黒煙のレンマ

夏眼第十三号機

F.M.E襲撃事件

第1話『最期の日』

 ――どうして、こうなったんだろう。

灼熱が街を焼いていた。

空には真っ黒な空母。

「誰か……誰か、生きてる人間は居ないのか⁉ 俺の家族はみんな死んだ! 全員、一人残らずだ! なぁ、誰か生き残ってないのか⁉ 頼むよ……答えてくれよ……」

仰向けになって、空を見上げる。

やっぱり真っ黒だ。

雲も、覆っている空母も。

空の色は思い出せないくらいに、その空は黒い煙に包まれていた。

「……ふしゅぅ」

全身から、空の色に負けず劣らずの黒煙が舞い上がる。

「……⁉ レンマ! 生きてるのか! なぁ、他の奴は生き残って――」

そう、これが。これが僕の正体だった。


 煙人間。かつて僕を診た医者は、そう口にしていた。

もちろん本人に分からない形で。

両親はその診断を受けた日から、僕と目を合わせて会話することをやめてしまった。

次第に家に帰ることが少なくなったのは、言うまでもないだろう。

両親は僕を、人間として見ることを諦めてしまったのだ。

思えば……僕自身も、諦めてたんだと思う。

なにせ気を抜けば、全身が煙と化して消えてしまうような体だったんだ。

間違いなく言えた。僕は人間じゃないって。

 そんなもんだからか、街には僕の噂がすぐに回った。

曰く、バケモノとのことだ。曰く、近づいたら殺されるそうだ。

全くのデタラメ、と断じたいのはやまやまだったが、実際危険のない体という訳でも無いらしいのだ。

煙は、感情が昂ってしまうと非常に高い温度になるらしく、さらにそもそもとして煙自体が人体に悪影響を及ぼす。

密室で煙化するなんて、最悪の所業だった。

だから僕は、なるべく室内に入らないようにした。

だから僕は、ひたすらに人を避けるように生きてきた。

だから僕は、自分の罪を受け入れた。


 だから……僕は……暴力を……受け入れていた……。

路地裏で。

「オラ……っ! オラ……っ! オラよっと! おいおい立てよ、ケムリ野郎が!」

同い年くらいだろうか。

僕はある少年にに、足蹴りにされていた。

相手は二人。殴る奴が一人と、囃し立てる奴が一人だった。

こういうことは、しょっちゅうだった。

「へっ! バケモノが! 人間様の街でデカい面してんじゃあ……ねぇよ!」

「いよっ! 街の救世主! 迷い込んだ哀れなバケモノを、退治してください!」

「ちが……っ。僕は……」

「あん……? バケモノが人間様の口聞いてんじゃねぇぞ。殺されてぇのか? あぁん⁉」

人は、未知を恐れる。安心感を求める。

進歩を拒み、檻の中で死ぬことを許容して生きている。

愚かしくもその風習は、一向に消えないだろう。

だって――

「あああああ⁉ なーにブツクサ言ってんだよ、ケムリが!」

強く、蹴られた。

地面で顔面が削られた感覚を覚える。

僕の顔は、煙と土埃で真っ黒だった。

「けっ、バケモノのくせによ。ケムリのくせによ。俺の目の前に、二度とそのツラ見せんな。吐き気がする」

唾を吐いて、二人はどこかに行ってしまった。

「…………」

そうだ。これは仕方のないことなんだ。

「僕が……こんな体で……生まれてきたから……」

体を引きずるようにして、僕は二人とは反対の街道に出ることにした。


 街道に出ると、夕日の中で活気づいている。

どうやら今日は、何かの記念日らしい。

お祭り……なのかな。

楽しそうな雰囲気とは裏腹に、僕の気持ちは沈んでいく限りだった。

……こんなんじゃだめだ。

そうだ、今日の良かったことを挙げていこう。

今日は反撃して大事にしなかった。うん、これはいいことだ。

今日は殴られて、誰かが傷つかないようにしてくれた。

今日は……今日は……

ゴミみたいな人間が街から掃除できて、みんな安心して暮らせるようにした。

「あれ……なに、これ。涙……」

気が付くと、頬には涙が垂れている。

そして、歩く気力もなくなった。

道端に座り込んだ僕。

石造りの壁が、冷たかった。


 そこからはもう、涙が止まらなかった。

声は出さない。ただ不思議だった。

僕は全然、悲しくなんかないのに。

ただ胸の底が、ぎゅっとするだけなのに。

涙は止まらなくて、歩く気にもなれない。

そうか……これが、悲しいってことなのかな。

「はは……こんなに壊れたっけ? 人間ってさ……」

いや……僕は人間じゃない。

ただの壊れた、バケモノだ。

バケモノだから感情はない。バケモノだから、何も感じない。

痛くない、苦しくない。

だから……辛くない。

これは、当たり前の事なんだから。


 通る人は、僕を横目に見るたびに、さっと目をそらしてしまう。

きっと、殴られた跡が痛々しいのだろう。

きっと、僕自身が醜くて仕方ないのだろう。

はは……なんて、残酷。

でもね、それさえも日常なんだ。だから、受け入れないと。

もっと我慢しないと。助けてなんて、言えないんだから。

「あ……」

そんな中に。

買い物帰りの母さんを見つけた。

「母さん……! おおい! 母さん!」

叫ぶ。呼んでみる。

すると、周りの大人が一斉に僕を見ていた。

母さんは一瞬だけ、ぎょっとした顔をのぞかせる。

そしてゆっくりと、僕のそばへやってきた。

「買い物、帰りなの?」

「えぇ……」

やはり、目は合わせない。

「重そうだね。手伝おうか?」

「いいえ、大丈夫よ。これくらいなら、母さん持てるから」

沈黙。僕らの会話は、いつもこんな感じだった。

「それじゃあ……一緒に帰る?」

「いや……その……えぇっとね、レンマ。今日はまだ、用事があったでしょう?」

「? 用事なんてないよ。だって、今日はもう終わりじゃないか」

「いいえ、まだ用事があるはずよ……そう、確実に」

「ねぇ母さん、一緒に――」

「レンマっ! ……遅くならないうちに、帰っておいでね」

いたって、普通だった。

一瞬だけ叫んで、後はいたって普通の態度で、母さんは一人で行ってしまった。

「……はは。じゃあ、また」

そうしてまた僕は、石造りの壁に背を預けていた。

……今日も、家に帰れないのかな。

とりあえずアジトを目指そう。

そうすれば――

 と。

と、だ。

空を見上げると、そこに黒くて巨大な戦艦が浮いていたのだ。

見たことがない。

そもそも、見ることがない。

だって、そういうのって戦場でしか見ないものだと錯覚していたから。

平和ボケ、という奴だろう。

その一瞬が、命とりだというのに。

そのすぐあと、僕は気絶してしまった。

床に寝転んで、辺りは火の海と化した。


 そして、先ほどの冒頭に帰ってくる。

「よかったぁ……まだ息がある」

「おじ……さん……」

倒れ込んでいた僕に、一人の男が駆け寄ってきた。

「いやぁね。さっき言ってたから聞いてるかもしれないけど、俺の家族ってみんな死んじゃったんだ」

「…………」

「ひどい話だぜ? さっきの爆風からは生き残ったけどさ。家に変な恰好したさ、ほら軍人? みたいなやつらが乗り込んできて、俺以外の家族を皆殺しにしちまったんだ」

「それが……どうしたの? ねぇ、どこか逃げるところはさ……ないの?」

男はそれでも、しゃべり続けた。まるで、定型文のように。

邪魔を許さないように。

「それでさ、軍人の一人がこういったんだよ。『お前は選ばれた、俺に選ばれた。この街の生き残りを一人でも殺してこい。その生首を持ってくれば、お前を助けてやる』ってさ……」

「……⁉」

男に危険な雰囲気が纏ってきた。

僕の勘は、あまりいい方ではない。

だが、その男の話し方。話す内容。表情で、その真意を読み取ることは容易だった。

ヤツは――

「だからね、レンマ君。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ死んでほしいんだ。そいつさ、殺して来たらついでに死んだ家族も埋葬してくれるって。そう約束してくれたんだ! それに……ほら!」

笑顔でヤツは、懐から巨大なナイフを取り出した。

「これ、サバイバルナイフっていうんだって。かっこいいねぇ。便利そうだよねぇ。おじさんも貰った時、真っ先にそう思ったんだよ。だからさ、レンマ君。このかっこいいナイフを、ちょーっと近づけるね」

そうしてナイフは、僕の胴体に迫ってきた。

「おじさんね、正しい死について考えたことがあるんだ。それで、考えたのはさ。どうせ死んで悲しませるなら、せめて誰かを助けて死んだ方が良いってね。だからレンマ君、僕を助けると思ってさ、一度死んでほしんだ」

「……!」

恐怖する。逃げ出したい。

だが、人間的なこの体は。軋む関節や筋肉は、動くことを容認しなかった。

「さぁ、もう死のうね。正しく死んじゃおうね。大丈夫。おじさんを助けてくれたんだ。きっと、天国で幸せに過ごせるよ……」

 「やだ……」

「あ?」

口だけが、動いた。

「いやだ……しぬのは、いやだ……ぼくはまだ、生きてたい……」

それは、拒絶の意思。

初めて口にした、否定の語句。

それで――終わりだった。

「……っ! 死に晒せぇぇぇぇぇ!!!! このっ、バケモノがぁぁぁぁぁ!!!!」

そうして、僕のお腹に、ナイフが突き刺さった。

ぐちゃりと、

「お前なんてっ! お前なんて、こうして死ぬしか役に立たねぇんだよ! 所詮、ケムリのガキには分かんねぇだろうがよぉ! 大人にゃ大人の事情ってもんがあるんだよ……! だから死ねよ。さっさと死ねよ。ホラっ! ホラっ! さっさと死ねやぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!」

ぐちゃぐちゃと、くちゅくちゅと。腹の中をかき回される感覚が鈍い。

……そうか。これが、死なのか。

なんて、退屈だろう。

なんて、退屈な人生だっただろう。

思い起こせば、バットだった。

バットな日々だった。ダークファンタジーにも、程がある。

……そういえば、こんな風に死んだっていう神様がいたっけ? 

あぁ……いや、もうどうでもいいや。

どうせ、エンディングは決まり切ってるんだ。

そう、これが――

「死ねぇぇぇぇぇ!!! 死ねぇぇぇぇぇぇ!!! 俺の為に、死にやがれッッッッッッ!!!!」

見たことのない形相をしながら、男は僕に死を宣告する。

そうだな、その通りだよ。

僕は死ぬべきだ。

みんなの為に。誰かの為に。

間違っても、口は開かないけど。

ありがとう。

僕に、死にゆく意味を与えてくれて。

僕に、生きてた意味を与えてくれて。

あぁ……もう、楽になろう。

どうせこの世界では幸せになれなかったんだ。

最期くらい、幸せに。気持ちよく終わりたいじゃないか。

そう。これが、僕の――最期の日だった。


 そうだ……これが、最期だった。

これ以上は無い。

これ以上は、読めない。

これ以上は、物語がない。

……はずだ。

なのに。

こんなにも。

胸が痛いのは、なんでだろう。

何も刺されていないのに。

今日は、そこを蹴られたり殴られたりしていないのに。

……あついよぉ。

体の芯から、火傷するほどに熱い感覚が刺してくる。

これが、死なのか?

……否。

ならばこれは……一体。

僕の体は、一体どうしたっていうんだ。

悲しい。

悲しみを覚えている。

僕の体から、発している。

『――さぁ、目を開けて。声を出して。立ち上がって。ここからは、君だけの物語だよ』

これは……なんなんだ。


 「あれ……? おじさん?」

気が付くとそこには、焼け焦げた死体がある。

おじさんは、何処かに行ってしまった。

「……なにこれ」

ふと、手のひらを見てみる。

およそ人間の手のひらがしている色ではなかった。

いや、色だけじゃない。

形状も、人間離れしている。

真っ黒。

固体のようで、その実態は気体。

全身が、僕のもつ煙の性質に置き換わっていた。

その感覚が、鈍く感じられる。

「どうなってるんだ?」

実感がないまま、体は熱くなるばかりだ。

僕の歩いた地面は、高温で変質していく。

草は燃えて灰となり、地面は焦げていく。

自分の周りには煙が充満しており、ちょっとだけ呼吸がしづらい。

でも、いいやって思えるぐらいには快適だった。

なぜなら僕は、既に酸素を必要としていなかったからだ。

いや、別に吸っていないという訳ではない。

僕の体に、第一として必要になっていたのは、燃焼反応だ。

つまり、炎が僕にとっての酸素だった。

……もちろん、燃焼には酸素が必要なのである程度は必要なのだが、それは僕の周りの煙がなんか吸ってくれてる。

だから僕は、炎を感じるだけで生きていられた。

 綺麗な空気だ。

これまで生きていて、決して味わうことのなかった感覚。

山に行っても、川に行っても、その感動は無かった。

今になって思う。僕は、山や川ではなく、火事の現場に行くべきだったんだ。

あんな惨状が、今思い返すだけで美しい。

そういえばと、空を見上げる。

真っ黒なケムリと、巨大な戦艦が空を覆っている。

あぁ……そうか。

僕は、こんな情景を、望んでいたんだ。


 「あ……おいっ! レンマ!」

しばらく歩いていると、ボロボロの服を着て、ほとんど全裸になった少年がいた。

そいつの正体は知っている。さっきまで、僕をボコボコにしていた奴だ。

「やぁ。生き残ってたんだね」

「お前……レンマ、だよな? 煙の色とかも、見覚えあるし……まぁいいレンマという事にしよう」

「うん、そうだよ。レンマだよ」

「なぁレンマ。一体、これどうなってるんだ? いきなり戦艦が来て、街を破壊しちまった。こりゃどんな冗談だって言うんだよ」

「知らなーい。でもぉ、こんなに素敵な景色を作れるんだったら、きっと素敵な人たちだよ~あはは」

「は……?」

困惑を顔に浮かべる少年。

その困惑に、僕も混乱した。

「なに……言ってんだ? 人が死んでるんだぞ?」

「うん、そうだよ。だからこそ綺麗じゃないか。人が死んで、街が焼けてる。これ以上の情景がどこにあるって言うんだよ」

「あぁ……そうだな。これ以上の地獄は、見たことがない」

「違うよ。ここは、天国さ」

当たり前のことを、そうつぶやいた。

そんなことも、知らないなんて。

「はぁ……? お前の家族も死んでるかもしれない。俺の家族は……みんな死んだ。お前も、さっき俺が会った生き残りとおんなじで、おかしくなったのか……?」

「おかしくないよ。これが、正常。僕はぁ、いつもと変わらないよ。あっそうだ、一緒に見て回ろうよ。こんなに綺麗な景色なんだから、きっと君も気に入るよ?」

その言葉を聞いたとき、少年は覚悟を決めたような面構えをしていた。

「……俺の妹もな、おかしくなっちゃったんだ。パパとママが死んでさ、そんで一緒に死のうって。それでもいいって、最初は思えた。でもよ……死んじまったら、なんにも残らねぇじゃねぇか! だから……! 俺は妹を……何回も、何回も。妹が持ってた包丁でさ、いつも使ってる包丁でさ……ぐちゃり、ぐちゃりと……改めて問うぞ。お前は、この街の……いや俺の、味方か?」

吐きそうな、醜い表情でそう尋ねた。

「僕は、誰の敵でもないよ? そんなことよりもさ、お散歩しようよ」

「そうか……そうだな。じゃあ、死んでくれ」

はぁ……またこれか。愚かしいにもほどがあるよ。

二回目じゃないか。二度目じゃないか。

あんたにとっても、僕にとっても。

だからだろう。

ちょっと、ムカついたからだろう。

僕はその腕を伸ばして――

「くっ……バケモノめ!」

彼を高く持ち上げて、首を絞めていた。

抜け出そうと必死にあがく少年。

だが、既に時遅しと悟ったのか、抵抗するのをやめた。

「もう、つまんないや」

「なぁ……殺す前に、一つ教えてくれ。お前は、お前の正体はなんなんだ」

「僕? 僕はね……人間だよ」

「そうか……なら――!」

 そして彼は、とたんに叫び出した。

「おぉぉぉぉぉぉい!!!!!!!! この街に、バケモノがあらわれたぞ! 俺はこれから殺されるが、生き残ってる死骸どもは、注意して生き残ってくれ!」

「……死んじゃえ」

そうして、体温をぐわっと上げてみた。

すると……彼の体は次第に延焼を始める。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっついいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」

人生最大の、熱量を。

彼に、最期の餞を。

僕の体の煙は、最高温度に達していた。

「熱いぃ! 熱いぃ! 熱いぃ! あつい! あつい! あつい! あついよぉ!」

ボロボロの体になりながら、尚も叫び続ける。

だから……うるさかった。

鬱陶しかった。

僕は、そいつの首を、がくんと折り曲げた。

「ぐげ」

そう発しただけで、彼の人生は終了した。

体温が下がるのを感じると、途端にその体はただ燃えるだけに成り下がった。

「あれ? 死んじゃったの? もう? さっきまでさ、僕を殴ってたのに。もう死んじゃったの? あはは、雑っ魚」

楽しい。人生で一番、今日という日が楽しくて仕方ない。

そうだ、もっと歩いてみよう。

この美しい情景を、この素晴らしい街並みを。

……最も、共有できる人間なんていないけど。


To Be Continued……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る