魂は虹の色
篠岡遼佳
魂は虹の色
この世界には、二度の別れがある。
俺は普通の大学生だ。掃いて捨てるくらいいるような、二十一歳である。
俺は無理矢理この大学に滑り込んだような学力しか持ち合わせていない。
であるから、とにかく必死に必修科目に食らいついた。
その甲斐があってか、成績は割と良くなり、研究室をどこに決めようか、選べるくらいにはなっていた。
俺の専攻は、「魂について」だ。
ちょっと大雑把すぎるけれど、でも、その程度しかわかっていないのは、周知の通りだ。
この世界のいきものには、「魂」というものがある。
「空間渡航者」さんから聞くには、ない世界もあるのだそうだ。
それは辛かろう、と俺は思う。
「魂」とはなにか。
存在していることは、人間や動物、魔物やら妖怪やらだってわかっていても、重さもかたちも、誰も観測したことはない。
科学では手に負えないとか、『カミサマ』的な存在が創ったからそういうバックグラウンドは見られないんだとか。
そもそも、「魂」について、きちんと系統立った話ができるようになったのは、世界が戦争を四度経験してからだった。
なぜって、だって、帰ってきたのだ。
「魂」たちが、ぽつぽつと、世界の様々なところに。
だから、世界中は気づいた。
この世界には、二度の別れが用意されている。
「肉体」との別れと、「魂」との別れ。
あらゆる宗教がそれを様々に定義しようとした。
だが、残念なことに、「魂」の再来は人知を越えていた。
だからいまでも、ひとは"「魂」との別れ"に対して、うまく対応できないままだ。
帰ってきた魂は、あの頃の記憶を持って帰ってくる。
「やほー、今年も帰ってきたよ、どうかな、研究進んでる?」
ほら、この季節になると、いつもこいつは帰ってくる。
染めた短い金髪の似合う顔立ち、運動の得意そうなしなやかな手足。
「ねえってばー」
「帰れ」
「いじわる!」
「俺いま有機化学の試験に全力傾けてるんだよ」
「私よりテストがいいのか!!」
「単位落として再履修するよりは」
「やだ! この人ひどい!」
俺のさして広くもない1Kのアパートに、家主の許可も得ず帰ってくる。
勝手に冷蔵庫を空け、俺のビールを勝手に飲んでいる。
まあ、しばらく同棲もしてたので、仕方がない。元カノなのである。
「ちょっとでいいからさ~、付き合ってよ」
「…………」
絡まれたらもうおしまいだ。
際限なく、その浮いた身を使って、空中からちょっかいを出されてしまう。
なので、俺は仕方なく、自分の分も酒を注ぐ。
カシスグレープ。俺は甘党なんだ。
「あいかわらず、苦いのだめなんだね」
「味覚はそうそう変わんないの」
「ビールはのどごしがいいんじゃん、炭酸がしゅわーってかけぬける感じでさ」
「飲む価値なしだな」
「ひっどいんだ、いま業界を敵に回したよ!」
「はいはい」
チーカマを一本差し出すと、ぱっと顔を明るくして、チーカマを出してきた袋の方を取り上げられる。これもいつものことだ。しょうがない。
「やっぱり、ここは落ち着くな。ソファもベッドもないけど」
「文句言うなら来なくてもいいんだぞ、チーカマ返せ」
「いやですー。んだからさ、落ち着くっていうのは、座り心地がいいってことなの」
満足げにヤツは笑う。俺の布団のどこがいいんだ。せんべいだぞ。枕を嗅ぐな。
「くしゃい」
「だから文句言うならチーカマ返せ」
「ふふ、学校忙しいんだ」
「忙しいよ。俺は四年は授業とらないで、研究にいそしむんだ」
「なるほどなあ、そうかぁ」
チーカマの包装をむいて、もくもくと食べて、ビールをぐいっと飲むと、ヤツは言った。
「……たぶんね、もう帰ってこらんないと思う。現世に帰ってくると、やっぱ「魂」って薄くなるみたい。貴重な証言だから、メモしてもいいよ」
「そうかよ」
「かなしくないの? うわーん、もう私に会えないんだーって、言わないの?」
「言うかよ」
「そっか。わたしが肉体を失った時も、あなたは泣かなかったもんね」
「――――」
交通事故なんて誰でもなることは知っている。
でも、
なんでお前だったんだよ。
なんで俺はそこにいなかったんだよ。
なんで俺じゃなかったんだよ。
そんなの、もう五年も繰り返して繰り返して繰り返して、擦り切れた。
「帰って、来ないのか」
「うん、たぶん」
「その布団持っていくか?」
「違うよ、座り心地っていうのはね」
ちょっと眉を寄せて、指を振る。
「君が勉強してる姿を見られる、そばにいられる、この場所が良かったんだよ」
バン!
俺は机を両の拳で叩く。
「俺は、「魂」ついて、ずっと研究する」
「うん」
「そして、いつかかならず、「魂」を定着させる方法を開発する」
「それは、どうかな」
そう、お前はそう言うだろうと思った。
視界が揺らぐ。両目が潤む。
酒のせいだ。
「俺はまだ、世界に存在してる」
「うん」
「だから、お前のこと思い出す。命日だけなんかじゃない、何度も、何度も、いつでも、いつでも、お前のことを思い出す」
校舎に、廊下に、窓辺に、黒板の前に、制服のお前はいた。
一緒にちょくちょく通ったコンビニも、まだある。
帰路が分かれる電車のホームも、電車も、その匂いも、
朝のあいさつも、昼飯も、夕焼けも、全部全部全部。
「お前がいた。そこにお前がいたんだ。だからここまで俺は逃げてきた。何も思い出さないように。
お前がいないことが、辛い……」
この世界には、二度の別れがある。
「全部色づいてた。お前がいたから、世界はきれいに色がついて見えてた。
お前がいた場所、見ていたもの、共有したもの全部。
だから、世界は、とても、きれいなんだよ。
――今でも……!!」
俯く。声が震える。俺かっこ悪い。でも、でも。
忘れられるわけない。
「…………ありがとう」
お前はそうやって、いつも俺に笑ってくれてた。
永遠なんてどこにもなくても、守る力なんて最初からなくても。
「ビール苦手なのに、どうしていつも冷蔵庫に入ってるか、ちゃーんと知ってるからね」
「俺は、お前を思い出すために、忘れないために、まだここにいるしかない」
「うん、君が、そこにいてくれることを選んでくれたこと全部が、わたしはうれしい」
そして、魂は来た時のように勝手に窓を通り抜け、
「ありがと」
輝いて、夜空のどこかの星になった――。
魂は虹の色 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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