第2話 物資をあさりますわ!
わたくしと一緒にお逃げください!
何度も叫びました。しかし声は届いていないでしょう。
頭の中の冷静な部分が無駄だと告げておりました。
視界が光で覆われます。
温水の中にいるような不思議な圧を感じました。
肌の感覚が曖昧になって、自分と外の境界がぬるぬると溶けて、混ざってゆきます。
ああ、これが地脈と呼ばれる魔力の流れを通る感覚ですのね。
厳しいおばあちゃまからはじめて優しくされた経験は、このような形でなく、もっと別がよかったですわ。
普段はわたくしに興味がないご様子でしたのに、最期だけは守ってくださいました。
泣いてはおりません。なみだを流す資格などありません。
全部わたくしのせいですわ。成り上がりの弱小貴族など無視すればよかったのです。
わたくしは暖かい光の粒子のなかで、なみだが浮かんで消えてゆくさまを感じました。
暖かな光が身体を包み、なみだを分解して悲しみだけが心に残りました。
ただ自分の愚かさが悔しくて──あら? そういえばわたくしより先に、お屋敷にいた
「精霊さまお力をお貸しください。どうか姉たちと同じ場所にだけは、送らないでくださいませ!」
(切なる願い、聞き届けた)
また幻聴ですわ。
精霊さまにお祈りを捧げますと、どきどき謎のお声が聞こえます。
わたくしの弱い心が作り出した虚構ですわ。
ああ、おばあちゃま、お屋敷の皆さま。わたくし、命に代えても償いを行いますので、あの世でお見届けください。
あら。黒い地面が見えてきましたわ。転移先についたようです。視界が歪んで
「いっ!」
お尻から地面に着地しました。い、息ができません。痛いですわ! うう……うっぅぅぅぅぅぅ!
「うわぁぁぁぁ! い・た・い・ですわーーーーー!!!!!」
痛みを怒りに変えて叫びます。叫んでいるとテンションが上がりました!
「痛いですの! 痛いですの! うぎぐぎぎぎぐぐぎぐぐぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
そう、逆に考えましょう。
今まで生きていた16年のなかで、今日はいちばんエキサイティングな日ではないかしら。
楽しくはありませんが、興奮はいたしましたわ。非日常ですわ! とんでもない非日常ですわ!
わたくしの家を攻めたチクロさまは、いつか家族ともども、そっ首をはねて差し上げます。
見ていてください、いつか、いつの日にか、必ず今日の償いをさせていただきます。
見てなさいまし!
はぁ……はぁ……ひとしきり叫びますと、痛みが薄らいで落ち着いてきました。
ここはおそらく洞窟の中です。薄暗くて、カビた臭いが鼻につきます。
ひんやりとした冷気が背中をなでて、震えてきました。
近くに人の気配はありません。どうやら姉さまたちとは別の場所に転移した様子です。
やりましたわ! 殺されずに済みました!
キィィ!
あら? 何のお声かしら? 豚──ではありませんわね。
何か近くから聞こえて、後ろ、いえ、お腹? 生暖かい物体が、お腹に張り付いています。
暗くて何も見えませんが、布生地に似た感触がいたします。
ただ、ぱさぱさと動いているので生き物にはちがいありません。
「何ですの?」
はがそうとしましたが、生暖かい何かはしっかりと服にしがみついて離れません。
明かりもありませんし、そのままにして手探りで進んでゆきます。
そのうち、背中にも張り付きました。
気安く触れないでくださいませ。
足元はぬるぬるして滑ります。
壁はごつごつとして、もしつまづいたら大けがを負うでしょう。
慎重に足の裏を地面にくっつけて、すり足で進みます。フラッペトロイケーゲルスネイル(カタツムリの意)と競争できる速度ですわ。
そのうち遠くに光が見えてきました。洞窟の通路が見えます。
思わず駆けだしました。光は安心できます。
躓きつつ闇の中を走り、視界がクリアになってゆき、薄暗がりの陽光で見えたのは、こげ茶色の岩石でできた洞窟の壁と、槌と泥の混ざった柔い床と、わたくしの服にくっついたコウモリたちでした。
「まあ! お離れなさいませ!」
わたくしは止まり木ではありませんわ。
服にしがみついたコウモリを手で振り払いますが、しっかりと爪で服をつかんで離れません。逆に爪が食い込んで痛いです。
この、この、どこかにゆきなさいませ!
首をつかんで差し上げますと、コウモリは苦しそうに目を細めてようやく爪を離しました。
洞窟の奥に投げますと、羽音が遠ざかってゆきました。
わたくしの薄ピンクのドレスには、べったりと汚れがついています。そして鼻をつく汚臭がいたします。
ふっ……うふふふ……。
あまりの事態に、口汚い言葉があふれそうです。
いけません。わたくしは貴族の娘なのですから、いかなるときも失礼な言葉は使ってはいけません。
……ですが、すでにお屋敷は攻め落とされておりますし、もう貴族ではありませんの?
へ、平民ですの? 市民と同じ立場ですの?
「こんちくしょうですわーーーー! 誰かなんとかなさいませ! 許しませんわよ!」
あら、洞窟の壁がオペラ劇場のように反響します。何人ものわたくしが共感しているようで悪くありませんわ。気分がよくなってまいりました。
「お父様ー! はやく助けに来てくださいませー!! 婚約者さまも助けてくださいませ!!! お屋敷の皆さまの仇をおうちくださいませ!!!! あーーーーーー!!!!!」
はぁ……はぁ……大声で叫んだらすっきりいたしましたわ。
わたくし16歳にして初めて汚い言葉遣いをしましたの。聞いているのは洞窟の闇とコウモリだけです。
誰に気兼ねする必要があるのかしら。いえ、ありませんわ。
落ち着いたところで探索を始めましょう。
光の方向に進むと、すぐに入り口にたどり着きました。外の景色は山々の
入り口のほど近くには壁に取り付けられた人工物の扉。人の手が入っている証です。
どなたか住んでいらっしゃるのかしら。訪問してみましょう。
「もし。もし。どなたかいらっしゃいますか?」
ノックをしてもお返事がありませんわね。お留守なのかしら。入ってみましょう。
お邪魔いたします。
扉の向こうはランプの明かりがかがやく、薄暗いお部屋でした。
丸テーブルが2つに椅子が4つずつ。社会見学で見た庶民の娯楽施設、酒場に似た構造です。
壁際には樽がいくつも並び、近くには武器をならべた棚もあります。
わたくしが室内に入っても、音は聞こえません。お留守なのかしら。
せっかくなので中を探検してみましょう。入り口の右側には、2段ベッドがいくつも並んでいます。全部で20人分。ここは洞窟ホテルでして?
「まぁ!」
おもわず口を覆ってしまいました。
ベッド地帯を右手に真っすぐ言った場所には、たくさんの棚がならんでいました。
そこにはたくさんの瓶詰、乾燥した動物の後ろ脚、大きなお魚の乾物、蝋でコーティングされたチーズの塊、果物やキノコや穀物を乾燥させて吊ったものなど、たくさんの食糧が棚に詰まっておりました。
わたくしひとりなら10年は暮らせるのではないでしょうか。それくらいの量です。
うふふ、すこし希望が見えてきました。
わたくしお料理はできませんが、ここにいれば飢え死にいたしません。もしかしたらここは一族の避難場所なのかもしれませんわね。
きっと反対側のお部屋にも、何か役に立つものがあるのでしょう。楽しみですわ。楽しみですわ。
入り口近くの割れたテーブルを退かして道を作ります。
両開きの扉が向かって右に見えますが、それは後でいいでしょう。
それよりも壁際に積まれた真っ白な小山が気になりました。これはどう見ても骨です。
人骨の山が積み上げられております。
わたくし人骨なんて拝見したのは
こんなにたくさん積みあがっているなんて、ここで何が起こりましたの?
骨の山の隣には、茶色い衣服の山です。
チュニック、ズボン、ブーツ、カバン、皮袋──雑多に積み上げられていますが、どれも大きさがまちまちです。
お隣にある骨の山のかたがたが、生前に着ていらした衣装ですわ。
自分で服をお脱ぎになったのではないでしょうし、どなたがこんなひどい事をなさったのです。
あるいは食人鬼がいらっしゃるのかしら……。わたくしにとってはあまり喜ばしい情報ではありません。
壁には調理台がつけられていました。
お鍋の底にうずたかく埃が貯まっていますので、長い間使っていない雰囲気です。
かまどには石炭らしき黒い塊が、入れっぱなしで黒く溶けておりました。気になる点といたしましては、お鍋の中に埃にまみれた人骨がいくつも突き出している点です。
見間違いに違いありません。頭の片隅にとどめましょう。
最後に、黒い石レンガで造られたお部屋に入ってみます。両開きの扉を恐る恐る開きます。
「お邪魔いたします」
誰かいらっしゃるかもしれませんので挨拶しました。
あんのじょう部屋の中は無人で、青く輝く魔法陣がありました。周りには
わたくしはここに出現する予定だったのかもしれませんわ。
座標がずれて転移が失敗する事故はまれに起こると聞きます。少々ずれて洞窟のなかに出現したのですわ。
転移魔法の授業で聞いたお話をを思い出しました。
ある魔術師のかたは転移先がずれてしまい、牧場の中に出てしまいました。
出現先には運悪くメス羊がいて混ざり合ってしまい、
わたくしもコウモリと混ざらなくてよかったですわ。
洞窟の壁に混ざった場合は死んでしまったでしょうし、運がよかったですわ。
ちなみにメス羊と混ざってしまった魔術師さまは、ニンゲンと羊の特徴をもった亜人になられ、陰陽かねそなえた両性具有のお身体に変わられました。
知識や言葉が失われて魔法も使えなくなりましたが、莫大なお金が師匠にお支払いされて、大貴族の側室に召し上げられたとか。
人間の尊厳を考えるお話ですわね。
ひとまず不用意に魔法陣には近寄らずにおきましょう。転送先もわかりませんわ。
部屋の確認が終わったので、次はお外に出てみます。
お空が見える洞窟の出口の先は、半円形のバルコニーになっておりました。
高いお山の中腹です。傾斜がきつい岩山です。
崖のふちから下を覗くと、急斜面の山肌がはるか下の森の中に続いておりました。ほとんど垂直の岩肌は専用の器具がなければとても降りられません。
落ちたら苦しまない高さですわ。
おそるおそる下がって洞窟の入り口に戻りました。恐ろしい高さですの。
わたくしが今いる場所は、孤立無援の山腹で間違いありません。
深呼吸して落ち着いた後、もう一度周囲を眺めます。
眼下に見えるのは緑の森ですわ。高い山と山のあいだを縫うようぬ埋めている森です。わ
たくしはじめて知ったのですが、高いお山には木が生えませんのね。
高度が上がるほど生えている密度が薄くなって、途中からは黄土色の岩肌になり、頂きは白くなっております。
近くに人工的な建物は見当たりません。
遠くの地平線には平野が見えて、高い岩山が少しだけ見えて、太陽の光に輝いております。
あの場所に昇って見渡せば何か発見があるかもしれませんが、この場所からはかなり遠いです。
徒歩では何日かかるかわかりませんし、そもそも降りられませんわ。
山を昇って別のルートを探せないかと考えましたが、硬い岩肌には短い草やコケが生えているだけで、とっかかりがありませんの。
軽業師のかたなら昇れるかもしれませんが、わたくしにはそのような技能がありません。困りましたわ。
ひとまず周辺の探索は終わったので、崖のふちに座り込みました。
急激に疲れがやってまいりました。まだ洞窟の奥を見ておりませんが後にします。
そよそよと冷たい風が吹いて髪をとかしてくれます。緊張が解けた身体に心地よい風です。
「みなさま、ご無事かしら……」
できればおばあちゃまはお心変わりして、お逃げになっていただきたいです。
現実的なかたですので、土壇場でそう判断なさっても不思議ではありません。
使用人たちも同様です。わたくしを苛め抜いてくださいましたが、本日は助けてくださいましたので、生きていてくださいませ。
逆に姉さまたちは全員逃げ遅れてほしいですが、おそらく転移したのはわたくしが最後でしょうし、望みは薄いですわね。姉さまたちが転移事故で魔物と融合なんてしましたら、わたくしそれを
雄大な自然のなかで、少々憂鬱な気分に浸りました。
グォォォォォォォン!
ケェ! ケォ! ガェ!
カカカカカカカ!
コアッ! コッアッ! コッアァァッ!
はろろろろろろろろろ! へろろろろろろろろろ!
「うるさいですわね……」
自然に身を任せていると、生き物たちのお声が聞こえてきます。
ここからは姿が見えませんが、もこもことした緑の葉に覆われてた森の中では、生存競争が行われております。
そうです。もしわたくしがここから降りられたとして、ひとりで森を抜けねばなりません。
護衛のかたもおりませんし、道もわかりません。
とたんに、森が恐ろしく思えてきました。
わたくしの怯えに応えるように、
ガオッ! ゴアッ! ゴルルルル!
地獄の底から響いてくるような低いうなり声が聞こえました。そのあとに続いて、断末魔らしき叫びも聞こえました。
乳母がよんでくださった本にでてきた、六本脚のケダモノ
もしかしたら、下の森の中にいらっしゃるかもしれませんわね。ふふふ、くだらない。所詮はおとぎ話ですわ。
ですが想像すると怖くなってきましたの。
まだお昼ですが洞窟のお部屋に戻りますわ。
「立派な騎士は夜中にファントムの声を聴きに行かない」ですわ。危ない場所に近寄らなければ後悔しなくてすみますの。
さっそくはいって扉を閉めました。悪い生き物は森のなかでじっとしていてくださいませ。
ドレスを着替えましょう。
お屋敷で過ごす格好では心もとないです。いつまでも汚れた服を着ていられません。
替えの服はあるのでしょうか?
右奥お部屋には、乾燥した食糧ばかりで着替えは見当たりません。2段ベッドの並んだお部屋にはクローゼットがありました。
なかには重そうな金属鎧がトルソーにかかっております。
どうみても男のかたの体格でつけられません。
「ん、ん~~……」
動かそうにも持ち上がりませんでした。防具棚にはわたくし向けの装備は見当たりません。
小さい戸棚の中にも手足を覆う金属の防具ばかりで、軽くて丈夫な革製品なんて見つかりませんでした。
そもそもこれは独りでつけられるものなのでしょうか。わたくしが学園で剣術のスポーツをしたときは、侍女たちが着付けを手伝ってくださいました。
きっと従者を連れた騎士さま用の武具なのでしょうね。
防具は諦めて武器をいただきましょう。
武器棚にはいろんな武器がかかっております。
両刃斧や大剣といった巨大な武器は無視いたしましょう。手軽に持てて邪魔にならなくて、疲れない武器がいいですの。
この短剣なんていいですわ。果物の皮をむくのにぴったりです。
あとは遠くから敵を攻撃できる武器──クロスボウがありましたわ。わたくし使いかたを知っております!
以前、わたくしの部屋に
弦を引いてストッパーに止めて、溝に矢弾を置くだけで、つがえたまま持ち歩けます。
威力は普通の弓より劣るらしいのですが、わたくしは弓術を修めておりませんので、使えるだけでありがたいですわ。
短剣で刺すより50メートルは離れて攻撃できるのですから、素敵な武器です。
ちなみにわたくしの部屋に矢弾が撃ち込まれた事件は、偶然飛び込んできた不幸な事故と判断されて捜査されませんでしたの。狩りをする山の中でもありませんのに、街中でクロスボウを偶然撃ってしまったなんて不思議ですわ。
どうせ姉さまがなさったのに、理不尽ですわ。理不尽ですわ。
ほかには投げ鉄球や投げ槍など、重すぎてわたくしには使いこなせそうにありません。
何か使い道があれば……そうです、ひらめきましたわ!
わたくしには使えない武器でも、精霊さまにささげる供物には十分です。精霊さまのなかには加工された金属を好まれるかたもいらっしゃいます。
特にここにある武器はどれも鋭く、細かな細工も施されて、素人のわたくしが見ても
使えなくて残念ですが、せっかく山に置いていただいているのですから、供物とさせていただきます。
精霊さまはいつも人間をご心配なさって、見守ってくださいます。
その恩に報いるためにも、ためにも──この長い矛槍を持って、も、もって……う、ぐぐぐぐ……お、重いですの……押しつぶされそうな重さですわ……!
刃先から柄頭まですべて金属で覆うなんて、どなたが使えますの!?
う、うう、負けません。引きずってでも捧げますわ。わたくしでもできます。わたくしでもできます!
たった数メートル動かすだけですのに、大変汗をかきました。でもどうにか運べましたわ……。これを崖から突き落として、捧げものといたします。
「精霊さま、山においていただく感謝の
金属の矛槍が、ガラン、ガランと音を立ててぶつかりながら、眼下の森の中に消えてゆきました。
樹幹が静まり返りました。
あれほど聞こえていた獣の声が急にシンとしました。
生暖かい風がわたくしに吹き付けました。
生臭い血の香りがまざって、大きな獣がわたくしのそばで呼吸しているような獣臭さが立ち込めます。
わずかに地面が揺れ、獣臭が遠ざかりました。
森は静かなままで、魔物の声はまだ聞こえません。
わたくしは祈りを終えて洞窟に戻りました。
ゼイゼイと荒い呼吸音がお耳に残っております。
お背中がうすら寒くなりましたの。
……いえ、きっとなんでもない出来事ですわ。そう、わたくしは着替えを探している途中でしたの。不審な出来事は忘れて作業を再開いたしましょう。
防具棚は何もつけられませんでしたが、人骨のお隣にある衣装だまりからは見つかりそうです。
うっ……腐敗臭がただよってますわね。
でもしなければいけません。しっかりなさい、わたくし!
これは布の服と言うよりはぼろきれですわね。
長い年月にさらされて、持つだけで繊維が崩れてゆきます。ほこりとなって舞い散って目に入りそうになりました。
もう! ひどいですわね。
より分けながら気づいたのですが、古いものは触るだけで崩壊しますが、逆に新しいものは新しすぎて、ドス黒い血がまだ湿り気をもっております。触れると指先に薄く乾いた血がつきました。
あの、この避難所はどなたがお使いでして?
無人だと安心していたのですけれど、気を改めなくてはなりません。
もしかして骨の山にも新鮮な死体があったりすのでしょうか?
わたくし、死体とか内臓とかそういったものは得意ではないのですが、現状を確認するためには調査が必要です。
白手袋を付けた手でそっと骨のなかを探ってみました。
あら? 干からびた肉が残ったしゃれこうべさんがありました。
がらんどう目から、昆虫さんが出てきて挨拶しておりますわ。
たくさん足生えて、長いからだをしてらっしゃいますが、ふふっ、何を食べて成長したのかしら。空洞の目から目に向かって長い身体が消えてゆきました。
一層深く腐敗集が香りました。
「きゅぅぅぅ──ぅうえぇ!」
コホッ! ケホッ!
わ、わたくしには無理ですわ……。
このような死体が羽織っていた服に着替えてしまったら、不快感で狂乱してしまいそうです。
服はこのままでもいいでしょう。おろしたてより慣れたもののほうが良い場合もあります。
けほっ、こふっ、喉が苦いですの……。お水はあるのかしら。
結局、衣服の山の中には繊維に近いボロ布と、繊維がかろうじて保持されているボロ布だけでしたの。使用に耐えうる品物が無くて残念ですが、焚きつけに使えるかもしれませんわ。
喉が渇きましたので、お水を探します。
調理台の近くには封をされた壺がありました。腰の高さまである壺は、ふたが粘土で覆われて厳重に密封されております。昔、晩餐会に御呼ばれしたとき、密閉した壺の蒸しスープをいただきましたが、この壺もそれに似ておりますわ。
粘土を短剣で削って蓋を緩めます。乾燥しきってレンガになっております。
この、えい、えいっ!
跳ね返りましたわ!
危ないですの。刃先で削るよりも、柄で叩きましょう。
ほら、崩れてきました。うふふふ、たわいない封ですの。さあ、ふたを取り外しましょう。
中にはたっぷりと、ふちまで黒い液体が入っておりました。
いい香りです。これはお酒ですわ。
どなたが作ったのか存じませんが、ありがたくいただきましょう。グラスはありませんので、お行儀が悪いですが、直接いただきます。
ひとくちめは、さわやかな甘みをもった液体が、喉を滑ってゆくのがわかりました。
喉に熱が降りてゆきます。かなりつよいお酒ですわ。でもこの飲みやすさ、口当たりの良さは今まで呑んだ経験がありません。
喉の痛みも治まって、気分の悪さも消えました。味を確かめるためにもう少々いただきましょう。一杯では正確な判断ができませんわ。
ごくごく。
飲み終わったときに物足りなさがありますわね。
口当たりがよすぎて余韻を味わう前に消えていってしまいます。
いえ、もちろんおいしいのです。呑みやすいですし香りも素晴らしいです。
わたくしが今までいただいたお酒のなかで五指にはいるおいしさです。
だからこそもっと味わって正確な批評をしなければ、このお酒にも失礼にあたると存じます。もう少しだけ、いただきましょう。
もう一杯、もう一杯と杯を重ねてゆきますと、不安だった気持ちが消えて、かわりに前向きになってきました。
そう、わたくしは襲撃から生き残れたのですから、これから先も生き残れるに決まっております。あの痴れ者のチクロさまとそのご家族には、いつかわたくしが正義の罰をあたえてさしあげます。
わたくしの姉さまたちも性格はゴ──自信にあふれたかたたちばかりですので、きっと復讐に手を貸してくださるでしょう。
そして、この避難所に何が住んでいるとしても、このアテンノルン(名前)・メリテビエ(家名)・セスオレギーゼ(領地名)が倒して差し上げます。
わたくしが考えますに、ここには少人数の盗賊か、もっと悪くても人食いの巣です。
一番悪くても悪魔の住処ですわ。ですがこのクロスボウの敵ではありません。
ごくごく。
こうやって弦を引っ張って、矢弾をつがえて、ほら、敵を倒すいちげきがよういできましたの。てきがやってきても、きぞくのわたくしがあいてになってさしあげますわ!
せいれいさま、このゆみでたおしたてきの血は、すべてせいれいさまにおささげいたします!
(────)
ああ、またへんなおこえがきこえます。
すこしだけ、ベッドでおやすみいたしましょう。
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