▼20「前」

 気温も上がり、日中はかなり暖かくなっていた。窓際の席だと結構な日差しも差し込んで、若干汗ばんでしまう程だ。


『それにしても、合格出来て良かったわね』


 うん、割とホッとしているよ。

 受験前後は根拠の薄い自信で楽観視していたが、無意識はちゃんと不安がっていたようで、合格通知を受け取った瞬間はついつい口角が上がっていた。

 これで僕も高校生になるのかと思うと、やっぱり感慨深くなる。


『そっちの学校の制服はどんなのなの?』


 学ランだったはずだよ。

 パンフレットと入試当日に見かけた在校生の姿を思い出して答える。今の制服も学ランではあるが、あまり違いが見て取れなかったから、わざわざ買い替えなくてもいいなんてこともあるのだろうか。最近は体型もすっかり変動がないし、このままでいいのなら大分安く済みそうだ。


『どうなのかしらね。まあ説明を受けるでしょ』


 それもそうだね。入学の前にはちゃんと学校説明会もあるし、親はちゃんと把握しているかもしれない。僕があまり気にする事ではないだろう。

 ふと教室内を見渡してみれば、全体的に気が緩んでいる印象が大きかった。中には2度目の挑戦の結果待ちをしている人もいて、一概に皆ハッピーというわけではないみたいだけれど、9割方は肩の荷が下りたという表情を見せている。

 そういう人たちも僕たちみたいに、きっとこれからのことに夢を膨らませているのだ。


『三戸くんは、高校で部活には入るのかしら?』


 うーん、どうしようか。

 現在の中学校では卓球部に所属していた僕ではあったけれど、それは入部が義務だっただけで、やる気はまるで介在していなかった。実際に3年間通してみても、億劫な記憶が多い。

 そんなことを振り返ってみれば、高校では帰宅部を選んでしまいそうだ。アルバイトをしたいとも思っているし尚更だ。


『あらそうなのね。でもアルバイトもいいわね』


 安立さんの方は部活に入る予定ないの?


『色々見て回るつもりだけど、特に入りたいところがなければあたしも帰宅部かしらね』


 確かに見てみないと分からないことも多いだろう。それに彼女が進学するのは私立校だし、公立校にはない独自の特色みたいなのがありそうだ。


『部活動は分からないけど、学食が美味しいのは聞いたわよ』


 へぇ、それは良いなぁ。

 僕が行く高校には学食はなかったはずだから、昼食は弁当になるだろう。親が作ってくれない日はコンビニで買った菓子パンとかになるかもしれない。


『この際に自炊の練習も良いんじゃない?』


 レパートリーが目玉焼きとチョコレートケーキしかないよ。


『ふふっ。前に作ったものね』


 かけ離れた二つの品名に安立さんが笑ってくれる。

 と言ってもあの時は長いことレシピ本とにらめっこしてどうにかこうにか作ったもので、改めて作れと言われてもレシピ本がなければ手出し出来ないし、何より時間がかかりすぎる。

 けれど自炊を練習するのは良い案だと思えた。まだ気は早いけれど、高校を卒業すれば恐らく必要になるだろうし。


『高校卒業後は一人暮らしするの?』


 まああんまり家に居座って迷惑かけるのもあれだしね。


『あたしもしたいと思っていたのよね。自分が家を持つのに憧れているのっ』


 さすがに、しばらくはワンルームのアパートとかだとは思うけど。賃貸を自分の家と称するには少し違う気もする。

 なんて苦笑すると、途端にしょんぼりとする。


『む。まあそうよね……。一戸建てはいつ買えるかしら』


 頑張って稼がないとね。でも何千万円とするだろうから、ローンを組むとしても自力だと10年はまず手は出せないんじゃないかな?


『起業したら行けるかしら? いやでも社長とか絶対に無理だわ』


 リスクは大きいだろうけど、悪くないと思うけどね。

 と伝えながら安立さんがキビキビと部下に指示する姿を想像して少しおかしくなった。安立さんはちょいちょい抜けているところがあるから、部下に一杯助けて貰っていそうだ。


『失礼なことを言うわねっ。あたしだってちゃんとすればちゃんと出来るものっ。……たぶん』


 あはは、そうだね。

 その笑いがからかいだというのはやっぱり筒抜けで、安立さんはむくれてしまう。

 そんな風に他愛もない話を繰り広げていると、不意に周囲の生徒達が立ち上がった。慌てて僕も腰を浮かせて、日直の号令に合わせて頭を下げる。

 そうすれば黒板前に立っていた担任教師が一言返して教室を去っていった。

 これで、今日の授業過程も終了だ。

 教室内の生徒達が散り散りになっていく。それを僕は横目で見送りながら、また椅子に座った。


『……ねえ、もう少し話しましょう』


 うん、話そうか。

 寂しさを紛らわすように明るいやり取りを続ける。人がいなくなれば喉を震わせて、彼女をより近くに感じようとした。

 結局、妄想と割り切れないまま。

 あっという間に外は暗くなっていく。

 でも最後のチャイムが鳴る瞬間まで、僕たちはお互いに独りで、教室に居座り続けた。


 明日は、卒業式だった。

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