ライフラインが止まるのは、もう嫌!
中学に入ってすぐだった!体調悪くて休んだ日に、同級生5人が家にやって来ます。
来るなんて知らないから、母親が大量の仏具ようのローソクつけて、ガスコンロで晩御飯の準備をしていました。
玄関開けたら、中が見えるせいでそれがバレました。
「○ちゃんの家って、電気使わないの?」
「何で、ローソク?」
どうしよう、最悪。
何て言い訳しよう。
恥ずかしさと情けなさで、頭の中がおかしくなりそうでした。
すると、その中の一人の子が!
「お祈りの途中だったんでしょ?今から、だったんだねー」
と言いました。
「ミサみたいなのー」
「それだよ」
「あっ、うん。そうなの」
私は、嘘をつきました。
「じゃあ、もう帰らないとね!これ、プリント、明日は来れる?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ、また明日ね」
そう言って、同級生はいなくなりました。恥ずかしくて情けなくて、どうしょうもなかった。
家に入ると、母は普通に野菜炒めを作ってました。
私は、葉もの野菜が大嫌いでした。食べるだけで、気分が悪くなってました。多分、この頃のトラウマだと思うのです。
今は、キャベツや白菜を食べれますが…。
特に白菜は、安いからかよく食べさせられていて本当に嫌いだった。
ライフラインは、水道以外はいつだって止まっていました。ガスや電気なんて、しょっちゅうでした。
そのせいで、冬場は、私はお風呂に入らなかったです。冷たい水で洗うのは、さすがに寒すぎて…。そしたら、母親はガスコンロでお湯を沸かして湯船に入れに行けと言いました。何往復したって、たいしてお湯など溜まらないので、断念してました。でも、私とは違い姉は水でもちゃんと入ってました。
ただ、中学一年の終わり頃に家を引っ越してからは何とかライフラインは繋がってました。それは、給湯システムに変わったからでした。電気がないと水が出ないのを知って母は、何とお金を工面して払っていました。
今、思えば、屋根もあって、暑さや寒さがしのげる家があるだけでましだったわけで、贅沢な悩みだったのかもしれません。
母親が亡くなって、私は姉に言いました。「もう、ライフラインが止まる生活は嫌だ」と言いました。
姉は、ライフラインは一度も止めなかったです。今も止まる事はありません。
あんな恥ずかしくて情けない思いは二度としたくないです。母親は、当時、宗教に夢中だったので…。
他のものにお金を使いたくなかったと思います。一円でもあれば、向こうに献金をしたかったわけです。
なので、仕方なく払ってるって感じでした。
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