まのび
西川東
まのびども
「タワーマンションとか高いところに住む人は、お金持ちで鼻持ちならないやつが多い・・・なんて悪口を聞いたりしますけど、本当はそういう人ばかりじゃないんですよ」
会社員のYさんから聞いた話。
Yさんの親友で、Gさんという男がいた。 二人は大学のサークルで出会い、お互いに快活な性格だったせいか意気投合して、大学卒業後も同じ趣味だったり、個人的な酒の席に誘いあったりと、たいへん仲が良かった。
いつのときからか、Gさんが誘いを全て断るようになった。電話に出る声も、その節々から、なにか暗いものを感じた。
いったいなにかあったのか。
話を聞こうにも、電話越しではのらりくらりと話をかわされてしまう。
いつもは裏表のない男だったというのに、どうしたことか。ますます様子がおかしい。
なので、ある日、Gさんの自宅に向かい、直接聞いてみることにした。
しかし、かつてお邪魔した彼のアパートには、赤の他人が住んでいた。
どういうことかすぐに電話で問いただす。
最初はいつものように冗談ではぐらかすGさんだったが、しばらくの沈黙の後、Yさんの根気に負けた彼は、重々しい口調でとある住所を口にした。
それは市内に最近建てられたタワーマンションの屋上の一室だった。
その足で部屋まで向かったYさんを迎えたのは、変わり果てたGさんだった。
無精髭を垂らし、青白くなった顔。よれよれの衣服で酒臭い。もはや快活漢だった面影はどこにもなかった。
酒瓶だらけの居間に通されて席に着いたとき、思わず「どうしたんだよ!?」と声が出た。
そんなYさんをまえにして、カーテンの閉じ切った薄暗い部屋の中、Gさんは下を向きながら、ポツリ、ポツリと話し始めた。
その内容はにわかに信じがたいものだった。
「俺、どうもノイローゼというか、なんというか・・・」
ある日から奇怪な者がみえるようになった。
それは通勤中、決まってビル街の人混みのなかに混じっていた。
人間の頭の部分だけを、馬鹿みたいに縦方向へ〝まのび〟させたナニカ。
首から下は普通の人間のそれで、そこら辺の一般人男性の服装をしている。
その一方で、首から上は、あの野球場で観客席から空中へ飛び散っていくジェット風船、それに無表情の似顔絵を描いてから膨らませたような顔をしていた。ぼんやりと腑抜けた、どこか遠くをみる目で、ぼーっと立っている。
どうみても人間ではないモノが、人混みに紛れて大人二人分ぐらいの高さまで頭を突き出しているのに、誰も気づくことなく歩みを進めていく。どうもソレは自分だけにしかみえないようだった。
ナニカが立っているだけ。
それが自分にはみえるだけ。
なにをしてくるでもない。
それだけなのに、ふとしたときにその異形たる者の姿を思い浮かべる。
どこか遠くをみていた目が、急にこちらに向いてくる。
そんな厭な妄想ばかりが脳裏で何度も繰り返される。
自分にしかみえない孤独感。
いままであった日常から、急に切り離される。
そんな、まったく味わったことのない不可解な嫌悪感。
その僅かなほころびがGさんの精神を確実に蝕んでいった。
最初は仕事疲れだろうと休み休み働いていたが、だんだんそうもいってられなくなる。
仕事ではミスが目立ち始め、次第に苛立ちを隠しきれなくなり、それから眠らない日々が続いていく。
それらが原因か、逆にそれら〝の〟原因かはわからない。
Gさんの調子が悪くなっていくにつれ、街中でみかけるあの〝まのび〟たナニカに変化が起きていった。
ソレは一人だけではなくなり、老若男女問わない恰好で、いつも人混みの端っこに突っ立っている。ときには二人同時に立っていることもあった。
ビルとビルの合間、人ごみのなかに出るたび、ソレらばっかりが視界の端にちらつく。 それからの仕事の合間では、ソレらが脳裏にちらつく。
もはや心休まる場所は自宅のアパートだけになった。
半ば自暴自棄になったGさんは、酒に走り、長年禁煙してきた煙草にも手を出した。 そして、仕事も放って半休を使った夜のこと。
ベランダに出て、こっそりと煙草に火をつけ、煙を肺いっぱいに吸い込む。
夜空には月ひとつなく、どんよりとした曇り空。電灯に照らされ、ぼんやりと小さな形を浮かばせる建物の数々。そんな光と闇のまだら模様になった街並みを横切るナニカがいる。
それはあのジェット風船のように〝まのび〟した誰かの白い頭だった。
あろうことか、いままでよりも確実に大きく、建物の二階部分まで顔を膨らませていた。
そして、いままで突っ立っていただけのモノが、薄暗い電灯に照らされた、やたらと白いその顔を、とてとてと左右に揺らしながら住宅地を横切っているのだ。
煙草の火などお構いなしに自室へと引っ込む途中、Gさんは最悪なものをみた。
とてとてと歩みを進めていたアレが、ある一軒家の二階の窓へ、顔をぐにゃっと曲げて〝覗き込んだ〟のだ。 直感的にわかった。アレは自分がみえている者を探しているのだと。
それから、奴らから見つからない場所として選んだのが、タワーマンションの屋上階だった。なんとも安易な考えだが、これが意外と効いているらしい。
端からどうみても、Gさんは正常ではない。しかし、Yさんには、そのようなデリケートな問題の経験や、専門的知識はない。その日はどうすることもできずに帰ることにした。
それでも親友のためと、しばらくの間、定期的に連絡をとり、それとなく通院状況を聞き出したりした。そんなある日だった。
仕事が繁忙期に入ると、定期的にしていたGさんとの連絡も疎かになっていた。
やっと一息ついたところで、ふとGさんに電話をかけてみようとする。すると、Gさんの方から何通もの不在着信が届いていた。
何事かと電話を掛けなおすと、警察の関係者を名乗る人物からの一報だった。そこで告げられたのは、Gさんの自殺であった。
それからひと悶着あり、後にGさんの通夜と告別式が執り行われたが、棺の中をみることはできなかったそうだ。
いまでも忘れられないことがいくつかある。その一つが、Gさんが最後に残した一言だけの留守番電話。
「やばい。あいつらと目が合った」
そこまで何度もかかってきた不在着信の焦り具合と、抑揚のない留守番電話の口調、そのアンバランスさに、いまでも寒気を覚えるという。
ここまでの話は、Gさんが体調を崩してみた『妄想』ともいえる。本人だけの体験であり、Yさんがそれを聞いた話ではある。
が、「どうも妄想ではなかったみたいなんだ」とYさんは呟いた。
ここから先はGさんの死後、Yさんが体験した話となる。そして、それはまた別の機会に書き起こす。
【続く】
まのび 西川東 @tosen_nishimoto
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