渡河
子どもたちを寝かしつけた後、マクワは母屋をこっそりと抜け出した。
カナキー大森林のいたるところに休憩小屋が設置されている。狩りや突然のスコールに見舞われたとき役立つ。訪れたのは木の上に設置された小屋だ。アバターの力を借りる前提の作りになっていて梯子などは存在しない。マクワは糸を束ねて滑車の要領で難なく辿り着く。
小屋の中は床を張っただけの簡素な作りだ。太い幹が天井を横切っていたりと歪な形をしている。倉庫としての役割も兼ねており、脇には木箱が並べられている。中身は売り物にならなかったカードだ。
その影から芋虫が顔を出す。餌を求めて犬のように立ち上がる。触れ合う内に可愛げを感じるようになっていた。
マクワは木箱のカードをカードを取り出して口元に差し出す。芋虫は要らないとそっぽを向いてしまう。
「やっぱりダメか」
繭の主との条件――食事の提供。これが難題だった。
この芋虫は偏食家だ。特に価値のあるカードを好んで食している節がある。
木箱の中から与えられるものが無いとなれば、今日狩りで手に入れたカードを差し出さなければならない。それではアオホシ園の収入減につながってしまう。
マクワは根気よくカードを与え続ける。
「何度も言っておるではないか。食事には気を使え」
芋虫アバターを通じて繭の中の主の声が頭の中に響く。
話すこともできない芋虫と違って繭の主は横柄でプライドの塊だ。マクワは彼のことを信用していなかった。互いに利用し合う関係でなければ早々に見切りをつけていただろう。
「量ではなく質なのだ。ゴミから栄養など得られまい。もっと上質なデータを献上するのだ」
「カードはアオホシ園の大事な収入源だ。売れるものをわざわざ食べさせる必要はない」
「糸からでも収入は得られる」
確かに生糸の販売は好調だ。バーバラからは安定供給が可能になれば卸売契約を取り付けると打診されている。他にもアバターを嵌める罠や高速移動に使えたりと多岐に渡る。
「全てのカードを我によこせ! 分体ならいくらで貸してやるぞ」
「食事量が増えたら元も子もない」
「あるではないか。効率の良い食事が」
「……………………?」
「蝶のように飛び回る小娘――――。あれは格別だ。この体も元に戻る。そうすれば数日……いや、一週間は食わずとも問題ないくらいだ」
「蝶……飛び回る小娘……? まさか……《ねもね》を差し出せってことか!」
アオバが夢に向かう希望を踏みにじって、たったの一週間。釣り合うはずがない。
「勘違いするでない。我ならこうすると言っているだけだ。人間の尺度を当て込む方がおかしいのだぞ。それともお主から何か提案はあるか? このままで貴様から分体を没収することになる。そうなれば糸は手に入らなくなり、逆戻りだ」
それはマクワも避けたい。せっかく軌道に乗ってきているのだ。アオホシ園の安泰は近いはず。何かないか……。
「…………《ねもね》に手を出すことは許さない。だけど――――――」
◆
「オイオイオイ、いつまで畑イジリしなきゃいけないんだよ」
サバサキは爪楊枝で歯に挟まった食べカスを取りながら愚痴を垂れた。
アオバにこき使われること約1カ月弱。板についてきたものの農作業と狩りは要領が違うようで筋肉痛の日々が続いていた。
「ふふふっ。聞いて驚け。ついに計画の準備が整ったぞ!」
アオバは自慢げに語る。その横で《ねもね》は黙々とサバサキが平らげた食器をバスケットへ仕舞う。
「本当か! 決行はいつだ!?」
「次、バーバラが買い出しに行くときだ」
「よっしゃー! これでやっと街に帰れるぜ!」
サバサキは体調が回復すれば、いつアオホシ園を出て行っても良いことになっていた。しかし、カナキー大森林を迷いに迷ってここにいる。帰り道など知る由もない。
そこでアオバに取引を持ち掛け、街までのルートを開拓して貰っていた。それまでの間、タダ飯を貪るわけにはいかないので農作業に駆り出されていたわけだ。
「最初に街までの行き方なんて知らないと言われた時は、ここに永住することも考えたぜ……」
「しょうがないだろ。子どもは街に行けない決まりだ」
「子どもは街に行けないねぇ……」
そんなことをする意図に引っ掛かるものがあったが聞き流すことにした。
「何はともあれアオホシ園とはこれでオサラバだ!」
「ガンッ!」
突然、物置小屋の扉が開いたので二人の心臓が飛び上がる。入り口に立ち尽くしていマクワの表情は切迫していた。
「なんだ……マクワか。びっくりさせるなよ。一体、どうしたんだ?」
「今、帰すわけにはいかない」
おもむろに手を伸ばす行動に《ねもね》が叫ぶ。
「マスター、避けてください!」
即応したアオバは農具の山に音を立てて飛び込む。
「オイオイオイ! 何が起きてやがる! なっ!?」
サバサキの腕に糸が付着する。力を籠めて引きはがそうとしても弾力がある。
「なんだこの糸!? 切れないっ……!」
糸を引かれてバランスを崩す。地面に打ち付けた額を押さえながら顔を起こす。農具をガラガラと避けて立ち上がったアオバも駆け寄る。
「大丈夫か!? サバサキ」
「ああ、大丈夫だ……たくっ何がしたいんだ?」
問い質すそうにもマクワは大雑把に糸を回収して既に姿を消している。腕に残っていた糸を剥がすとその理由が分かった。
「……無い……BCDが無い! アイツ、俺のBCDを盗みやがった!!」
糸でサバサキのBCDを絡め取ったのだ。
アオバは小屋を飛び出す。ガサリと草木に擦る音が聞こえた方角へ向かう。走りながらBCDを起動してアバターを呼び出す。
「《ムーン・ウルフ》、全速力だ!」
「ウォン!」
狼の背中に飛び乗りる。しかし、外は夜の森だ。どこかに隠れられたら見つけられない。
「マスター、あそこです!」
《ねもね》は上空を指さす。糸を使い、猿のように木々を渡るマクワの姿があった。最近、マクワが編み出した高速移動術だ。
「この先は川だ! そこで迎え撃つ!」
先に川辺へ到着したのはアオバだ。しかし、マクワは勢いを殺さず宙を舞う。糸を伸ばしてもこの距離では川を渡り切れない。すると対岸の森からも糸が伸びてくる。手繰り寄せられたマクワの体は森へと引き込まれる。
「一体、森の中に何が居るんだ!?」
遅れてアオバも川を渡る。《ムーン・ウルフ》の背から降り、糸が張り巡らされた森を慎重に進む。
「なんだ、これは……」
白く発光する巨大な繭を前にアオバはたじろぐ。
「マスター、強力なアバターの力を感じます」
「早すぎるよ、アオバ。もう少し遅かったら終わっていたのに……」
サバサキのBCDを手にしたマクワが姿を現す。
「最近の羽振りの良さもコイツが原因か。無理やり契約させられたんだろ!?」
「違う! これは僕の意思だ。コイツにカードを食べさせなければ、この力は消えてしまう。アオバも見ただろう。この力の凄さを」
「確かに驚いたよ。だけど何をそんなに怯えているんだ?」
震えている手を押さえる。部外者のカードがどうなろうとかまわないと強がっても罪に手を染める恐怖心は拭えない。
「アオホシ園を守るためなら、たとえ犯罪者と罵られようとかまわない。誰にも僕の邪魔はさせない。それがたとえアオバでも!」
マクワはBCDからカードを取り出す。カードを掲げると繭の輝きが増していく。
「オイ、貴様。我をカード化するつもりか?」
繭の主の声が響く。
「僕に力を貸せ。じゃないと飯抜きだ」
「クハハハ。良い顔つきになったではないか。良かろう我の力見せてやる!」
「構えろ、マクワ。力づくで正気に戻してやる」
『
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