Stranger Rock'n'Roll

古瀬 風

宛先のない手紙、行く先のない冒険者0

 親愛なる父上、母上。

 花の盛りの頃、いかがお過ごしでしょうか?

 私は故郷から遠く、遠く、それでもまだ遠い地で元気に過ごしております。

 元より、うだつの上がらない一人娘ではありましたが……。

 満足に顔をお見せできないこと、申しわけなく思っております。


 ところで、お尋ねしたいことがひとつあります。

 あの日、あの後、あの出来事の顛末はどうなりましたでしょうか?

 私たち四人は、一時とは言えど、世界を救えたのでしょうか?

 それまで何も成せなかった私たちの犠牲は……。

 無駄にはなっていませんでしょうか?

 最後の、最期に、私たちは何かを成せたのでしょうか?

 もし、そうであれば、もうそちらで望むことは――。


 † † †


 朝が朧気に明け、その部屋の様々な輪郭が灯りなしでも捉えられるようになってきた頃、部屋の主である彼女は、壁にかけてあるそれを確かめた後、手紙をしたためていた手をおもむろに止めた。そして、白い天井を見上げ、どこか憂うつそうに溜息を漏らしながら、部屋を照らしていた灯りを消した。

 少しの間、椅子に背を預けながらぼうっとしていたかと思えば、小さく気合いを入れるかの如く「よし」と口にして立ち上がった。それから、今度は今しがたまで手紙を書いていた机から離れ――とは言え、小さく一歩か二歩くらいの距離にあるベッドの上に放っていたものに手を伸ばした。前つばのみがついている黒い帽子で、彼女はそれを手に取って鏡のある洗面所へと向かった。

 その辺の棚に帽子を適当に置くと、彼女はあらかじめ手首につけていた黒いヘアゴムを外し、そのまま両手を後頭部へと回し、慣れた手つきで金糸を纏めていく。それを終えると帽子をサッと回収し、目深にかぶる。そして、わずかに左を向き、次に右を向く。

 異常なしと判断したのか、彼女は鏡から目線を外し、洗面所を後にした。

 再度、ベッドの脇まで戻って来た女は、帽子の他に放ってあった荷物を、今度は足元に無造作に置かれてあったリュックサックの中に忘れ物がないようにしまい始めた。入れっぱなしにしていても問題はないのだけれども、それが彼女の癖、というか、染みついた習慣やかつての名残であった。

 つつがなく準備を終えると、彼女は手紙のことをふと思い出したかのように、机の上へと目をやった。

 何通目の手紙だろうか。

 彼女はそう思うと、そのの処遇に迷った。宛先がないというのは、未だに書いていないということではなく、この世界のどこにもそこは存在しないということだった。つまり、それはその手紙を書くそもそもの意味がない、ということ。書いている途中で破棄したとしても何の問題もない、ということ。だから、そのまま放置して出かけてしまっても良い、ということ。

 けれど、それでも彼女は少し悩んだ後、手紙を丁寧にしまうことにした。

 出す予定はない。ないのだけれども。彼女は手紙を綺麗に折り、セットで購入した便箋へと入れると机の引き出しを開けた。すると、そこには同じ色、同じ形の便箋がいくつも重なりしまわれていた。

 これもまた、彼女にとっての習慣で、今の生活が始まってから、ずっとそうしているのだ。

 彼女は重ねられた手紙たちに新たな仲間を加えると、わずかに目を細め、ゆっくりと引き出しを押し込んだ。そして、次の瞬間には視線を玄関のある廊下へ続くドアの方へと向けたのだった。


 玄関から外へと出た途端、桜東風さくらごちが彼女の頬や髪を撫でるように吹いた。

 昨日までは順調に暖かくなっていたのだけれども、冴え返ったのか、彼女はその冷たさに目を瞑って両肩をすくませた。こんなに晴れているのにと、どうしようもない文句を心中で吐きながら、彼女は冷たくも優しく吹く風に逆らう形で歩き始める。

 坂の上にある住家から、住宅街ではあるけれど早朝ということで人けのない道を行けば、どこからか土と花の香りが運ばれてきたことに気がつき、彼女は美しく通った鼻筋の先をほんのかすかにスンと鳴らすようにした。そうして、彼女がより強く土と花の香りを楽しんでいると同時に、今度はその他人よりも尖った耳に可愛らしい鳥のさえずりが届いた。今の時季なら、桜の花の蜜を好んで吸う鳥が居るらしいと聞いたことのあった彼女は、正にその鳥なのではなかろうかと思いつつ、薄雲が散り散りになっている青空を仰いだ。

 故郷でも、ここでも、そういった自然の姿は同じようなものなのだと、彼女は胸にじんわりと暖かい色の郷愁を感じ――そして、遠くの方から聞こえてくる異音に我に返った。それは故郷の空には響くことのない音だ。

 そんな異音に我に返ると、彼女は左手首へと目をやった。が、そこには目当てのものはなく、彼女は眉根を寄せて嘆息たんそくした。ちゃんと確認したというのに忘れ物があったのだ。しかし、異音の大きさからして、たった一、二分だとしても取りに戻っている時間はない。

 正しく言えば、普通に取りに戻っている時間はない、なのだけれども、彼女はで忘れ物を取りに戻るつもりはさらさらなかった。

 別に、時間を知る方法は他にもあるからだ。

 だから、彼女はそのまま目的地へと歩を進めることにした。そして、彼女が大通りと言うには少々狭い道へと出ると、人影が独り、ぽつりと置かれた看板の下で何かを待つようにして佇んでいた。山にでも登るのだろうか、動き易そうな服を着た壮年の男性だった。彼女はそんな男性の姿を認めると、すぐさまポケットにしまっていたものを取り出し、それで口元を隠した。息苦しくはあるが、今の時勢を考えれば仕方のない対応であった。

 そして、彼女は近づいてくる異音の方へと目をやった。

 直線の向こう側に見えてきたのは、彼女の故郷――エルフの里どころか、一番文明が進んでいるとされていた王都でも見たことのない、馬よりも速く動ける鉄塊。この世界において、彼女が働きに出かける時の、今のところ重要な足。

 橋本駅北口発、町田バスセンター行きの都市バス。


 彼女はそこそこ新しいブラックのMA―1のポケットからスマホを取り出し、現在時刻を確認するべく、電源ボタンを押してロック画面を呼び出した。

 五時五十四分。

「定刻通り。ま、日曜の早朝だしね……」

 エルフの彼女――アルトリーネ・アルノルトは独り言ちると、二人目の待ち人になるべく、コンクリートで舗装された坂道を気持ち足早に下るのだった。


 † † †


 古今東西。地球上のどこを探したとしても『エルフ』という人種は存在せず、アルトリーネが唯一であることは間違いない。おそらく、現代科学を以てして遺伝子を検査すれば、界隈に激震が走ることは必至だろう。では、そんな稀有けうな存在である彼女はどこから来たのかという話をすれば、ここではないどこか、違う世界からとしか言いようがなかった。いわゆる、剣と魔法のファンタジー世界。人間や魔物が混在する異世界というものだ。

 もちろん、この世界において、そういった類は創作において最もポピュラーなものとして認識されているのだけれど、実在するものかと言われれば十中八九、極々一部を除いては「ありえない」と回答するし、そういう人々が極々一部の答えを聞けば冗談として受け取るか、怪訝けげんな表情を浮かべるだろう。

 アルトリーネはそんな世界から、現代日本の南端――町田へと飛ばされてきたのだ。

 そして、この世界から世界という次元を渡る大いなる旅は、彼女にとって予想外のものであり、欠片も望まぬものであったことは言うまでもない。何せ、年明けの町田駅前に転移してくる直前まで死を覚悟し、その死によって自身を育んでくれた世界を救おうとしていたのだから。

(『四魂しこんの大封印』……あの儀式がこの世界へ飛ばされたきっかけ、なのは間違いないと思うんだけど……)

 流れる景色をバスの車窓から眺めつつ、アルトリーネはスマホから流れるお気に入りの音楽を安物のワイヤレスイヤホンを介して聴き、それでもしばらくして暇を持て余したのか、なんとなしにこちらに来た経緯を思い出していた。

 四魂の大封印。簡単に説明すれば、強力な封印術式だ。古より伝わりし禁術で、四つの色の違った魂を消費することで、、ひとつの魂を恒久的に封印することのできるという代物。アルトリーネはその四つの色の違った魂のひとつとして自ら犠牲になり、ひとつの魂――ありとあらゆる厄災、恐怖の象徴であり、数々の国を滅ぼし、人々を殺戮さつりくし、挙句の果てには異世界から召喚されたとされる勇者を瀕死に追い込んだ、すべての悪の権化である魔王を封印する役目を買って出たのだった。

 つまり、本来ならばアルトリーネの人生は四魂の大封印が発動した時点で終わるはずだったのだ。だからこそ、彼女は並々ならぬ覚悟を決めていたわけだし、その後の生き方など微塵みじんも考えていなかったのだ。

(四魂の大封印が発動すれば、私たちの肉体は滅び、魂は封印対象と共に悠久の時を過ごすことになるって話だったけど……現状、そうなってないってことは……魔王は、封印できなかったってことになるわよね……)

 だとすれば、魔王対抗の切り札であったはずの勇者が倒れたことも考えれば、世界の行く末は絶望的だ。両親や友人たち、旅の途中で出会った人たちがどうなるかなど、想像にかたくなかった。

「また、何も成せなかった、のかな……?」

 そんな独り言がぽつりと、口をついて出た瞬間だった。

「次は終点。町田バスセンターです。本日もご乗車いただき――」

 楽曲と楽曲の継ぎ目に存在する無音に、抑揚が少なく、無機質な女性の声が、ちょうどよく割り込んできた。アルトリーネはハッとなってワイヤレスイヤホンを外すと、それを鞄の中に丁寧にしまう。そして、その代わりに黒く薄い革かどうかも怪しい、これまた安物のパスケースを取り出し、ひとりで座っていた二人掛けの席の窓際から廊下側へと身体をずらした。

 白いマスク姿の乗客はアルトリーネを含めて四人。

 日曜早朝のバスの車内。から約三ヶ月。そろそろ見慣れた光景だった。

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