第10話 死の筺


 【REDレッド】の指示で、命からがら森の中の洞窟に身を潜めた。当たり前だが、【ORPHEUSオルフェウス】では使えていた魔法がここでは使えない。同様にポーチの中からアイテムを取り出すことも出来ず、私達は暗闇の中で途方に暮れていた。


「これ、どうやったら帰れるの?」


 【リボンナイト】が、『ログアウト』ボタンの表示されないメインメニューを前に、項垂れている。ウィンドウを開いていればわずかに周囲が明るくなるので、そうしているのだ。ようやく、お互いの顔が見える程度だが。


「クエストを達成するか、死亡するか、だな」


 言いながら【REDレッド】が別のウィンドウを開いた。あの、クエスト情報が表示されている金色の画面だ。


「『死のはこ』の秘密、すなわち【VWO】の真実を全世界に発信する、って言われても、なんのことだかサッパリだな」

「それじゃあ、死亡?」


 【リボンナイト】が唸った。


「それは、まずい気がするな」


 【REDレッド】がウィンドウの一点を指差した。そこには『死亡時は永久凍結』の文字。


「これがどういうことなのか、わからない」

「凍結って、私達のアカウント?」


 不安そうに言ったのは【リボンナイト】だ。彼女が不安になるのは当たり前だ。私だって、この一文には肝が冷える。アカウントが凍結されれば、これまで苦労して上げたレベルも、集めたアイテムも、生成した武器や装備も、全てが消えてしまう。


「それって、この世の終わりじゃん……」


 【リボンナイト】がガクンと項垂れた。アカウントの凍結は、ゲーマーとしての死を意味するのだ。


「……それならいいけどな」


 【REDレッド】が低い声で言った。


「どういうこと?」


 【リボンナイト】の問いかけに、【REDレッド】が視線を彷徨わせる。言うべきか否かを悩んでいたようだが、結局は口を開いた。


「俺たちの『本体』が、今どうなってるのか思い出せよ」


 一瞬、意味が分からなかった。


(私達の、『本体』……?)


 それはつまり、現実世界のわたしの部屋、【筐体きょうたい】の中で眠っている私の身体。薄緑色の特殊生体機能保護液の中をプカプカと浮いているはず。

 そこまで考えて、私の全身を悪寒が走った。足先から脳天までがブルリと震える。


「そんな!」

「身体を凍結するってこと!?」


 【リボンナイト】も、その可能性に気づいたようだ。


「あり得ないって……」


 彼女の声が、だんだん小さくなっていった。その可能性を、完全に否定することができないから。


 『DEATH CAGE』、つまり『死のはこ』と表示された真っ赤なシステムウィンドウが脳裏にこびりついている。同時に、棺桶の中に眠る自分を想像して、吐き気がこみ上げた。

 冗談ではないのだ。私たちは、こうして【VWO】の世界に入り込んでしまった。私たちの手に余る事態が起こっている。ならば、【REDレッド】が予想した『身体の凍結』は、十分に有り得る範囲の想像だ。


「緊急ボタンは……?」


 ハッとして【リボンナイト】が言ったが、その肩はすぐにしぼんでいった。


「私、一人暮らしだわ」

「俺もだ」

「【Rabbitラビット】は?」

「週末は家に一人の予定です」

「そっか……」

「すみません」


 沈黙が落ちる。


(なんで、こんなことに……)


 ログインの時から、おかしかったのだ。


「【蘭丸】のお母さんが、正しかったんだね」


 ポツリと、【リボンナイト】が言った。


「そうだな。……フルダイブ式VRゲームを楽しむための、夢のハードウェア。そんな謳い文句に騙されて、こんな状況に陥っているわけだしな」


 沈黙が落ちた。誰も何も言えない。最初から【筐体きょうたい】なんていう得体の知れないものに、自分の身体を預けるべきではなかったのだ。


「……そういえば、参加ボーナスの『新しい仲間:【エウリュディケ】』は?」


 ふと思い出したように【リボンナイト】が言った。クエスト情報の最終行にある、それ。


「エウリュディケといえば、ギリシャ神話に出てくる女神の名前だな」


 【REDレッド】が顎に手を当てて言った。


「オルフェウスの妻だ」


 オルフェウスとは、【ORPHEUSオルフェウス】のゲームタイトルの由来だ。ギリシャ神話に登場する吟遊詩人の名前である。


「オルフェウスは死んでしまった妻のエウリュディケを救うために冥界に下る、って話だったな」

「オルフェウスにエウリュディケ……。何か、意味があるのかもしれませんね」

「合流できれば、何かが分かるかもしれん」


 それに、『新しい仲間』というからには、有用な情報を持っている可能性がある。


「でも、どこにいるのかしら?」



「ここよ」



 急に聞こえてきた声の方に振り返れば、そこには一人の女性が佇んでいた。ウィンドウから漏れる僅かな光で、彼女が白いドレスを着ていることがわかる。ギリシャ神話をモチーフにしたイラストでよく見る、あの姿だ。


「あんたが、【エウリュディケ】か?」

「そうよ」


 スタスタと近づいてきた【エウリュディケ】。その顔が、ウィンドウの灯りに照らされて明らかになる。


「え」


 思わず、私は声を上げた。よく知る人物だったからだ。

 窓際の一番うしろの席で、いつも無表情で座っていた彼女。長い黒髪が特徴的な、謎の転校生。彼の視線を独り占めする、大嫌いな人。今はメガネをかけていないが間違いない。


「栄藤友美?」


 私の問いに、彼女は曖昧に微笑んだ。



 * * *



「それじゃあ、【VWO】で死んだら、現実の身体が凍結されるってことなのか?」


 ヴァーチャルで死ねば身体は凍結される。そうやって兵力を削り合っているというのか、この戦争は。


「そうだ」

「そんなの……!」


(そんな、非人道的なことが許されるのか?)


「建前上は誰も死なない。凍らされるだけだ。戦争が終わるまでの間、な」

「そんなのって……」


 隣を見ると、父親の顔が真っ青になっていた。


「それじゃあ、私の父と母は?」


 俺の祖父母だ。5年前に徴兵された。


「分からない。今も無事で【VWO】にいるのかもしれないし、凍結されているのかもしれない」

「そんな……」


 父親が両手で顔を覆った。その肩が震えている。こんなはずではなかったのだ。祖父母は安全な場所で、ただゲームで遊んでいる。身体は【筐体きょうたい】によって完璧にケアされていて、家にいるよりも穏やかに楽しく過ごしている。そう思っていたのに。


「【筐体きょうたい】とは、すなわち『死のはこ』だ。……俺たちはその秘密を暴いて、この死のゲームを終わらせる」


 高野が両の拳を握りしめている。


「俺の祖父母も徴兵された。親友も……。俺が真実を知ったのは、奴が志願していった後だった。……必ず助ける」


「できるのか、そんなことが」


 【VWO】は、世界各国が総力を結集して作り上げた仮想現実世界だ。それを終わらせるだなんて、そんなことができるのだろうか。


「俺たち【オルフェウス】は、【VWO】をぶっ壊す。そのために、12年間を準備に費やしてきた」

「【ORPHEUSオルフェウス】?」

「俺たちの組織の名前だ」

「ゲームのタイトルじゃないのか?」

「俺達は組織と同じ名前を、あれに名付けた」

「それって……」

「そうだ。そもそも【ORPHEUSオルフェウス】は、今日この日のために開発されたものだ」


 高野が言うと同時に、装甲車が停止した。


「どうした」

「包囲が早い」

「抜けられないか?」

「厳しいな。……ここで別れよう」

「……わかった」

「死ぬなよ」

「お前らもな」


 男たちの不穏な空気を察したのか、母親も起き出してきた。父親も涙を引っ込めて、その様子を見つめている。


「ここから、二手に分かれる。装甲車で敵を引き付けている間に、走って包囲を抜ける」


 装甲車の後部ハッチが開いた。車内にいた男の内、高野を含む三人だけが下りる。俺たち三人も引っ張り出された。母親が再び男に背負われたが、今度は抵抗しなかった。もはや、そうする気力もないのだ。


「お前には、こっちも渡しておく」


 差し出されたのは日本刀だった。思わず固まる俺に構わず、ベルトを使ってガッチリと腰に固定されてしまう。


「いざというときには、使い慣れた武器のほうがいいだろう」

「いや、そうだけど。俺、リアルで刀なんか振ったことない」

「問題ない。いつもゲームでやってるように動けばいい」

「でも」

「しっかりしろ。お前が両親を守るんだ」

「やめてください」


 父親が、高野の肩を掴んだ。


「亮平に何をさせようと言うんですか!」


 父親がこんな風に怒るのを、初めて見た。


「亮平はただの高校生なんです。そんなものを持たせないでください!」

「ただの高校生?」


 高野が鼻を鳴らした。


「【ORPHEUSオルフェウス】で世界最速クリアを達成したパーティーの一員が、ただの高校生だと?」


 装甲車が音を立てて走り去った。再びサイレンの音が近づいてくるのがわかる。


「お父さん。彼は、戦士なんですよ」

「やめてください!」


 ──ダダダダダダ!


 父親の叫びに被さるように、機関銃の音が鳴り響いた。

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