第11話「光一と流」
職員室に向かう、その途中——
「本当に、お邪魔ではありませんでしたか?」
言葉とは裏腹に、
「いいえ、助かりました」
本心をそのまま告げると、「ふふっ」と小気味よく吹き出した。
「朝から噂になっていますよ。
「はぁ、まぁ、そういうことになっています」
「教師たちの間でも、ちょっとした話題になっていますよ。噂話が好きなのはどの年代でも変わらず、ですね」
「面倒ですね」
職員室に着き、他の教師たちに軽く挨拶してから流の席へ。
彼女は空いている椅子を適当に引っ張り、光一に促した。
椅子に座った光一は「それで?」
「それで、とは?」
「教職員向けのお知らせの件で、何かあったんでしょう?」
「ああ、そのことでしたね」
思い出したように、流がぽんと手を打つ。
「あれは嘘です」
「嘘?」
「狭間先生、困ってらっしゃるように見えましたので」
「む……」
にこにこと図星を突いてくるので、返す言葉がない。
「違いましたか?」
「い、いえ。本当に助かりました」
ぐいっと頭を下げると、流の控えめな笑い声が耳をくすぐる。
「モテモテですね、狭間先生は」
「やめて下さいよ。生徒にモテても、仕方ないでしょう?」
「でも、まったく人気がないよりはいいのでは?」
光一は後ろ首をさすりつつ、「そうじゃないんです」
「僕は……その、あまり人に興味を持てないタチなんです。だから必要以上に感情を持たれても、正直言って困るというか」
「ふぅん?」
流が左手であごに添えた。薬指には指輪がはまっている。
できるだけ自然に目をそらしつつ、光一は続けた。
「下手に希望を持たせると、ろくなことにはなりませんし」
「だから生徒とは距離を作る、と。確かに、こういう職業だと欠かせない資質ではありますが……昼食を一緒に食べるぐらいはいいのでは?」
「はぁ……」
「まぁ、狭間先生の方針にはとやかく言いませんから、安心して下さい。それよりも、黒乃さんのことなんですが」
「黒乃が、何か?」
「気づいてませんでしたか?」
「……何を?」
呆れた、といわんばかりに流はほんの少し苦笑した。
「彼女、朝から教室できちんと授業を受けていたらしいんですよ」
「ん……? いいことじゃないですか?」
「いつもなら午前に一回は、保健室に行くじゃないですか? まぁ、もしかしたら午後に行くかもしれませんけれど」
そういえばそうだった。
「まぁ、気にするほどのことでもないと思いますけど」
流がぐいっと背もたれに体を預ける。そこで、彼女の机にある本が目に入った。A4サイズで、表紙は英字、その下に『タイムトラベルの理論』とある。
つい、食い入るように見てしまった。流はその視線を追い——「興味あるんですか?」と声を弾ませた。
「あ、えと……ないといえば嘘になりますね」
「でしたら、お貸ししましょうか? 私、こういう本に目がないんです」
聞いてもないのに、デスクから様々な本を引っ張り出す。小学生向けのものもあれば、小難しい理論を並べ立てたような、分厚いものもある。しかもそのどれもが、タイムマシンやタイムトラベルを扱ったものだ。しかも国民的マンガもある。いいのだろうか。
「……流先生って、こういうのが好きなんですね」
「ええ、ええ、そりゃもう」
一見クールそうに見える彼女の素顔が垣間見えて、不覚にも胸が高鳴ってしまった。小さく咳払いして、「じゃあ、その本を……」と小学生向けの本を指し示す。タイムトラベル関係の知識などほとんどないに等しいので、まずは基礎の基礎から。
「はい、喜んでお貸ししますね」
嬉しそうに本を渡してくる。
光一はふっとわいた疑問を、流にぶつけてみた。
「流先生って、こういうのに興味あるから化学科を?」
「そうですねぇ。子供の頃は発明家を志していました。タイムマシンを作るんだって、親兄弟を呆れさせてましたよ。……狭間先生はどうでしたか?」
「どう、と仰られると?」
「どうして養護教諭になったのか、と。何かしらきっかけがあったのかなって」
「…………」
「あ、すみません。言いたくないなら、言わないでもいいですから」
「あ、いえ、別に。どこから説明したらいいものかと考えてしまって。ほら、なんというか……中高生の頃って、情緒不安定になりやすいですよね?」
「そうですね。私も、そういう経験はあります」
「そこであった出来事とか、人間関係とかが尾を引いて……というタイプの生徒がいるでしょう? それが僕です。あの時、教室から飛び出して、どこかに逃げ込める場所があれば。近くに相談できる人がいれば。そう思っていたんですよ」
「それが、養護教諭と……保健室だったと?」
「はい。スクールカウンセラーでもよかったかもしれませんが、僕の時にはいなかった。いつでも身近にいてくれて、逃げ場所がある、そういった人と環境があれば……少しでも自分のような生徒を減らせるかもしれないと思いまして」
「なんだか、自分のことを
流は困ったように眉を寄せていた。
すぐに柔らかい笑みに戻し、「でも、いいことだと思います」
「後ろ向きな動機ですよ?」
「それでも、生徒の力になりたいのは事実でしょう?」
そんな立派なものではない——そう言いたかったが、苦笑だけに留めた。
流は教室の掛け時計を見、「ああ、もうこんな時間」
「お時間を取らせてすみません。お昼、食べる時間は大丈夫ですか?」
「いえいえ、大丈夫ですよ。生徒がいない時を見計らって、食べますから」
「それならいいんですけど……」
その後、流に本を借りてから、光一は保健室に戻った。扉は普通に開いて——「うん?」と鍵をかけてなかったのかと、首を傾げた。
デスクの上には三角巾に包まれた弁当箱。そしてメモが一枚。
『よかったら、食べて下さい。黒乃』
達筆な字だった。
空腹には抗えず、鍵のことはそれ以上追及しないで、光一は弁当箱に手をつける。
黒乃が作ったものは、美味だった。
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