第21話 デート(?)5/5
7月26日(水)23時14分
照明が消えてベッドサイドランプだけが点いた薄暗い寝室。
美波の配信が終わり、歯磨きを済ませた俺たちはダブルベッドで横になっていた。体がぶつからない程度の距離を空けて、互いに背中を向けた状態。そうしようと決めたわけじゃないけど、磁石同士が反発するように自然とこういう形に落ち着いた。
すぐ後ろに、人の体温を感じる。シャンプーの甘い匂いと美波の匂いがする。
最初は薄暗がりでのそんな状況にドキドキして、どちらかが身じろぎしただけで片方がビクッとしていたが、次第に緊張は眠気に取って代わっていった。
「……ねぇ、ねれそ?」
そう尋ねる美波の声は今にも寝そうなくらいふにゃふにゃだった。
「すっげえ眠い」
「わかる。あるいたもんねぇ」
「美波は配信も頑張ったもんな。二時間半も。いつもよりおもしろかった」
「えへへぇ。きょうは、いつもよりがんばって、しゃべってみたのでしたぁ」
「そうなんだ?」
「うん。……嫌なこと忘れて楽しんでほしかったからね」
喋り続けるにつれて美波の声がはっきりとしてきた。
「秋山くん、ママとのことで疲れてるみたいだったから、あたしの配信見てるときだけは全部忘れて楽しませてあげたいなぁって」
「……悪い。気を遣わせたか」
「いいの。それが、あたしが配信で一番やりたいことだから」
「それっていうのは、嫌なこと忘れて楽しませること?」
「そ。……あたしのママさ、めっちゃ教育ママで小さい頃から習い事いっぱいやらせてくる人だったの。水泳にピアノに習字、ホントにいっぱい。でも、やりたくて始めたことじゃないから途中で飽きて嫌いになる。毎日嫌いなことで予定がびっしり。まじ最悪で病んでた。そんなときね、たまたまダークさまの配信を見てVにハマったの」
「なんかわかるなぁ……」
俺も受験勉強でメンタル死んでたときにマリアを見てVにハマったんだ。
必ずしもそうとは限らないけど、つらいときに明るい世界を見るのは、強烈に惹きつけられるきっかけになるんだと思う。
「あたしもね、あんなふうに嫌なこと忘れて楽しめることしたいなぁとか思ってたら、やる側になってた。初めて自分からやりたいって思ったことだったかも。……でも好きなことやっててもさ、嫌になるときってあるじゃん?」
「アンチのコメントとかな」
アンチと言っても、誹謗中傷してくるようなわかりやすい連中ばかりじゃない。
例えばゲーム実況なら、「このゲーム別におもしろくなくね」みたいなコメントがまさにそれだ。わざわざ見に来てまで自己主張するなよと思うんだが、言っているほうに悪気はないのか、そういうコメントはマリアの配信でも時々見かける。
「アンチも嫌だけど、夏空ホタルはまだアンチがつくほど有名じゃないから。そうじゃなくて、あたしが言いたいのは……義務感でやってるとき」
「義務感?」
「秋山くん、今、『マリアをサポートしなくちゃ』って思ってるでしょ」
そのとおりだった。美波の言う〝義務感〟の意味を理解できてしまい、俺は何も言えなくなる。
黙り込む俺に美波は続ける。
「もうやめたほうがいいよ。好きなことでも義務感でやってるといつか絶対嫌いになる日が来るから。このままいったら……天母マリアもママのことも、秋山くん、全部が嫌いになっちゃうかも」
「それは、最悪だな……まじで」
普段の俺なら、「マリアを嫌いになる? そんなわけないだろ」と笑い飛ばせただろう。
だけど母さんと喧嘩中の今言われると、本当にそうなるかもしれないと思えてくる。
現に俺は今、母さんをあまり良く思っていない。
夏休みになって家にいる時間が増えたから気づいたけど、母さんは一日のほとんどを仕事部屋で過ごしている。別に母さんが暇な時間どこで何してようがどうでもいい。
ただ、暇ができるたびに配信――つまりは仕事するのをやめてほしいんだ。あんなことを続けていたら、いつか倒れてしまう。それが怖い。
けれど、「察してくれ」の一言で母さんに理解を押し付けるには事情が複雑すぎる。
もういい加減、面と向かって話さないといけない。素直に話すのが恥ずかしいとか何を言われるかわからなくて怖いとか、そんなことも言ってられない段階に差し掛かっている気がする。
全部が嫌いになる前に、手遅れになる前に、話さないと。
「……明日、家に帰ったら今度こそ母さんに全部話す」
美波は前と同じように「頑張って」と言ってくれた。
本当に、頑張ろう。次こそは絶対……。
そう念じているうちに瞼が重くなってきて、俺は目を瞑った。
7月27日(木)9時00分
ラブホのチャックアウトまであと一時間。
「やっぱ、チョコ味が最強だわ」
椅子で朝飯のカロリーメイトをボリボリしながら、そんなことを呟く。
洗面所のほうでシャワーの音が止んだ。朝風呂を満喫している美波がもうじき出てくるだろうから、そうしたら帰りの支度をしよう。
……家に帰ったら、怒られるだろうなぁ。
ぷんぷんした母さんにいきなり話を切り出しても空回りしてしまうだろう。なんとか怒りを沈ませてから話をしないといけないのが面倒だ。
あと、女子とラブホに泊まったことは黙っていよう。ヘンなことは何もしてないけど知られたら確実に大騒動になる。
家出なんて、自分がすることになるとは思わなかったな。
「くそぉ……なんで推しが母さんなんだよっ⁉」
いつかと同じ愚痴をこぼしたそのとき、テーブルの上にある俺のスマホに着信が入った。
「母さんか?」
違った。スマホ画面には『ばあちゃん』と出ていた。
珍しい。ばあちゃんが家の電話じゃなくて俺のスマホにかけてきたのは今回が初めてだ。
なんだろう。俺に話があるときでもいつも家の電話にかけてきていたのに、なんで今日に限って直接こっちにかけてくるんだ。
何か、おかしくないか?
妙な胸騒ぎを覚えながらも、俺は急かすように鳴るスマホに手を伸ばした。
「――あっ、翔ちゃん⁉ 今どこなの⁉」
電話に出てすぐ、ばあちゃんがそう言った。
「ばあちゃん? 何かあったの?」
「あ……その、大丈夫だから、落ち着いて聞くんだよ……」
「な、なんだよ……」
なんで落ち着いて聞かなきゃいけないんだよ。
だんだん怖くなってきた俺に、ばあちゃんはゆっくりと告げる。
「薫子が……あんたのお母さんがね、さっき――」
その知らせを聞いた途端、喉の奥が干上がったかのように乾いた。
冷汗が背中から噴き出す。背中に張り付くシャツが氷みたいに冷たく感じられた。
電話が終わり、震える手でスマホをテーブルに戻そうとして、やっぱりポケットに突っ込んだ。すぐさまリュックに自分の物を詰め込んで帰り支度を済ませる。
洗面所のドアが開き、美波が出てきた。
「朝風呂、ちょ~気持ちよかったぁ。……ほえ? チェックアウトまだでしょ?」
リュックを背負う俺を見て、風呂上がりの火照った顔で美波はきょとんとする。
「ごめん美波、先に帰る。本当にごめん。お金はテーブルに置いてあるから」
「え……ま、待って待って! すぐ支度するから一緒に出ようよ。こんなとこに一人で置いてかないでよぉ……」
「ごめん。すぐ行かないと」
「なんで。何があったのかくらい言ってよ……」
俺を見る美波の顔がどんどん不安そうに歪んでいく。俺は自分が死にそうな顔をしていることはわかっていた。そんな顔で話したら美波にまで心配をかけてしまう。だから言わないでおこうと思ったけど、そうはいかないようだ。
深呼吸を挟む。
「母さんが……倒れた」
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