第4章 かえりたい場所

第20話 私たちとは違う


 お母さんが、帰ってこなかった。

 お父さんが、泣いていた。

 それが、私のいちばん古い思い出。


「智美、どうする?」

「なにを?」

「父さんと一緒に来るか?」

「うん」

「それは、普通の女の子としての幸せを捨てるってことだ。勝つまで戦う。負ければ死ぬ。それでいいのか?」


 今思えば、5歳の子どもに問うべき質問ではない。


「それでいい」


 私も私で、ちゃんと分かっていないのに返事をした。

 だけど、後悔はない。あの日、分からないながらも選んだ道を今も私は歩み続けている。



「よろしく」


 転校初日。隣の席に座っていた彼の笑顔が眩しかったことを、鮮明に覚えている。


 監視対象の一人、【蘭丸】こと森亮平。彼は、普通の高校生だった。放課後や休日にはゲームを楽しみ、学校では友達と笑い合って戯れる。少しばかり自信がなさそうに見えることもあったが、それはそれで高校生らしい。

 とにかく、普通の高校生。それが彼に対する第一印象だった。


 その印象がガラリと変わったのは、私が最初に参加した戦闘訓練でのことだった。その日は男女混合で訓練が行われた。ペイント弾を使った、模擬戦闘だ。


(こんな本格的な訓練をするだなんて)


 この学校に派遣されている特殊教官は、かなり変わっている。というよりも。


(現実が見えているんだわ)


「ラッキーだな」


 チーム分けが発表されて、隣になった男子がコソリと言った。


「亮平と一緒じゃん」

「楽勝だな」


 戦闘訓練ではかなり頼りにされているらしい。それはそうだろう。ユーザー数が5億人を超える【ORPHEUSオルフェウス】において、剣術一つでトップランカーまで上り詰めたのだ。そもそも才能がある。身体の使い方というものを知っているのだ。


 模擬戦闘の結果は、やはり森亮平率いるチームの勝利だった。遠目に見ていても分かる。彼は非常に優秀な兵士だ。冷静に状況を分析して指揮をとる能力もある。銃器の扱いは【オルフェウス】の戦闘員でも、ここまでできる者は少ないと舌を巻いた。


「亮平、さすがだよな!」

「お前のおかげで、今日は誰も殴られなかった」

「感謝!」


 やいのやいのと騒ぎながら教室に戻っていく彼を観察した。クラスメイトに褒められ感謝され、悪い気はしていないようだ。


「今度さ、俺ともクエスト行ってくれよ」

「……えー」

「なんでだよ!」

「うそうそ! いいよ、行こう!」

「よっしゃ!  俺、中位の最初で止まっててさ」


 【ORPHEUSオルフェウス】の話題が出た途端、彼の表情が変わったことに気付いたのは、たぶん私だけだった。


 【ORPHEUSオルフェウス】の中でも彼の監視を続けた。あの日、彼が深夜過ぎにログインしたのを確認してから、私もログインした。一緒にクエストに行く約束をしたから、偶然を装って接触できると思ったのだ。

 彼のパッシブスキル『抜刀術:Lv99』を間近で見たのは初めてだったが、噂通り全く見えなかった。これでは避けようがない。あっさり部位破壊されるモンスターを、少しだけ気の毒に思ったほどだ。


 けれど、そのモンスターを斬る瞬間、私の彼に対する印象がまた180度変わってしまった。


(ゲームなのに)


 消えていくモンスターのグラフィックを、切ない瞳で見つめていたのだ。

 まるで、その瞬間を悲しんでいるようだった。


『俺、モンスターが消える瞬間とか、人が傷つく瞬間とか、ちょっと苦手かも』


 そう言っていた。そして、それでもやめない、と。


 【チームR】が【筐体きょうたい】を使ってログインする日。私はいてもたってもいられなかった。


『彼だけは巻き込んではいけない』


 組織の一員としては最低の決断だ。それでも、そう思ってしまった。

 だから、こっそりと彼の家に忍び込んで簡易マニュアルを取り替えた。『危険:心身の健康が保たれている時に限りログイン可能』と、一言付け加えたマニュアルに。事前調査で、彼の母親が相当な心配性であることは分かっていた。この文章が目に止まれば、彼を止めてくれるだろうと思ったのだ。



 * * *


 

「やっぱり、【蘭丸】くんを巻き込むべきじゃなかった」

『すみませんでした』


 解除コードが隠されている秘匿サーバーへの接続点へ向かう道すがら、つぶやいた私に応えたのは吉澤だった。


『こんなことになるとは、思いませんでした』


 吉澤の声が震えていた。


「私達、見えてなかったのかもね」

『そう、かもしれません』


 『我々は正義のために多くを犠牲にしなければならない。だからこそ、その犠牲に対して誠実でなければならない。その理念だけが、我々を人間たらしめる』。この言葉は、私達が人間のままで正義を貫くための合言葉。

 同時に、私達に『強さ』を強いる呪いでもある。自分の中にある弱さや優しさを捨てて、強さだけを持って。そうして、ただひたすら前に進むための。


「彼は、私達とは違うわ」


 彼は、無意識の内に後ろめたさを感じていたのだ。ゲームとは言え、モンスターやPCを『殺す』という行為に。当たり前だが、周囲のプレイヤーはそんなことを気にしない。ゲームなのだから、当然だ。だから、彼自身も気付いていなかった。

 自分の中にある、底知れない優しさに。

 強いけれど、弱さも優しさも抱えている。平凡な高校生。それが森亮平という人間なのだ。


「彼の安全確保、任せるわよ」

『はい。既にセーフポイントを構築してあります』


 頷いてから、改めて前を見た。

 【REDレッド】を先頭に森の中を進んでいるところだ。

 日本国軍の【筐体きょうたい】に対応している解除コードの在り処は、最重要機密が保管されている秘匿サーバーの中だ。最も深い場所にあり、最も強い防護壁に守られている。私達がメインシステムへのハッキングを成功させた途端、アクセスが集中したので間違いない。そこにある解除コードの安全を確認した人間が何人もいたのだ。


『ここです』


 吉澤の合図で立ち止まった。大きな楠だ。


『ここに裏口を構築します。端子を』


 私が『端子』を地面に置くと、金色の光が走った。


『接続完了。セーフポイントを展開。作業完了まで約1分』


 今回は、全員がセーフポイントの中で作業終了を待つ。裏口を構築する程度の負荷なら、完璧なセーフポイントの構築を妨げないからだ。


「【エウリュディケ】」


 声をかけられて、【REDレッド】の顔を見上げた。


「俺たちは3人で仲間だ。頼むぞ」

「そうよ、仲間なんだから。3人でやり抜きましょう」


 【リボンナイト】が私の肩を叩く。その手が温かくて、胸がぎゅっと切なくなった。巻き込まれただけなのに、こうして必死で戦ってくれる。彼らは正に、戦士と呼ばれるにふさわしい人たちだ。


「はい。よろしくおねがいします」


 頭を下げると、またしても不機嫌な顔にさせてしまった。先程もそうだが、何が原因かわからない。


「【蘭丸】も相当だが、お前もだな」

「どういうことですか?」

「子どもだってことだよ」


 言われて、今度は私の眉間にシワが寄る。


「どういうことですか」

「最近の子どもは、ひねくれてるって話だ」

『作業完了。裏口、開きます』


 吉澤の声と共に、目の前の木の根本に大きなうろがポッカリと開いた。向こうは暗闇だが、どこかと繋がっている気配がする。


『メインシステムのときほど、複雑な構造ではないようです。ただし、かなり強力なファイア・ウォールが組まれていますね』

「ファイア・ウォール? つまり、この先を守っているのはPCじゃなくプログラムか」

『その通りです』

「それじゃあ、全部ぶっ壊して進めばいいってことだな」

『はい』


 吉澤の返事を聞いて、【REDレッド】が拳を鳴らした。ニヤリと笑っている。続いて、彼の真っ赤な髪がチリチリと火花を上げ始めた。


(バフ?)


「あーあ。紅炎モードに入っちゃったね。久々に見たよ」


 【リボンナイト】が嬉しそうに笑っている。


「紅炎モード?」


(【ORPHEUSオルフェウス】にそんなバフ、あったっけ?)


「炎属性と身体強化系のバフを限界まで盛り盛りに盛った状態の【REDレッド】さんを、私達が勝手にそう呼んでるの」


 言っているそばから、【REDレッド】の身体が少しずつ膨れ上がっていく。元々赤かった髪はさらに鮮やかな赤に変わり、褐色だった肌までも真っ赤に染まっていく。


「ね。だから、紅炎」


 【リボンナイト】が、懐かしそうに目を眇めた。


「ここまで真っ赤になった【REDレッド】さんを最後に見たのは、チームを組んでリーダーになるって言い始める前ね。本当に久しぶり。私は、こっちの【REDレッド】さんの方が好きだな」


 【REDレッド】が、うろに足をかけた。


「遅れるなよ、二人とも」


 一瞬にして見えなくなった背中を、私は必死で追いかけた。


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