臥薪嘗胆!靴舐めお嬢様

小柄井枷木

靴舐めお嬢様と不良番長

「お~っほっほ!お~~っほっほっふェふっげふっゲホゲホッ」

 布津ふつ卯之子うのこが学校に向かって道を歩んでいると、交差路の向こう側から早朝の爽やかな静寂を台無しにするような高笑いが聞こえてきた。

 これが江戸の世であり、卯之子が武士であれば、すわもののけが現れたかと刀を抜いて切り捨てるところであったが、今は令和の世の中であり、卯之子も今をときめく普通の女子高生である。刀の代わりに呆れの感情を抜き身にして交差路の角を曲がれば、案の定そこにはゲホゲホとうめく友人の姿があった。


「おはよう、舐子なめこちゃん。やめたら?歩きながら高笑いするの」

「えほっ……ふぅ、御機嫌よう、卯之子さん。それはできない相談ね。私から高笑いを取ったら何が残るというのかしら!?」

「財力とか」

「即物的!」

 彼女の名は靴舐くつなめ舐子なめこ。日本を裏から牛耳る暗黒メガコーポ靴舐財閥の跡取り娘であり、眉目秀麗、成績優秀、八方美人、出前迅速、落書無用を地で行くスーパースペシャルパーフェクトお嬢様である。本来、卯之子からしてみれば雲の上といっても間違いない存在なのだが、どんな因果によるものか二人は友人として関係を結んでいる。


「そんなことより早く行かないと遅刻するよ。舐子ちゃん、ちゃんと宿題してきた?」

「ふふっ、私を見縊らないでもらえるかしら。先生に頭を下げる準備はできています!」

「そっかぁ……」

 道行く二人の他愛のない会話。こんな日常が一番の幸せだとか誰かが言っていた気がするが、そんな幸せほど脆く儚いものなのだ。日常が崩れる音は、お喋りに気を取られた卯之子が、何かに軽く肩をぶつけた軽いものだった。


「あっ、ごめんなさ」

「おゥッッコルァッッ!!!何処ぉこ見て歩いてんじゃこンの小娘があァァァッッッッッ!!!!!」

 卯之子が肩をぶつけた何某かに謝罪しようとそちらに目を向ければ、そこに居たのは身長は3メートルを優に越し、丸太のように分厚く、鋼のように硬く鍛え上げられた肉体をこの真夏に真っ黒な学生服で包み、口にはなんか茎が長い葉っぱを煙草のように咥えた男──否、漢であった。


「オゥオゥ良ェ度胸じゃのゥ、姉ちゃんよォ。このワシがこの辺り一帯を締めちょる番長、斑殺ぶちころ須蔵すぞうだと知っとってぶつかってきたんかァ?あぁン!?」

「す、すいません、知りませんでした。……斑殺なにその須蔵名前!?」

「なァにごちゃごちゃ言うとる!さてはよっぽどぶち殺されたいよォじゃのゥ……!よかろゥ、ならばこのワシの殺人カイザーナックルの錆にしてくれるわ!」

「ひっ……」

 卯之子は思わず身を引く。斑殺の指にはめられた鉄環から滴る血が数秒後の卯之子の運命を予感させたからだ。それでなくとも、斑殺と卯之子の体格差ではたとえ斑殺が空手であったとしても抵抗は叶わないだろう。

 こんなことなら朝食のトーストにもっといっぱいジャムを塗っておけばよかった……。卯之子のそんな悔恨はしかし、


「待ちなさい。私の目の前でそんな横暴、許さないわよ」

「あァ!?なんじゃァ、貴様はァ!貴様からぶち殺しちゃろうか!?」

「な、舐子ちゃん……!危ないよ!?」

 卯之子と斑殺の間に割って入った舐子によってかき消された。


「ふん、ご挨拶だこと。この私を知らないとは、どうやらあなたの故郷の王者はターちゃんのようね!?」

「舐子ちゃん!田舎者ジャングル出身の言い方の癖が強いよ!」

「よゥも言ってくれたのゥ……貴様、どうやら代わりにぶち殺されたいらしいのォ!」

「ほ、ほら!怒らせちゃった!?」

「最初から怒ってたもの。状況に変わりはないわ」

 怯えるばかりであった卯之子とは違い、舐子は堂々と、むしろ斑殺を挑発するような態度だ。それが斑殺を激昂させたことに卯之子は怯えながらも、友人の凛とした姿に安堵を覚える。

 きっと舐子ならこの場を切り抜けてくれる。そんな卯之子の思いに応えるように、舐子は次の言葉を紡いだ。


「それで?土下座何発で許してもらえるのかしら」

「舐子ちゃん?」

「何なら肩も揉むし靴だってベロッベロに舐めるわよ?」

「舐子ちゃん!?」

 堂々と何を言うのか。信じられないものを見る目で卯之子は舐子を見る。その視線をどう解釈したのか、舐子は諭すように言った。

「安心なさい、私はこの方法で数々の窮地を乗り切ってきました!」

「舐子ちゃんの人生が不安になるよ!?」

「ふン。ワシの靴を舐める、のぅ……」

「えぇ、そうよ。それで私を許さなかった人間は存在しないんだから」

「そうじゃろうのゥ……靴を舐めるというンは最上階の服従の意じゃ。そこまでされてなお許さんと言うならそいつの器が知れるというもンよ」

「わかってるじゃない。それならあなたもさっさと靴を出すことね」

「じゃが……残念じゃったのぅ!」

「なっ……!まさか、自分で言っておいて器の小ささを露呈させるつもり……!?」

「違うわ!よォく見てみィ、ワシの履物をなァ!!!!!」

「……!?あ、アレは……!」

 舐子が驚愕に目を見開く。斑殺の足元で鈍く輝くそれは、鉄下駄であった。聡明なる読者諸兄であれば、番長と呼ばれる人間は靴ではなく鉄下駄を好んで履くということはもちろんご存知のことだろう。

 ……えっ、知らない?

 へぇー、大人なのにそんな事も知らないんだぁ♡

 雑ぁ魚♡雑ぁ魚♡

 よわよわ見識♡

 無知蒙昧♡

 

「そんな……私の必勝戦法が通用しない……!?」

「グハハハ!靴を履いていなければ靴を舐めることはできん!」

 舐子の痛恨のミスである。人間は靴を履くものだという固定観念が彼女の中にあった。だからこその靴舐め。靴を舐める事によって勝利を紡いできた彼女にとって、靴を履かない人種というのはとても手に負える存在ではない。


「次は下駄も舐められるように生まれるんじゃのう……さァ、現世とお別れの時間じゃァ!」

「くっ……!」 

 振るわれる斑殺の豪腕。避けられぬ死の運命をしかし舐子は目をそらすことなく正面から睨みつける。彼女はまだ諦めていなかった。諦めなければきっと活路が切らけるはずだから。そして舐子が諦めなかったので斑殺の拳は舐子の命を刈り取る前に肘のあたりから切断されて地面に転がった。


「グワァアア!?ワシの腕ッ腕がァアア!?」

「な、何!?」

「これは……」

 激痛にのたうつ斑殺、突然目の前で開花した赤い花に戸惑う卯之子。そんな二人を尻目に舐子はなにかに得心がいったように振り返る。


「ほっほっほ。余計なことをしましたかな?」

「いいえ、助かりました。じいや。でももうちょっと早く来てくれても良かったんじゃないかしら?」

 そこに居たのは紳士服に身を包み、刀を一振りその手に握った老齢の男であった。そう、斑殺の腕を切り落としたのはこの男である。舐子ほどのお嬢様であれば、柳生新陰流に精通した老執事の一人くらいは控えていてもおかしくはない。


「こンの……爺ィ!よぉもワシの腕を!!」

「ふぅ、品のない男ですな。少々、教育させていただきましょう」

 自分を害したものを認識した斑殺は残った腕でそれを縊り殺すために振り上げようとして、それは叶わなかった。斑殺は、なぜか上下がひっくり返った景色の中でそれを不思議に思っていた。

 彼の首はとうに切り落とされていたのだ。繋がっていなければ、いくら頭で考えたところで体がそれを実行することはできない。


「いや、教育っていうか普通に殺しちゃってますけど!?」

「あぁ、大丈夫ですよ。仮にも番長を名乗る男ならば、このくらい唾を付けておけば治ります」

 じいやはそう言って倒れ伏す斑殺の体にぺっとつばを吐きかける。するとたちまちに起き上がった体がその場に転がる片腕と頭を抱えて走り出した。


「覚えておけよォ!この借りは必ず返しちゃるからなぁ!?」

「私がおかしいのかな、これ」

「お~っほっほっほ。捨て台詞も下品だこと!やはり私には遠く及ばなかったってことね!!」

「舐子ちゃん、結局特に何もしてなくない?」

「おふたりとも、そろそろ向かわれないと遅刻してしまいますが……」

「おっと、こいつはいけないわ!急ぐわよ、卯之子さん!」

「……そうだね!」

 いってらっしゃいませ、と頭を下げるじいやを尻目に二人は学校への道を急ぐ。それでも、どうしても言っておきたいことがあったから、卯之子は走りながら舐子に声をかける。


「ねぇ、舐子ちゃん」

「なにかしら、卯之子さん」

「かばってくれてありがとうね。かっこよかったよ、あのときの舐子ちゃん」

「ふふ、あたりまえじゃない!」

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