最初は、詞が好きだった。

母親を亡くした後の、国語の授業で、詩を書くって授業があった時に詩を読んで、その当時の国語の先生に褒められたのがきっかけで詩を好きになりました。


それから、のめる込むように詩を沢山書きました。


詩を褒めてくれた教師は、のちに私に嫌味を沢山言ってくる人物に変わるんですがね!

親がいない事で、結構酷い言い方をされました。(三年生で、その人が担任になりました。)

『お前は、施設にいかないといけない人間だ!』

『お前は、普通の高校に何かいけない』

他にも色々言われたけど、今だに印象に残ってるのはこれです。

この言葉を泣きながら姉に言われたと伝えて、姉や姉の友人や従姉妹などが中学校に来てくれましたから…。

当時、18歳、姉は未成年でした。今なら、成人でしたね。


クラスメイトは、その担任の味方でした。

別教室の授業が終わって、教室入ったら椅子がなかったです。

当時のヤンチャ的な人で担任を尊敬してる男子にとられていましたね。

担任も含めて、色々ありでしたね。


担任から、靴下。当時、ルーズソックスが流行ってまして、学校指定の白ソックスが乾いてなくて仕方なしにルーズソックスをばれないように伸ばして登校!『お前は、馬鹿にしてるやら、ふざけてるやら』乾いてなかったから仕方なくなんて言葉は聞いてもらえませでした。

とにかく、『お前は俺を馬鹿にしてるでした。』もうイライラしかなく傷ついた私は、担任に怒りをぶつけました。そしたら、副担任も、○○先生が正しいから、謝りなさい。と言ってきました。

そんな状態だから学校は、大嫌いな場所でした。

でも、母が死ぬ前から引きこもりだった私に母からの最後の願いが『学校に行ってほしい』だったので頑張って保健室登校をしていました。

母親とは、ケンカ別れをしました。

引きこもりだったから…。

学校に行けという母親に『うっさい、黙れ』って言いました。

謝る事も出来ないまま、母親はその日に倒れて、意識は戻ることなく一週間後に、亡くなりました。私は、それに10年以上苦しみました。

難しくても『ごめんなさい』を伝えるべきだったと思いました。


そして、担任に苛立ちをぶつけたのをきっかけにクラスにまた戻りました。

何故か、怖いやつだとみんな関わらなくなって逆にラッキーでした。

そんな私に、数人の人(女子と男子含む)だけが興味を持ってくれました。

当時の事を思い出すとまだ悲しいし苦しい。今でも忘れていない、自分の記憶力すごいです。


でも、詩というものに出会えた事は自分の中で大きな出来事でした。

図書室の本も借りてよく読んでました。そして、保健の先生は高校生の頃まで年賀状を送ってきてくれました。


その当時、小説みたいなものもちらほら書いていたけれど、全部中途半端にノートに置かれていました。


多分、思いつかなかったのだと思います。


いつか、詩も載せたいと思います。


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