第14話 天母マリア生誕祭ライブ1/3

 7月22日(土)6時42分


 遂にやってきた、天母マリアの生誕祭ライブ当日。

 期末テストを徹夜で乗り越え、いよいよ今日から夏休み。

 俺は眠い目を擦って玄関に立ち、母さんを見送っていた。


「お母さん夜まで帰れないから、何かあったらおじいちゃんとおばあちゃんのところに電話してね。ごめんね……家を空けてばっかで」

「オーケーオーケー。ウェブライターの仕事ならしゃーない」

「洗い物とお洗濯は帰ってからやるから、翔ちゃんはやらなくていいからね」


 母さんは二の腕を隠したVネックの半袖シャツに、足首まであるふわっとした麻色のプリーツスカートという地味な格好だった。荷物も買い物に持って行く手提げ鞄だけであり、とても数万人が見るであろうライブに出掛ける姿には見えない。


「いってきます」


 けれど、ふいに俺から目線を外したその横顔は、いつもより強張って見えた。


「頑張って。応援してる」


 咄嗟に俺がそう言うと、母さんは一瞬びっくりしたような顔になった。

 それから、にっこりと、いつもどおりのあどけなさが残る笑顔を見せてくれた。


「うんっ、いってきまーす!」


 ぱたりと玄関が閉まる。

 俺は息子といっても所詮は一人のファンだ。近くにいても推しに言ってやれることはこれくらいしかない。

 あとは、ライブの成功を祈りながら画面の前で見守るだけだ。


「さて……顔を洗ったら朝飯の洗い物をやって、その後は洗濯だな」


 ライブ開始は14時。母さんはやらなくていいと言ったが、家事は片付けておこう。




 7月22日(土)13時50分


 昼飯を済ませてしばらくすると、美波、五十嵐の順で家にやって来た。

 前に三人でお泊り配信を見て以来、俺たちは学校でもよくVTuberの話をするようになった。それでテスト前だったか、生誕祭ライブをみんなで見ないかという話になり、じゃあ俺の家で見ようと言ったんだ。


「わりぃ、秋山。トイレ」

「場所は大丈夫だよな」


 おう、と五十嵐が部屋を出ていく。ライブは一時間くらいだろうから尿意を始末しておくのは必須事項だ。


「一階にもトイレあるけど、美波は行っとかなくて大丈夫か?」

「……ふぇ?」


 呆けたような返事をする美波は、なぜか俺のベッドで毛布にくるまっていた。小さい子みたいで可愛い。


「クーラー、温度上げるか?」


 いや、下げたほうがいいのか? 火照ったみたいに顔が赤いんだが。


「あっ、ううん大丈夫。あたし昔から毛布にくるまるのが好きなだけ。えへへ」

「ならいいんだけど……」


 なんだろう、自分の毛布に女子が包まれている状況って変にドキドキする。……けど、スーハースーハーと匂いを嗅ぐのは別の意味でドキドキするのでやめていただきたい。臭かったらどうしよう。


「そういえば、今日は五十嵐くんの家じゃないんだね?」

「テスト前にオフコラボで二回も押し掛けてるし、さすがにな……」

「あー、わかる。頼みづらくなっちゃうよね。五十嵐くんは気にしてる感ないけど」


 美波の言うとおり、五十嵐は「いつでも来いよ」と言ってくれている。だが、あいつの親が気を遣って窮屈そうにしている(ように見える)のが申し訳ないんだ。

 泊まろうにも五十嵐にはもう頼めないし、他にそこまで仲の良い男友達もいない。

 オフコラボ配信のたびに家を空けるのには限界がある。


 ……だから。


「今日の夜、母さんに全部話すつもりなんだ……正体知っちゃったこととか、全部」


 生誕祭ライブが終われば当面マリアに一大イベントの予定はない。

 マリアの正体を知ってしまってから、だいたい一か月。丁度いい時期なのかもしれない。


「あたしも、早いうちがいいと思うよ。頑張ってね!」

「ああ。でもまあ、母さんに話した後でも活動のサポートはできる範囲でするつもりだけどな。中身は母親でも……俺にとっては推しだから」

「…………いいなぁ、家族が応援してくれて」

「美波?」


 顔を伏せる美波の口元には自嘲っぽい笑みがあった。

 だが、それを表に出したのは一瞬のこと。美波はすぐに普段の明るい笑みを浮かべて言った。


「それよりライブ! 楽しみだねっ」

「だな!」


 さて、湿っぽい話はここまで。今日はVTuberのライブを楽しもう!


 五十嵐が戻ってきて、俺たちはPCモニターの前でスタンバった。三人でベッドに横並びに座り、さながら映画館のようにスナック菓子を食べつつコーラを飲みつつライブが始まるのを待つ。

 当然だが部屋には俺たち三人だけ。ライブの割にはこじんまりとした印象を受けるかもしれないが、ライブ配信のチャット欄はものすごいことになっていた。


コメント

:待機!

:まだかなまだかな

:マリアママ、ゲストの皆、そして運営スタッフ! 頑張ってくれーーー‼

:同接数やばすぎィ‼


 ライブへの同時接続数、なんと17万!

 前に世界トレンド1位をとったお風呂配信のときでさえ同接は12万だったことを考えると、もはや規格外の数字だ。

 今この瞬間、世界中でそれだけの人間が、俺と同じようにマリアのライブを今か今かとそわそわしながら待っている。この画面を跨いだ一体感がたまらない。


 そして、遂にそのときがやってきた――




 7月22日(土)14時00分


『ファンジェルのみんなー! こんマリ~~! 今日は、天母マリアの六周年生誕祭ライブに来てくれて、本当にありがとぉ~~~‼』


 おおおおおおおお、と大歓声が上がる。

 BGMが響き、ライトアップされたステージの中央でマリアが手を振る。

 普段の配信で見る2Dモデルとは違い、今日は全身が躍動する3Dモデルだ。

 ステージの後方には巨大なバックスクリーンがあり、そこには笑顔で手を振るマリアがアップで投影されている。

 歩くたびに髪やスカートの裾が揺れ、観客席に手を振るたびに豊満な胸が上下する。瞬きや口の動き、見逃しそうな微かな動きに至るまで、そのどれもが自然体すぎて本当に電子の世界でマリアが生きているかのように思わせる。


 ……きれいだなぁ。


 輝く笑顔のマリアを見つめて、俺は画面の前で惚けてしまった。


『いや~……遂にこの日が来ちゃったかぁ。でもいざステージに立ってみたら、こうしてみんなと会えたからかな……緊張なんてブラジルまで吹っ飛んじゃいました! 今日は楽しんでいってください! このしぇいた……生誕しゃ……っううん! この生誕祭ライブを! はぁい言えましたぁ』


:かわいい!

:頑張れマリアママーー!


『応援ありがとぉ~! 18歳だから大目に見てねっ』


:三十路かわいいよ三十路!

:六回目の18歳おめでとうございます!


『はぁい。三十路とかババアとか今日だけは気にしませんよぉ。ではでは、事前発表のとおり〝ゲストいっぱい〟ですからね、早速呼んでいきましょー! 一期生のみんな~?』


 はぁ~い、と元気な声で三人の女性VTuberが舞台袖より現れた。

 見た目からしてキャラの濃い三人が加わり、マリアと一期生の舞台トークが繰り広げられる。


 わちゃわちゃと楽しいトークの後はもちろん――


『みんなーっ! いっくよぉーーっ‼』


 マリアの掛け声で曲のイントロが流れる。

 ずんずんと腹に響くドラムの音が観客のテンションを静かに押し上げていく。

 一期生が歌い出し、サビでマリアが加わって盛り上がりが頂点をぶち抜いた。

 ステージ全体を惜しみなく使う大胆なダンス、きれいだが力強い歌声。

 それらが合わさって醸し出される圧倒的な勢いは、観客の意識を画面の中に引きずり込んでいく。

 歌詞を口にする晴れやかな顔のマリア。間奏の合間に一期生と目くばせをして微笑むマリア。

 俺は今、ライブ会場の最前列でそれを目撃している――

 そう錯覚できるほどに熱く、一体感のある最高のパフォーマンスだった。


『三期生のみんなーっ、一緒に歌ってくれてありがとぉーーっ! またコラボいっぱいしようねー!』


 ライブはゲストが交代しながら進んでいき、三期生の三人が手を振って舞台袖に捌けていく。


『はぁい。一期生、二期生、三期生と来ればもちろん~~? お次は、四期生ーっ! 四期生のみんな~?』


『『はぁ~い!』』


 ステージの左からは黒曜ダークが、袖の余った両手を元気に振って小走りで現れる。

 それと同時、ステージの右からは極姫シルビアが、長い金髪をなびかせて優雅に歩いて出てきた。

 笑顔の二人がステージ中央でマリアを挟んで並び立つ。


『マリア先輩、お誕生日おめでとーなのじゃ~!』

『おめでとうございますわ、お姉さま!』

『二人ともありがとぉ!』


:二人だけかぁ……

:みこみこ、頑張るってツイートしてたけど無理だったんだな


『ここで、マリアからお知らせがあります……四期生のかんなぎみことちゃんは体調が悪くて病院の先生と相談した結果、本日は会場に来れませんでした。でも大丈夫よ。実はマリア、朝に病院でみこちゃんと会ってきたんですけど、笑顔で話してたからね』


 なるほど。だから母さん、あんなに朝早くに出たのか。


『その代わり、今日はダックちゃんとシルビアちゃんが盛り上げてくれますよーっ!』

『ええ! みことファンの皆さん、お気持ちはお察しいたしますわ。でも折角の記念日、どうか悲しまないでくださいまし。不肖、極姫シルビアがみことの分も――』

『余に任せるがよい! みことの民どもよ!』

『……あの、声をかぶせないでくださる? クソガキのうえにライブ初心者ですの?』

『なげぇのじゃ。ヤクザは尺を考えて話すこともできぬのか?』

『スゥーーーーッ……』

『スゥーーーーッ……』

『ねええぇぇえ! 二人して空気すすりながら睨み合わないでよぉ!』


『――二人とも喧嘩はダメだよッ』


 一人の少女の声が、ライブ会場に響いた。

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