第23話 約束


 【筐体きょうたい】が置かれている部屋に入った俺を迎えたのは、慌ただしく動き回るエンジニアたちと吉澤だった。


「どうなってるんですか? 解除コードは手に入れたんですよね?」


 つまり、作戦は終了したはずだ。それなのにこの慌ただしさと緊張感は、どういうことだろうか。


「【エウリュディケ】が、戻っていません」


 吉澤が言った。喉から絞り出すような声だった。


「どういうことですか?」

「敵の逆探知を受けて、私たちはあなた方との回線を一度切って、別のルートでつなぎ直しました」

「踏み台をいくつも経由しているから、逆探知は大丈夫だって言ってましたよね?」

「はい。ここが見つかることはあり得ません。しかし、その踏み台の一つが【エウリュディケ】の……トモミの身体がある場所なんです」


 それとは反比例するように俺の心臓が早鐘を打つ。


「つまり、どういうことですか?」

「彼女の身体と、それを守るメンバーの現在地が特定されました。軍の部隊に強襲されています。【エウリュディケ】の回線も再び切れた状態なので解除コードを使えませんから、ログアウトできずにいます」

「そんな!」


 思わず声を上げた。つまり、彼女は精神だけが【VWO】に残ったままで身体まで物理的に襲われているということだ。


「でも、どうして現実に戻っていないんですか? 解除コードを手に入れれば、それで終わりなんですよね?」

「【エウリュディケ】は【VWO】に残って、最後の仕事を果たしました」

「最後の仕事?」

「アクセスログの削除。ここから接続したログを、全て削除したんです。これで、ここが軍に特定されることは万に一つもなくなりました」

「つまり、彼女はここにいる全員を守るために、犠牲になったってことですか?」

「……はい」


(じゃあ、さっきまで話してた深本さんは?)


 それを知らなかったはずがない。それなのに、俺に伝えなかった。


(彼女のためじゃなく、俺自身のために決断させてくれたんだ)


 俺を戦士として懐柔するためならば、彼女を助けて欲しいと懇願すればよかった。そうすれば、俺はもっと単純に決断に至ることができただろう。


(だけど、それじゃダメなんだ)


 彼は、俺が本物の戦士になることを望んでくれた。


(俺も、そうありたい)


 ならば、すべきことは一つだ。


「……彼女を、助ける方法はありますか?」


 俺の問いに、慌ただしく動いていたエンジニアたちの動きが止まった。

 あるのだ。方法が。


「方法があるなら、さっさと教えてよね」


 聞き慣れた声だった。

 扉のすぐそばに、一組の男女が立っていた。初めて見る顔だが、誰なのかなんて確認するまでもない。

「【リボンナイト】さん! 【REDレッド】さん!」


 【REDレッド】の手が、俺の肩に触れる。ヴァーチャルでも現実でも変わらない。力強くて温かい手だ。


「俺たちの仲間を迎えに行く。方法を教えてくれ」


 断言した【REDレッド】に、吉澤が頷いた。


「お願いします……!」



 * * *



『作戦開始まで、3分!』


 俺たち三人は、本部を離れて走り回る装甲車の中にいる。ここから【VWO】に侵入することで、接続元の位置を撹乱するのだ。


『トモミと仲間たちは、拠点にしている山奥の廃校にいます。地下に建造したシェルターにいますので、今のところは無事です。しかし、周囲を囲まれて攻撃を受けていますから、制圧されるのも時間の問題です。そこへ、高野さんの部隊が突入して退路を確保します』


 俺たちの【VWO】への侵入と現実世界での救出作戦は、同時進行で展開されることになる。


『既に何度もハッキングしていますので、侵入経路の構築は容易です。使用するハードウェアは【筐体きょうたい】でなくとも問題ありません』

「やっぱこれだよな」

「だね。途中でトイレ行くのもお腹が空くのも、それはそれで必要だったって思うわ」


 【REDレッド】と【リボンナイト】がヘッドギアを手にしみじみと話している。俺も頷いた。


(まったく同感だ)


『【エウリュディケ】に端子を届けてください。高野さんも同様に接続コードをトモミの元に届けます。そうすれば、彼女をログアウトさせることができます』


 俺たちの仕事は、【VWO】から現実への帰り道を繋ぐことだ。


『よろしくおねがいします』

「了解」


 【REDレッド】が力強く頷いた。


「さて。最高難度のクエストだ。行けるか?」

「もちろん」

「はい」


 【リボンナイト】と俺が返事をして、【REDレッド】も頷いた。


「【蘭丸】。悪かったな」

「いいえ。でも、もう大丈夫です」

「そうみたいだ。面構えが違う」

「そうですか?」

「男子三日会わざれば刮目せよ、だな」

「三日も経ってないよ。せいぜい三時間」


 またしても【リボンナイト】が笑う。


「【Rabbitラビット】は……」

「一度凍結されちゃったからね。そのまま医療施設に運ばれたよ。目をさますのは、まだ時間がかかるって」


 【リボンナイト】が教えてくれた。そのタイミングで、再び吉澤と通信が繋がった。


『【蘭丸】さん、【Rabbitラビット】さんが目を覚ましました』

「え!」

『【蘭丸】さんと話したいと言っていますが、どうしますか?』

「繋いでください」

『はい』


 ジジジっという電子音に続いて、ザーザーという雑音が聞こえてきた。彼女との通信はあまり安定していないらしい。それでも繋いでくれた吉澤には感謝しかない。


「宇佐川?」

『森くん、私、わたし……』


 通信の向こうで、宇佐川は泣いていた。


「うん。大丈夫だ。……宇佐川の気持ちは、ちゃんと分かってる」

『ち、違うの……!』


 宇佐川が震える声で叫んだ。


『私、怖くて……』

「うん」

『たくさんの人が、どんどん消えていって、……ひっく、わ、わたしも、消えちゃうんじゃないかって』


 怖くて当たり前だ。それが普通だ。


『私だけ、逃げ出した……!』


 宇佐川の嗚咽を聞きながら、俺は深本の言葉を思い出していた。


『君は自分の決断による結果を、自分自身で受け入れようとしている。そんな君を慰めるのは、いささか失礼というものだ』


 彼女も今、自分自身で受け止めようとしているのだ。そんな彼女に俺が言えることは、ただ一つ。


「宇佐川」

『……ん』

「俺は、行くよ」


 俺自身の、決意だけだ。


「俺は戦う」


 ややあって、通信の向こうで鼻をすする音が聞こえた。


『森くん。……【エウリュディケ】を助けて』

「ああ」

『必ずよ』

「約束する」

『いってらっしゃい。私は、ここで待ってるから』

「ああ」


 通信が切れた。


『作戦開始まで、1分!』

「よし。行こう」


 ヘッドギアを装着する。

 目の前に見慣れたログイン画面が表示された。だが、一つだけいつもと違った。ログインの直前に表示されたのは、金色のウィンドウ。


 そこには『The Warrior of ORPHEUS』の文字。


(俺たちは、戦士だ)


 神話の中の吟遊詩人じゃない。【VWO】は死人が住まう冥界でもない。

 俺たちは確かに今を生きる人間だから。


 必ず、彼女を取り戻してみせる。

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