

「……そうか。でも、漬物は勘弁してくれ」

「好き嫌いはダメって言ってたじゃない」


 むっと頬を膨らます。


「まぁ、なんだ……学校はどうだ?」

「退屈。学んだことばっかりだし。ていうか、誤魔化ごまかさないでよ」

「クラスメイトとはどうだ? 仲良くできてるのか?」

「…………」

「そこで無言になるな。また人見知りか?」

「……その、けっこう話しかけてくれた人はいるんだけれど」

「けど?」

「わたし、その子の名前も知らなくて。でも、仲良くしていいのかわかんなくて。だって、未来では……みんな、死んじゃうから」

「…………」

「未来に死ぬことが決まっているのに、今、仲良くすることに意味があるのかなって」


 なるほど、と光一は内心で納得した。あの時——ながれと会う前に夢月が暗い顔をしていたことが、どうにも気にかかっていたのだ。


 事情が事情だ。うかつなことは言えない。


 そもそも未来から来たという時点で、常識で測る方がおかしい。


 未来など気にせず、仲良くすればいい——


 言うのは簡単だが、彼女は実際に未来を見て、一体何が起こったのかを身をって知っている。ならば今の時代で、誰かと仲良くすることに抵抗と疑問を覚えるのは無理もない。


 味噌汁に口をつけた後で、光一は淡々と言った。


「別にいいんじゃないか」

「え?」

「君は未来を変えるために来たんだろう? 姉さんや悟郎ごろうさん、四歳の夢月、そして俺。みんなを守るために〈リライト〉と戦っているんだろう?」

「う、うん……」

「未来で君には、友達はいたのか?」

「それは、まぁ……仲のいいのが何人か。でも、みんな死んじゃった。〈リライト〉が……連中が何もかも奪っていった」

「だから友達を作りたくないのか」

「わかんない。どれだけ頑張っても、もしも、守れなかったらって思うと……」

「なら、無理しなくていい」


 え、と夢月が顔を上げる。


 光一は素知らぬ顔で、茶を飲んでいた。


「好きなもの、大切なものが増えると、それだけ守るのが難しくなる。だから必要以上に人と関わらないというのは、考え方のひとつとしては有りだ。……寂しい生き方かもしれんがな」

「……おじさんは、友達は作った方がいいって言わないの?」

「それは君が決めることだ」


 夢月の瞳が揺れている。


 無責任だろうか。自分の言葉で惑わせてしまうことに、罪悪感を持たないではない。


 だが、彼女はもう十六歳だ。未熟であっても、自分のことを自分で決められる歳だ。


 友達は作った方がいい。その方が人生が豊かになる。


 そういう、ありきたりな言葉を吐いたところで、彼女は安心できるだろうか。


 未来を変えるという重すぎる役目を担っている彼女に。


 重くなりかけた空気を変えるべく、光一は問いを口にした。


「なぁ、訊きたいことがあるんだが」

「え、何?」

「君のロボット……ヨルワタリのことなんだが。確か、初めて出会った時に俺が名づけたって言ったよな? それはどういうことだ?」

「あ、そっか。まだ言ってなかったね」


 夢月は〈ウォッチ〉を起動し、ヨルワタリの立体映像を映し出した。ドッグフードを入れる容器のようなものの上に白黒の、カクカクした物体がこんもりと盛り上がっている。


 そしてヨルワタリはそれをくちばしでつんつんと突いていた。こちらに気づくと、はっと恥ずかしそうに翼でくちばしをおおった。AIとは思えないほどの感情の豊かさだ。


『これは光一様。みっともないところをお見せしちゃいましたわ』

「……いや。食事中すまんが、一体何を食べてるんだ?」

『ジャンクデータよ。バラバラになったこの時代のデータを取り入れているの』

「腹を壊さないか、それ?」

『いやいや、私、AIだから。そんな概念ないのよ』

「あ、そうなのか……」

『ところで、私に何か用で?』

「ああ、そうだった。……未来の俺はなぜ君に、ヨルワタリって名づけたんだ?」


 するとヨルワタリのAIはくいっとくちばしを夢月の方に持ち上げた。


『夢月、いいの?』

「うん。それぐらいなら大丈夫だと思う」

『わかった。では、お話しするわ。……あれはそう、夢月が六歳になろうとしていた頃ね』


 ある日、光一の家の軒先のきさきに、ツバメの巣が出来上がっていたという。


 ツバメの巣は幸運を呼ぶらしいので、光一はあえて撤去しなかった。巣からぴぃぴぃと鳴いているツバメのひなたちを見上げ、夢月は目を輝かせていた。親が飛んできたりすれば、「こーいち! ツバメー!」と大騒ぎする始末だったという。


 ある時、雛が地面に落ちていた。しかもケガをしていた。


 夢月は大事に両手に持ち、なんとか助けたいと、光一にすがりついた。


 しかし、鳥獣保護法でツバメをペットとして飼うことは禁じられているのである。


 困った光一は試しに役所に問い合わせてみて——ケガが治った後で、巣に戻すのならという条件を取りつけて、世話をすることに成功した。夢月は大いに喜んだ。


 雛は夢月からかいがいしく手当てを受けた。苦手なのにも関わらず、生きている虫の餌を震える手でなんとか与えていた。


 ケガが治り、すっかり元気になった雛は巣に戻すことになった。


 その代わり、夢月は寂しそうだった。雛を載せた両手の温もりが忘れられないのだろう。


 そこで光一が、「名前をつけてみたらどうだ?」と提案をした。もしも名前が定着すれば、あのツバメが反応してくれるかも、と。


「どんな名前がいい?」と光一は訊いた。


「かっこよくて、かわいいの」

「難しい注文だな」


 光一は腕を組んで首を傾け、しばし考え――「ヨルワタリ、ってのはどうだ?」


「よるわたり?」

「ツバメは渡り鳥でな、長い時間空を飛ぶんだ。朝から夜へ、夜から朝へ――いくつもの夜を渡っていくから、ヨルワタリ」


 夢月はぶつぶつと何度も名前を繰り返し——「うん!」と力強くうなずいた。


「それがいい! かっこいい!」

「かわいいかは微妙だけどな」


 無邪気にはしゃぐ夢月の頭を、光一は撫でた。


 それから夢月は朝起きる度、出かける度、帰ってくる度——夢月はツバメの巣に向かって、「おーい、ヨルワタリー!」と呼びかけるようになった。光一は半ば呆れながらも、微笑ましく見ていたが——ある時、奇跡としか思えない出来事が起こった。


「おいでー、ヨルワタリ」


 すっかり成長したツバメが、夢月の手に留まったのだ。ツバメは夢月のことを認識していたし、夢月もそのツバメが、自分が世話した雛であるとわかっていた。


 ヨルワタリは夢月の姿を見かける度、ぴぃぴぃと鳴いた。夢月が名前を呼ぶと下りてきて、手に留まって、頬ずりしても逃げようとしない。光一はすっかり感心してしまい、何枚も写真を撮ったのだという。


 夢月とヨルワタリが仲良くしていられたのは、数か月程度だった。


 巣立ちの時期になり、続々と巣からツバメたちが飛び去っていく。ヨルワタリも出ていってしまったことを知った時、夢月は光一の膝の上で泣いた。


 空っぽになったツバメの巣は、撤去することにした。最後に夢月は巣を両手で持って、じわりと涙粒をこぼしたのである。


『厳密には、あのヨルワタリという個体と私は同一ではないの』

「だろうなぁ。もしそうだったら、本当に奇跡だ」

「そしておじさんがロボットを造った時、名前をどうするかって聞かれたの。……もちろん、ヨルワタリって名前にした。おじさんもわかってたみたい」

『私がこの姿なのも、光一様と夢月の意向によるところが大きいの。さらに言えば私の本体——あのロボットの姿かたちも、光一様のイメージから生まれ出たもの。つまり、光一様あっての私、ということになるのよね』

「……むずがゆいな。あまり実感がわかない。未来の俺がそうするって言われてもな……」


 何せ、今はしがない養護教諭なのだ。


 大学時代にロボット工学だかを専攻していた友人はいるが——歩かせるだけでもひと苦労だ、とぼやいていた。これじゃあ空を飛ぶなんて、夢物語だとも。


「そうだよね」と夢月が言った。


「わたしにとっては過去のことだけど、おじさんにとってはまだ未来の出来事なんだもんね。そりゃ、実感わかないよね」


 寂しそうに顔を伏せる。


 いい加減、何かしら機嫌を取らないと、罪悪感で寝覚めが悪くなりそうだ。


 光一はお茶を飲み干し——ふと、思いついた。


「なぁ、行きたい場所とかあるか? やりたいこととか」

「え?」

「せっかく未来から来たんだ。連中と戦うだけじゃ、色気がなさすぎるだろ?」

「そ、そんなこと急に言われても……」

「なんでもいいから言ってみな。ほら、あるだろ。デスティニーランドとか、ガムダンベースとか、近場だったらそうだな……渋谷とか新宿とか……」

「ガムダンベースなんて、おじさんの趣味じゃない……」


 そう言いつつも、夢月の視線はあちらこちらと落ち着きがない。かと思えば、いきなりもじもじし始めた。AIに手を添えた口を近づけ、何やらごにょごにょと相談している。


 そして——夢月は雨に濡れた子犬のような瞳で、上目遣いでこちらを見た。相手が姪だとしても、男ならば、この目に伴う嘆願たんがんをはねつけるのは容易ではないだろう。


「お願い、していいの?」

「街に連れていくぐらいなら問題ないぞ。ショッピングとか……」

「ううん、それは別にいいの。それよりも——」


 次の言葉は、光一を予想外の方向から引っぱたいた。


「おじさんと一緒に、ヨルワタリに乗りたい」

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