灰色の青春には小さく光が灯っていた

夢幻残夢

灰色の青春には小さく光が灯っていた


青春は線香花火に似ている。


人生の中で最も自由で輝くことの出来るタイムリミット。火種が落ちるその時まで、何かに邪魔されずに好きなことに打ち込み続けられる時間。それを表わしているのだと俺は思っている。


高校2年生の夏、B5サイズのクロッキー帳に線香花火の下絵を描いていた。親は友達と出かけなさいやら、絵ばっかり描くなら部活に入りなさいやら。再三うるさく言っていたが俺はそれに応じなかった。1人で何かを想像している時間が好きでそれを表現するために絵を描いているのに、誰かと共に作成するなんて意味の無いことするはずが無い。


そして人々は俺の時間の使い方を見て、灰色の青春などと詰るのだ。俺自身、これが灰色だとは微塵も思っていない。むしろそう見えるのであればそのままそう思って貰って構わない。


ただ他人に自身の人生の使い方をとやかく言われたくは無い。そもそもお前は言うほど崇高な青春を送っている、または送っていたのかって話だ。


けれどすっかり家で絵を描きにくくなってしまった俺は真夏の暑い中、態々学校へ足を運んでたった1人教室で絵を描く。教室はクーラーが効いているのでまだマシだが廊下など燃えているのでは無いかと錯覚するほどに暑い。本当にクーラー様々だ。


夢中になって描いていれば、時間の進みなんて忘れてしまって、想像の世界に引き込まれていくのだ。ガリガリと鉛筆が削れていく音だけが俺の世界を作り上げていく。


ガリガリ。ガリガリ。ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ。


3枚ほど構図を変えて描いて時間を確認するように顔を上げれば、目が合う。同じ学校の制服を来た少女がいつの間にか俺の前の席に座っていた。


驚きに固まっていると、少女がにやりと悪戯っぽく笑った。


「初めまして、えーっとはくくん?」

「…誰ですか?」

「えーひどーい。隣のクラスのあやちゃんだよー。」

「いや、誰だよ。」


面倒臭そうなにおいを感じながらも今この快適な教室から出れば蒸し焼きコースは確実だ。俺からは絶対この教室は出ない。よく分からん同級生にこんな快適な空間を譲ってたまるか。


俺の意地としかめっ面の表情など気にせず、マイペースに彩は話し続ける。


「2年A組出席番号27番の夏希なつき彩だよ。絵ばっかり描いてる伯くん。」


茶化すように言った少女にうるさい奴が来たと初対面ながら直感で察す。何故かは知らないが、夏希彩という生徒は俺にちょっかいをかけに来たらしい。じゃなきゃ態々俺が良いところまで描き終わるまで待っている理由が無い。


用件の先を促すように彩を見ればクロッキー帳に描かれたそれをコツコツと指で叩きながら笑った。


「ねぇ、花火描いてくれない。打ち上げ花火。」

「は?」

「何枚も壁に連ねて貼って、大きな打ち上げ花火にしたいんだ。」

「…何で俺が?」


純粋な疑問であった。自分自身で描けば良いだろうに。何故態々他人に頼む?自分で描いた方が想像通りに作れるだろう。訝しむように俺が問えば大げさにバンッと両手で彩は机を叩き、立ち上がった。きらきらと輝く目が俺と合う。


「だって、君が一番上手かったから!一番精緻で色鮮やかだった!それこそファンになっちゃうくらいに!」


うっとりするように言う彼女に電撃が走るような思いだった。絵を肯定されたことなどいつぶりだろうか。一瞬にしてごちゃごちゃになった頭で、それが明確な喜びだと気がつく。俺の様相に気がついていないのか、彼女はそれだけ告げて笑いながら教室から出て行く。その際、一言言葉を残して。


「もし描いてくれるなら、また明日も私は隣の教室に居るから会いに来てね。」


嵐は去った。通り過ぎた後に残ったのは俺の煩雑とした内心だけだった。


***


あぁ、恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい!あまりにもチョロい。チョロすぎる!!


あんな程度の言葉で喜んでしまった俺はあいつに踊らされるように描く絵の構図を作ってしまった。そう、打ち上げ花火のだ。しかも、それを持って今あいつの所へと行っている。そもそも意図的かはともかく褒められ慣れていない所を突かれた時点で俺はこうなっていただろう。


やけくそじみた気持ちで乱暴に隣のクラスの扉を開けば彩は涼しい顔してにこりと笑った。


***


そこからはもう、大変だった。


7月の末までに大輪を咲かせると意気込んでいるそいつはそれはもう前衛的な絵を描くので一切下絵に携わせることは出来なかった。俺を絶句させるレベルはなかなか居ないが、あれはまだ園児の方が上手いと思えるレベルであった。


下絵と言ってもそこまで複雑でリアルな打ち上げ花火を描くのは時間的に不可能である。しかも色塗りは12色の絵の具だ。普段色鉛筆しか使わない俺には専門外。そのことも考えて比較的楽に描ける涙の様な模様を大小様々に少しずつ形を変えて描いていった。橋の方は少し落ちているように細長く。真ん中は丸く小さく。スッと消え去る様をイメージしながら描いていった。


夏希はそれに色をつけていく。色とりどりに統一感など皆無にそれを塗るのだ。12色どころではない。混ざりに混ざった色たちは一枚も同じ色になることは無かった。あまりにもごちゃごちゃすぎる。俺の構図すら理解しないで色を塗っているからだろう。複雑な気持ちのままそれを注意すれば“これでいいのだ”と自慢げに返されてしまった。本当、彩に出会ってから調子が狂いっぱなしだ。


この間など“画家にでもなれば良いのに”と簡単に言って。趣味をそう簡単に仕事に出来る訳がないだろうに。技術は勿論、俺の場合は両親がやっかいなのだ。どうせ絶対に認めてくれやしない。


ぺたぺたとテープでB5の紙を貼り付けていきながら思う。そもそも7月末までに使われていない教室の壁一面に花火を咲かすだなんて、1週間ほどしか期限が無い無茶なことだった。それに夏休みの教室の使用許可をどうもぎ取るのか。…いや、こうして貼っている時点で彩がもぎ取ってきたことは分かるだろうが、どうやって先生を丸め込んだのかは謎で仕方ない。俺だって教室借りるのめちゃくちゃ大変だったんだぞ。


それに何故こんなことをしているのか。それを俺は未だに聞けないでいる。


そんな中それは完成した。彩の求めていた色鮮やかな大輪が咲いていた。彼女は静かに“あぁ…。”と感嘆のため息を漏らして嬉しそうにそれを眺めていた。やがて、絵の具の片付けを始める。


作った割に達成感やらなんやらに浸る気は彼女には無いらしい。俺はその様に一瞬呆けて一枚その写真を撮った後、その後を追った。


バシャバシャと筆を洗いながら消え入りそうな声で彼女は言う。


「…ありがとう。」


どこか気恥ずかしくなった俺は彼女の顔を見ること無く、話題を変えようと1枚の貼り付けられたチラシに目をやった。


「8月16日に花火大会だってよ。本物、すぐに見れるな。」

「うん…行きたいね。」


彼女は少し寂しそうに笑った。


***


9月になり、新学期が始まった。8月16日の花火大会は今までで一番打ち上がったらしく俺もベランダから少しだけ見た。夜空に浮かんだそれが今まで見た花火の中で一番眩しいと感じたのは。あの絵を描いたからだろうか。


いくら使われていない教室と言ってもずっと大輪を咲かせておく訳にもいかないだろう。絵を回収する為に隣のクラスへ寄り、中をのぞき込んだ。


異様に暗い雰囲気の中心は彼女の机で、小さな小さな花が咲いていた。


あぁ、成る程、か。


誰1人呼び出すことなく、自身の教室に戻る。おそらく、彼女が打ち上げ花火を描かせたのは8月16日まで生きられなかったからだろう。死因はともかく、絶対に死ぬという確信があった。だから夏休み、部活でもないのに夏の学校に来ていた。だから、易々と教室の使用許可が取れた。なんだ、先生もこの打ち上げ花火計画のグルか。それなら俺に教室の使用許可が下りたのも納得が出来る。


机の中から取りだした枚数の減ったクロッキー帳に随分前に描いた描きかけの線香花火の絵に色をつけていく。パチパチと燃えている微かに光っているであろう火種を含め、全てを白黒で黙々と色づける。


ペリペリと描き上がったそれをクロッキー帳から切り取り、あの教室へと向かった。少し色あせた大輪は朽ちること無く、開花した時のまま時を止めていた。


ビーッとセロハンテープを引き抜き、そのど真ん中にそれを貼り付けてやった。


これは、追悼だ。


***


数年後、ある画家の展示会にて、リポーターが2枚の絵をカメラに映しながら解説を入れていた。“追憶”と名付けられた大輪の色鮮やかな打ち上げ花火と、“青春”と名付けられた白黒の線香花火の描かれた一際目を引くそれらは画家の最高傑作であった。見るものに真逆の想いを抱かせると有名な1対の花火を背にリポーターはそれを描いた若い画家に問う。


すっかり大人になった彼は、画家は、口を開いた。


「線香花火は正しく私の瞬きのような時間でした。」


と。色鮮やかな打ち上げ花火に抱かれた想いは今も彼の中に色あせること無く残っていた。


これは彼をここまで導いたファン1号に送る、変わらない追悼の形。

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