第23話 卒業2/5

「もういいんだよ母さん。俺、全部知ってるんだ――」


 何日も遅れてようやく、俺は隠していたことを母さんに打ち明けた。


 全ての発端は、俺が言いつけを破って仕事部屋を覗いてしまったことだ。マリアとして配信する母さんを見たときは、もう理解が追いつかないほどの衝撃だったな。


 それからは、黒曜こくようダークとのお風呂配信や極姫ごくひめシルビアとのお泊り配信など、母さんの邪魔にならないように陰からサポートすることが増えた。気を遣って疲れることもあったけど、今思えば楽しかった気がする。


 生誕祭ライブは最高だった。新衣装というサプライズもあったし、体調不良で会場に来れないかんなぎみことのために頑張るマリアが、俺の好きな彼女らしくて一番印象に残っている。


 しかし、楽しいことばかりじゃなかった。


 母さんの邪魔になりたくない気持ちが強くなると同時に、一日のほとんどを配信に費やす母さんを見て不満も覚えた。そうして勢いで家出してラブホに流れ着いたわけだが……母さんに話す都合上、友達の家に泊まったことにしておいた。


「――という感じだったんだ。この一か月ちょっとは」

「…………」


 黙って聞いていた母さんだが、何を思っているんだろう。家出は完全に俺がイライラしてやっちゃったことだから何を言われるのかと思うと少し怖い。

 しばらく沈黙が続いた後、


「…………うぇぇ……っ」


 なぜか、ぽろぽろと涙をこぼす母さん。


「うええええぇぇぇんっ! うぇっ……びえええええええっ!」


「母さぁん⁉ なに子どもみたいに泣いてんだよ⁉」

「だってぇ……ひっく……だってお母さんはお母さんなのに、翔ちゃんを困らせて……こんなのお母さん失格だよぉぉ……! びええええぇぇえんっ!」


 ギャン泣きする母さんの声は廊下にまで響いていたようで、勘違いした看護師が「お子さん大丈夫ですか……」と顔を覗かせた。


「大丈夫っス! 34歳児はこっちでなんとかするんで! すいません!」

「うわあぁぁん! お母さんがっ、こんなに泣いてるのにババアって言ったああぁ!」

「言ってねえ! みっともないから早く泣き止めババア!」

「言ったあああぁぁあん‼」


 結局、泣き止むまでに三十分くらいかかった。


「……ぐすっ……ごめんなさい、翔ちゃん……」


 暮れなずむ病室。ひぐらしがどこかで鳴いている。


「母さんのせいじゃない。俺が知らなくてもいいことを知ったせいだ」

「ううん。お母さんが悪いの。もっと早くに活動のことを話していたら翔ちゃんは困ったりしなかったんだもの。だから全部お母さんのせい。本当にごめんなさい……許して」

「…………」


 その言い方は、ずるいだろ……。


 昔から母さんはこんな人だった。

 幼稚園児の俺がデパートで迷子になったときのことだ。迷子預り所まで迎えに来た母さんは半泣きでこう謝った。


 ――ごめんね、お母さんが目を離したから……。

 ――全部お母さんのせいなの。


 たしかあのときは、俺が黙っておもちゃ売り場に行ってはぐれたのが原因で、母さんが悪いわけじゃなかった。

 でも、母さんは親だから、全部の責任を背負い込もうとする。

 俺には欠けらほどの責任も預けようとしてくれない。俺が子どもだから。

 今も昔も俺が何かを決行するたび、その後始末を母さんが〝責任〟という言葉に詰め込んでさらっていってしまう。そして、あらゆる問題がそれで丸く収まっていくのを俺は母さんの後ろで眺めてきた。


 そりゃそうなる。

 だって俺の前にいる人は、200万人超のファンを抱えるアイドルでありながら母親も両立するという、世界に何人もいないハイスペック超人だ。器が違い過ぎる。そんな人が「全部自分のせい」と言ってきたら、俺にはそれを覆せる言葉は出せない。


 俺、いつまで〝母さんの子ども〟でいなきゃいけないんだろう……。


「――私、引退します」


 沈黙を裂いた無機質な言葉に、俺の思考は漂白された。


「ぇ……は? 引退?」

「うん。メタライブを辞めるの。そうしたら今度こそ、翔ちゃんだけのお母さんになるね」


 斜陽を横顔に受ける穏やかな笑顔に、俺はぞっとした。


「まて……待ってくれっ、俺はそんなこと望んでないんだよ! 俺のために引退とか絶対やめてくれ!」

「あっ、違うのよ。誤解するような言い方しちゃってごめんね。引退は、もうずっと前から考えてたことなの」

「……なんでなんだよ」

「え~、情けない話になっちゃうから言いたくないよぉ~」

「聞かせてくれ。頼む」


 ファンとして聞かなきゃ気が収まらない。

 俺が促すと、母さんは根負けしたように「わかりました」とはにかんだ。


「本当に情けない話なんだけどね……私、今のメタライブについて行けてないの。みんなに置いてかれちゃってるのよ。例えば……黒曜ダークちゃん」

「ダックちゃんな」

「そう、ダックちゃん。先月あの子とお風呂配信をしたんだけど……翔ちゃんはあの配信見てくれなかったのよね。シルビアちゃんを見てたんだものね……ハァ」

「あれ嘘。本当は全部見た」

「本当っ⁉ むふふ~」


 恥ずかしがるどころか喜ぶのは一周回ってすごいよ、と呆れそうになる。


「あの配信ね、ほとんどがダックちゃんの案なのよ。私はお風呂自体、配信ですることじゃないって思ってた。メタライブらしくないって。でも、フタを開けたら世界トレンド一位でしょ? ……いつの間にか時代に遅れちゃってた」

「じゃあ、これで時代に追いついたってことで大丈夫だろ」

「ううん……メタの後輩たちは、意識が違うのよ」

「意識?」

「シルビアちゃんから特にそう感じたなぁ。お泊り配信の深夜の枠で、シルビアちゃんがいきなりNGナシでリスナーの質問に答えたのよ。あの子は、『ラインを広げたい』って言ったのよね」


 他にはたしか、ラインを広げてメタライブが衰退しないようにしていかないと、みたいなこともシルビアは言っていたか。


「すごいなぁって驚いちゃった。私は、メタライブらしいことをしてれば安全だし、それでいいとしか考えてなかったから。……でも違うのよね、〝メタライブらしさ〟なんてないほうがいいの。型にとらわれないで、みんなが違ったおもしろさを開拓していくのがメタライブのあるべき姿なのよ。そうやってきたから、私一人の活動はここまで大きくなったのにね……こんな大切なこと、なんで忘れちゃったのかなぁ……バカだなぁ……」


 その後も、母さんは抱えていた悩みを訥々と語った。


 聞く中で気づいたことだが、母さんは後輩の話をするときに〝あの子〟とよく言う。最初はてっきり、女子にありがちな同姓の呼び方だと思った。が、母さんの場合は違う意味合いで使っているようにも聞こえる。

 母さんは34歳。メタライブのオーディションは18歳以上なら誰でも応募できることを考えると、後輩は年下ばかりなんじゃないだろうか。

 これはファンである俺の推測だけど……母さんにとってメタの後輩は、娘でもあるんだ。


 娘だから、危ないことをせず安全に活動をしてほしい――

 娘だから、いつでもアドバイスをして助けてあげたい――


 そう思って活動していたからこそ母さんは、〝メタライブらしさ〟という安全ラインを強く意識するようになったんじゃないだろうか。

 リアルでもバーチャルでも、この人は親の立場に縛られてるんだろう。

 助けてあげたいけど、子どもとしか思われてない俺の言葉は、母さんには届かない。


「――と、いろいろ悩みを吐き出しちゃったんだけど。体力のなさも理由の一つね。今回の件でよくわかったのよ、お母さんもう若くないんだなぁって」


「…………母さん、若いよ」


「え~? 翔ちゃん、さっきもババアとか言ったくせに~」

「あんなの噓だって。俺、バカでガキだからさ、気に食わないとすぐ傷つけるようなことしか言えないんだ。母さん若いよ。きれいだって。友達もみんな言ってる、18歳にしか見えないって。若いんだし体力はどうにでもなる…………だ、だからさ……っ」


 頼むから言わないでくれよ……。

 ファンの前で辞めるなんて、そんな簡単に言わないでくれ……。


「……翔ちゃん」


 項垂れて泣きそうな俺の頭を、母さんは優しく撫でる。


「いっぱい困らせてごめんね。大丈夫よ。一番大切なのは翔ちゃんだから……だから、天母マリアはもうおしまい。それでいいのよ」


 俺はきっと心のどこかで、母さんが俺よりもメタライブを大切に思ってるんじゃないかと心配していたんだ。

 だから安心してしまった。

 一番と言ってもらえて、甘えてしまった。


 ファンから一人の子どもに成り下がった俺にはもう、推しを止めることはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る