第2話 振り回されて
「悪い! 急いでるんで!」
ジャケットを小脇に抱えたサラリーマン風の若い男が、左の方へと駆けていく。どうやら、重森よりもさらに遅れて歩行者用横断歩道を渡ったらしい。前を行く重森が、腕時計を見るためにペースを落としたため、勢いづいていたサラリーマン氏はよけそこねたといったところか。
(まったく。休みじゃないのか。まあ、一言でも謝罪があったんだし、怒りはしない。こんなことにかまっていられないんだ)
重森は念のため、周囲に一段と注意を配りながら、公園の南口に直行した。
(昔は如月さん、時間に厳しい人じゃなかったけれども、今日は事情が違うからな。遅れる訳にはいかない)
それでいて走ろうとしないのは、彼女と相対したときに息を乱しているなんていう醜態をさらしたくないから。
程なくして、南口の白い門柱や銀色に光る車止めが、視界に入った。
(……いない?)
住まいの位置から言っても、より近い彼女の方が先に着いているものと信じて疑いもしなかった。しかし現実には、如月らしき女性の姿はどこにも見当たらない。というよりも、南口の周辺でたたずんでいる人は誰もいないのだが。
(おかしいな。暗号の解読は間違っていないと言われたのに。陽射しが世押す以上に強くて、どこか近くの木陰ででも待避しているのかも?)
車止めの金属が光を反射するのを目で捉え、そんなことを想像した重森。ざっと辺りを見回してみる。でも、やはり如月はどこにも見当たらない。
(どうなってるんだ? すっぽかしか? 呼び出しておいて、この仕打ち……)
いや、そんなはずはないと、重森は首を左右に振った。彼女に限って、それはない。
(落ち着け。こんなときにこそ、冷静な頭で考えるのが肝要。考えられる可能性は……とりあえず、三つか)
重森は右手の親指を折り込んだ。
(一つ目。如月さんの方で何らかのアクシデントが起きて、遅れている)
続いて人差し指を折り込む。
(二つ目。如月さんは着いていたが、何らかのハプニングがあり、この場を離れざるを得なかった)
最後に中指を折り込む。
(三つ目。確か、如月さんはこの場所に来てとは言っていたが、待っているとは明言していない。つまり、どこかで僕の様子を観察しているか、あるいはひょっとして)
重森は南口に立つと、まぶしさを堪え、半円を描く車止めの上表面に目を凝らした。何の発見もなかったが、そこであきらめず、今度はしゃがんで裏側を覗く。
(あった)
重森の顔に、少しだけ笑みが浮かぶ。車止めの裏側に、小さく折り畳まれたメモ用紙らしき物を見付けたのだ。しかもその表には“重森正彦君へ”と彼女の字で手書きしてあった。セロハンテープで適当に貼り付けたばかりという風情であることから、彼女がつい先ほどここに来て、セットしていったものと推測された。
(如月さんの署名は見当たらないけれども、中を見ろってことだよな。電話して確かめてもいいんだが、メモの内容がまた暗号か何かだとしたら、彼女への電話自体がアウトだと見なすのが自然)
もちろん、さっき列挙した可能性の二つ目に当てはまることも考えられなくはない。その場合、メモには立ち去らざるを得なくなった事情が記してあることになる。ただ、その旨を電話をして来ず、メモで済ませようとする理由が不明だが。
考えても仕方がない。目の前に答はあるのだ。重森はメモ用紙を車止めからむしり取ると、蛇腹に折り込まれた紙を広げた。縦五センチ、横十センチほどの紙の内側には、
『場所を変更します。スリーボックス、スリーラインから、かわを剥いで、雄牛とぶきっちょとのろまを排除した駅出口に、十三時三十分までに向かいなさい』
とあった。
「また暗号かよ」
ため息交じりに呟いた重森。
与えられた時間は何分あるのか、時計を見ると十五分を切っていた。すぐさま沈思黙考に入る。
(残り時間から考えて、駅は今さっき降りた地下鉄の駅でいいだろう。駅出口と限定されているのだから、すべてを回れば事足りるかもしれない。せいぜい、七つか八つぐらいじゃないかな。だが、そういう総当たりの答なんて、如月さんは求めていないに決まっている。ここは相手の意を汲むのが肝心だ)
そう判断したが、身体を駅の方向へ歩き出した。すべての出口を当たるつもりはないが、暗号の答を導き出せたとき、すぐさま駆け付けるには駅にいるのがいい。
(これまた割と有名なパズルを折り込んできたみたいだ。えっと、ここに来るための最初の暗号では、“KとA”がいかにも“K&A”→“KandA”→“かんだ”であると思わせておいて、“Kとえい”→“K都営”だったという仕組みだった。だから今回も一筋縄でではいかないんだろうけど、ひとまず真正面から攻めてみるとしよう。スリーボックス、スリーラインとはボックス、つまり口が三つで“品”、縦線三本で“川”を意味しており、合わせて“品川”だ。そこから“かわを剥ぐ”というのは、“川”を消せって解釈していいのかな。結局、“品”だけが残る。さらにそこから“雄牛とぶきっちょとのろまを排除”か……。単に牛ではなく、わざわざ雄牛としたからには意味があるはず。
うーん、英語かな? 雄牛はOXかBULL。OXだとすれば、ボックス:BOXの中に含まれているっていうだけの根拠だが。三つのBOXからまずOXを除くと、BOXBOXB? 他の二つ、ぶきっちょとのろまは英語で何て言うのか知らないけど、複数ありそうだな)
駅の屋根の下に辿り着いた。重森は壁にもたれ掛かり、携帯端末によるネット検索に頼った。
(――あっ! OXには雄牛の他に、ぶきっちょ、のろまという意味もあるのか。知らなかった。そういや、鈍牛って言うよな。とにかく、これら二つの言葉もOXなら、文字の引き算の答はBBB。あるいは3B)
まるで鉛筆の芯の硬さ・濃さだなと思ったが、これでは場所の特定にはならない。今しばらく考えていると、じきに閃いた。
「逆か!」
3BではなくB3だ。駅の出入り口と言えば、この手の表現をするものだ。そう思って改めて駅の案内板に立つと、思惑通り、B3表記の出入り口がある。現在位置を表す赤い三角からのルートをしっかりチェックし、速やかにB3に向かった。
地下道を急ぎ、再び地上に出る。いわゆる駅の裏側で、人通りは寂しいし、ビルの狭間を縫うように走る道もどことなく暗い。
もう暗号は勘弁してもらいたいと切に願いながらも重森は如月の姿、あるいは次なる“指示書”を捜し、きょろきょろした。
「こっちよ」
声がして振り向くと、小径を挟んだ向こう側、彼女がガードレール越しに立っていた。にこやかな笑みを浮かべ、肩の高さに右手を振っている。
重森は左右を見て安全確認の上、道を渡った。そばに駆け付けると、「思った以上に早かったわね」とまずは褒められた。
「やっと会えた」
如月の前に立つと、嬉しさを押し隠し、抑えた調子で言う重森。
「キミのこと――」
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