第22話 俺の戦争


 暗い洞窟の中、たった一人で残された。


(俺は、無力だ)


 こんな惨めな姿で、何も出来ずにただ転がっていることしか出来ない。


『亮平』


 一人になってから数分後、通信越しに声をかけてきたのは高野だった。


『すまなかった』


 彼が謝るようなことは何一つない。行くと言ったのは俺自身だ。そして、この結果を招いたのは、俺の弱さだ。


『そのまま、すこし聞いてくれ』

「……拒否権ないでしょ。俺、動けないし」


 聞こえない場所へ逃げることも、耳をふさぐこともできない。そもそもこの通信から聞こえてくる音声を拒否する方法を、俺は知らない。


『そうだな。悪い』


 高野が、また謝った。謝らなくてもいいとは、どうしても言えない。


『気付いてやれなくて、悪かった』


 また。


『お前なら、ここへ来られると思ったんだ』

「ここ?」

『正義のために戦う戦士に、お前ならなれると思ったんだよ』


(俺も、そう思ったよ)


 なれると思った。だけど、なれなかった。


『よくよく考えたら当たり前のことに、俺達は気づけなかった』

「当たり前のこと?」

『お前は俺達とは違うってことだ』

「どういうことですか?」

『俺は、創設時から【オルフェウス】にいる。……それ以外に、道がなかったからだ』


 彼は祖父母を徴兵で、親友を志願で【VWO】に奪われたと話していた。


(だから【オルフェウス】に入ったんじゃないのか?)


『俺には両親がいない。小さな頃から祖父母に育てられていた。中学生になる頃には、絵に描いたような不良になってたよ』


 高野が、わずかに笑ったのがわかった。自嘲しているのだろうか。


『悪いことならぜんぶやった。傷害で少年院に入って、その間に祖父母は徴兵されてて、俺には帰る家すらなくなってしまった。そんな俺を助けてくれたのが親友で、あいつは志願して行っちまった』


 なぜ、今こんなことを語るのだろうか。


『【オルフェウス】は、どんな綺麗事並べたってテロリストだ。そもそも、社会のはみ出し者が集まって、今の社会を正そうとしている。正義なんて後付みたいなもんだ』

「そんなこと!」


 少なくとも、彼らの掲げている正義は正しいと思う。【死の筺】の秘密は、世界中に明かされるべきだ。そう思ったから、彼らに協力したのに。


『今のは極論だがな。結局、そういうことなんだ。まっとうな家庭でまっとうに育ったお前や宇佐川美沙を、巻き込むべきじゃなかった』


 ふと、いつも読んでいる漫画や小説のことを思い出した。そういえば、主人公の人生にはいつもドラマがあった。孤児であったり、能力的なハンデであったり。そういう逆境を乗り越えて、彼らはヒーローに成長していく。


(俺は、違う)


 なにもかもが、普通なのだ。


『悪かった』


 それっきり、高野は黙り込んでしまった。俺も何も言えず、ただ時間だけが過ぎた。しばらくすると、眠気が俺を襲ってきた。


『寝ろ。睡眠モードで休んでいる内に、ぜんぶ終わる。次は現実で会おう』


 そこで、俺の意識は途切れた。



 * * *



(まただ)


 目が覚めたら、見知らぬベッドで横になっていた。


「おはよう。亮平くん」


 ただ、今度は少しだけ様子が違っていた。俺が目覚めるのを待っていたのは母親でも父親でも高野でもなく、初対面の男性だったのだ。


「誰、ですか?」

「深本幸一。智美の父親だよ」


 思わず、飛び起きた。

 高野よりも、なおいっそう大きな人だった。俺と同い年の彼女の父親ならば俺の父親と同じくらいの歳のはずだが、とてもそうは見えない。顔もそうだが、全身が若い。そうとう鍛えているのだ。

 彼女と同じ、チョコレート色の瞳がキラリと光って俺を見つめていた。


「それじゃあ、あなたが【オルフェウス】のボス?」

「そう。君と話がしたくてね」


 落ち着けと言わんばかりに肩を押されて、俺は再びベッドに横になった。


「横になっていた方がいい。【筐体きょうたい】から出てすぐは、身体が現実に慣れるのに時間がかかる」


 確かに、全身がだるい。少し動いただけで、動悸がしているのがわかる。


「後で顔を出してやってくれ」

「え?」

「【筐体きょうたい】の部屋だ。みんな仕事があるからここへは来られないが、君のことを心配している」

「あ、はい」


 吉澤や高野、他のエンジニアたちも、俺のことを心配しているだろうことは想像に難くない。


「みんなが君に申し訳ないと思っているだろうな」


 深本が、しみじみと言った。俺も、そうだろうと思う。


「君は、どう思っている?」

「え?」

「後悔しているか? 【筐体きょうたい】に入ったことを」

「してません!」


 即座に言った。それだけは断言できる。俺は、後悔なんかしていない。


「そうだろうな。君は、君自身の決断によって【筐体きょうたい】に入った。友達を救うために。そして、我々と同じ理念を持って」


 頷いた俺に、深本が笑みを深くした。


「我々が君に申し訳ないと思うのも、大人のエゴに過ぎない。君は自分の決断による結果を、自分自身で受け入れようとしている。そんな君を慰めるのは、いささか失礼というものだ。だから、私は謝らないよ」

「……はい」

「これからどうする?」

「どうする、とは?」

「我々は、君たちに何も強制しない。普通の生活に戻りたいと言うなら、協力しよう。全くの元通りとはいかないが、政府の陰謀やテロリストとは距離を置いた場所での普通の生活を保証する」


 ──ゴクリ。


 喉が鳴った。


(俺は、どう答えるべきなんだ?)


 目の前の人が嘘を言っているとは思えない。おそらく、ここで『普通に戻りたい』と望んだら、そうしてくれるだろう。完璧ではなくとも、最大限の努力をしてくれるはずだ。


「俺は……」


 扉のすぐ外に人の気配を感じた。直感でわかる。俺の両親だ。二人が、俺の決断を待っている。


「俺は……」


 答えなら、決まっている。だけど、それを口に出してもいいのだろうか。




『よく頑張った』


 唐突に、あの日の情景が思い浮かんだ。5歳の誕生日、強盗に襲われた俺の頭を撫でてくれた、大きな掌。


『その勇気に見合った、強い男になれよ。小さな戦士くん』




「あの、もしかして、ずっと昔に会ったことがありますか?」


 俺が尋ねると、深本が笑った。


「よく覚えているね。小さな戦士くん」


 思わず、その腕を掴んだ。


「あの日も、実は君たち家族を巻き込んでしまったんだ。あのときも色々あってね」

「そう、だったんですね」


 深本の腕をぎゅっと握る俺の手を、大きな掌が優しく撫でる。


「俺には、勇気がありますか?」

「ある。胸を張れ」

「でも、俺は弱くって……」


 【エウリュディケ】が言っていた。俺のそれは、弱さだと。今ならその意味がわかる。俺はその弱さを乗り越えられなかった。だから、置いていかれた。


「弱さか……。そうかもしれないな」


 ぽんぽんと肩を叩かれる。


「私は、それこそが人間らしさだと思うな。私達が忘れてはいけない、いちばん大事なものだ」


 俺の両目から、温かいものが溢れ出した。涙だ。


「……俺は、ここで戦います」


 扉の外から、嗚咽が聞こえてきた。母親だろう。声を上げないように我慢して、俺の言葉を待ってくれている。


「これまでのこと、俺はなかったことにはできない」

「仕方がなかったとは、思えない?」

「はい」


 最初は、確かに巻き込まれただけだった。それならば、銃を持っていても引き金を引かなければよかっただけだ。ただ怖がってうずくまっていれば、彼らが守ってくれただろう。命をかけて。それが嫌だった。だから、俺自身の手で引き金を引いたのだ。


「あの時も、あの時も、あの時も……。俺は俺の意思で人を殺しました」


 言い聞かせるように、ことさらゆっくりと言葉にする。



「……これは、俺の戦争です」



 深本が大きく頷いた。チョコレート色の瞳からポロリとこぼれ落ちた涙は、たぶん俺を思って流した涙じゃない。


(【エウリュディケ】にも、こうして決断した日があったんだろうな)


 戦士になることを、決断した日が。


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