第20話 デート(?)4/5

 7月26日(水)19時30分


「…………俺、一級フラグ建築士だぁ……っ」


 ホテルの部屋に入ってすぐ、俺は顔を覆った。

 フロントで俺と美波の対応をしてくれたのは気だるそうなおばあさんだった。おばあさんは俺たちをちらりと見ると、年齢など何も聞かずにルームキーを渡した。事情を察してくれた気がしないでもないが、だからって高校生を泊まらせちゃダメだろ。ありがたいけど。


「広っ! うわ、お風呂でかっ! ベッドもでかっ!」


 部屋に入るなり美波はリュックも下ろさずにはしゃいでいた。

 外観を見たときは寂れたホテルだと思ったけど、部屋はかなりきれいだ。

 入り口横のドアを開けると、その先は洗面所になっていて歯ブラシやドライヤー、タオルといったアメニティが洗面台にずらりと並んでいる。

 洗面所の奥は風呂場であり、床と壁は高級感のある黒いタイルになっていた。明かりをつけると控えめな暖色が浴室に灯り、白い浴槽が空間にぽっかりと浮き出る。浴槽は、二人で寝転がれそうなサイズだ。


 寝室に行くと、既に荷物を下ろした美波がダブルベッドでくつろいでいた。


「秋山くんもベッドに座ってみなよ、ふかふかだよ!」

「あ、本当だ……すげぇ」


 美波の隣に腰を下ろすとシーツ越しに尻が沈み込んで、何キロも歩いた疲れがベッドに吸われていくようだった。

 今夜はぐっすり眠れそうだなと思った瞬間、俺はハッとした。


 ベッドは一つ。


 今夜、美波と一緒に寝るんだ。


「…………」

「…………」


 会話が途切れた! なにか、何か話さないと……!


「み、美波っ!」

「はひっ⁉」

「あー、えっと、たくさん歩いて汗かいただろ? ……先にシャワー浴びてこいよ」

「……ふ……ふぇぇ⁉」


 あれ? 口に出してから思ったけど今の台詞ってなんかやばくね?

 どんどん顔が赤くなる美波を目の当たりにして、俺は慌てて口を開けた。


「待ってくれ違うんだ! 今のは決してそういう意味じゃ――」

「おおお風呂沸かして入ってきますっっっ」


 バタン、と洗面所のドアが閉まる。

 女子に向かって何言ってんだよ俺……変態か。

 それから、静かな寝室に届くシャワーの音に落ち着かずそわそわと過ごすこと数分。

 再び洗面所のドアが開き、美波が戻ってきた。


「はぁ~、気持ちよかったぁ~。お風呂出たよ」


 振り向いた俺は「おかえり」と言いかけて、息を呑んだ。

 美波はしっとりした髪をタオルで巻き、バスローブを羽織ってやって来た。ゆったりとしたバスローブからは胸元が覗いており、火照った桃色の肌から微かに湯気が上がっている。胸元に小さなほくろを見つけてしまい、俺の視線はそこに吸い寄せられた。


「お……俺も風呂、入ってくる」


 そう言って無理やり視線を逸らし、不思議がる美波を通り過ぎて洗面所へ逃げ込む。

 風呂はすごく気持ちよかった。足を思いっきり伸ばせるだけじゃなく、壁にあるボタンを押すと浴槽の中にぶくぶくと泡が噴き出してジェットバスまで楽しめる。歩き疲れた体を泡がマッサージしてくれて、あまりの気持ちよさに俺は寝そうになってしまった。

 風呂を出ると、寝室では美波が湯呑にお茶を沸かして待っていた。

 二人とも腹ペコだったので夕飯にする。俺は昼間食べなかったカロリーメイトを取り出し、美波は家から持ってきたスナック菓子をテーブルに並べた。


「「カンパーイ!」」


 テーブルに並んだお菓子を二人でつまんでいく。


「ん~~~~っ! んまい‼」


 と、美波はカロリーメイト片手に満面の笑みで足をばたばたする。お菓子を持ち寄って友達と食べる夕飯は、小学校の頃の遠足みたいに楽しくて、不思議と笑顔がこぼれた。

 家ではあり得ない、笑い声の絶えない食事だった。


 夕飯を食べ終えて数分経った頃、美波が言い出した。


「八時半から配信する予定だから、そろそろ準備してもいい?」

「ああどうぞ。俺は、何しようかな……」


 特にやることもないし、充電器に繋いでいたスマホを手に取る。


「暇だし、切り抜き動画でも作るか」


 テーブルに美波がノートPCやマイクなどの機材をセッティングしていくあいだ、俺はベッドでスマホを操作し、動画のアップロード作業に取り掛かった。VTuberが配信した本編から目立たせたい部分を切り抜き、効果音SEや台詞の字幕を入れていく。

 言い忘れていたが俺は切り抜き動画を作る配信者、通称〝切り抜き師〟だ。


 チャンネル名は『Vママ切り抜き速報』。


 我ながら面白みに欠けた名前だし、速報と銘打っている割に速くもない。本当に速い人は本編の配信終了から十分もせずに切り抜きをアップしている。

 とはいえ、俺は18歳未満で動画を収益化できないから、そんな切り抜きお化けとリスナーを取り合う必要はない。のんびりと推しの魅力を広めていけばいいんだ。

 自分のチャンネルを開くと、そこには最近アップした切り抜き動画が時系列に並んでいた。


・バブみを発揮する元ブラック会社員の女神、天母マリア

・ヤバすぎる罰ゲームが確定した黒曜ダークと巻き添えを食らう女神

・楽しいお茶会を修羅場に変える極道の女、極姫シルビア

・ライブへの熱い想いを語るエンスト爆笑女、巫みこと

・えぐい脅しで娘をビビらせる神絵師、ガーターベルト


 投稿した動画は全部で62件。推しの魅力を広めたくて作ったチャンネルだからマリアの動画が一番多い。俺が切り抜きを見てVTuberにハマったように、俺の切り抜きを見て同じようにハマる人が増えてくれたらいいな。


 ピロン、とスマホがメッセージを受信した――


〈翔ちゃんへ。今どこに居ますか。五十嵐くんのお宅に電話したら来てないと言われました。心配です。連絡しなさい。母より〉


 文面からして母さんはかなり怒っているようだ。ラブホに来るまでが大変すぎて連絡を入れ忘れていた。

 ラブホに泊まることにした、なんて言うわけにもいかないから、〈別の友達の家に泊まることにした〉と返信しておく。するとすぐ、〈なんで早く連絡しないの〉と小言が返ってきたので既読スルー。

 という具合に、俺と母さんの仲は過去一でギスギスしている。

 だけど、それはそれ。マリアの良さを広める推し活とは別問題だ。


「……よしっ、投稿完了」


 最後にタイトルをつけて切り抜き動画のアップロード作業が終わる。


「あたしも、準備終わったよ!」


 美波も配信の準備ができたらしいので、俺はスマホとイヤホンを持ってベッドから立った。


「それじゃ、俺は洗面所で配信をこっそり見てるから、終わったら戻るよ」

「え? なんでなんで。こっちでのんびりしなよ……」

「美波のトークで俺がうっかり笑ったらマズいだろ? 男と一緒にいるのがリスナーにバレたら夏空ホタルの印象が悪くなる。最悪、炎上だ」

「声が入っちゃったら、『ホタルのパパでーす』でよくない?」

「いや、それだと『なんで今日は父親が傍にいるんだ?』ってなるし、『実は彼氏だったんじゃないか』みたいに騒ぐ厄介ファンが絶対に湧く。チャンネル登録が順調に増えてきてるんだから、ここは安全にいこう」


 俺が洗面所に向かおうとすると、


「待ってよッ!」


 腕を掴まれた。

 強く腕を握ったまま美波は懇願するように見つめる。


「ここに、いなよ……。マリアが秋山くんをどう思ってるかは知らないよ、でもあたしは邪魔だなんて思ってない。あたしを見てくれる人が増えてるのは秋山くんがホタルの切り抜きを作ってくれてるからでもあるんだよ? あたし、すごく助けられてるもん!」


 夏空ホタルのチャンネル登録者数は現在、850人。#シルマリ清楚コンビのお泊り会で、シルビアがホタルの名前を出してから一気に弾みがついた。活動二か月目の個人VTuberにしてはかなり順調に伸びてきている。

 たしかに、俺のチャンネルで夏空ホタルを知る人がいるのも事実だ。

 でも、その人たちがファンとして定着するのは、美波が楽しい配信を続けようと努力しているからに他ならない。

 俺は、俺のせいで推しの頑張りが無駄になってしまうのが嫌なんだ。


「ごめん、美波……気持ちは嬉しいけどさ、俺も配信を気楽に見たいんだ。夏空ホタルは推しの一人だから」

「うぅ~…………こういうときばっか推しって言うぅ」


 美波は真剣な顔を保とうとするけどニヤニヤを抑えきれず頬がひくついていた。釣られて俺まで笑いそうになってしまう。


「配信頑張ってくれ」

「いいもん。絶対、秋山くんが大爆笑して笑い転げる配信にしてやるんだから」

「隠れる意味がなくなってしまうんですがそれは……」

「パパでーす、って言う準備しとこ♪」

「やめろやめろ!」


 笑いながら、「頑張ってくれ」ともう一度言って俺は洗面所に移動した。

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