幸運サディスティック精霊使いお嬢様
白江西米
第1話 わたくしの優雅な朝が壊されて、修羅の巷になりました
わたくしの住んでいるお屋敷がチクロさまの第1軍に取り囲まれたとき、運がよくても圧倒的な力の前には無力だと知らされます。
霧深い朝の日、わたくしはベランダに差し込んでくる
レースのカーテンの向こう側では、王都の建物が霧でにじんで、まことに幻想的に見えましたの。高くそびえた教会の
わたくしは昨晩飲み過ぎたブランデーの二日酔いで頭が揺れておりました。
しんと静まり返った朝の冷たい雰囲気は、そんな頭をはっきりとさせて、寝巻のままベッドから起き上がりました。
毎朝の日課でベランダにあるテーブルにティーセットを出して、お紅茶をいただきます。朝の
火の魔石が組み込まれた再加熱式ポットを動かし、沸騰したお湯をティーポットに注ぎます。そのままティーカップに移しました。
まあ、お味がしませんわ。お酒の飲み過ぎで舌がおかしくなったのかしら?
いえ、まだ茶葉を入れておりませんでしたわ。
これはお湯ですわね。
葉を蒸らすあいだに、わずかに残っていたブランデーをいただきます。お紅茶と合わせてもおいしいですが、そのままいただいてもおいしいですわ。
お腹の底がほのかに暖かくなります。
準備のできたティーセットと酒瓶をもって、ベランダで朝のお茶をいただきました。
今日も素敵な1日になってほしいですわ。
そんな折、ふと、朝には似つかわしくない騒音が聞こえました。たくさんの人が敷石を踏みしめる規則正しい足音──それもわたくしのお屋敷に近づいてまいります。
霧がかかった外壁の向こう側で、何かの集団がうごめいでおります。
「ん~……?」
目を凝らして、じっと眺めておりますと、風に揺れる麦の穂のような長い棒状のシルエットが、いくつも浮かんで見えました。
王都に農地が出現したのかしら?
いかにも幻惑的な光景で、現実に見えません。
「昨日のお酒がまだ残っているのかしら……」
独り言をつぶやいて、ブランデーが8割を超えたティーカップを見つめます。
まだ酔うほどの分量は飲んでいませんの。
ちょうどさわやかな風が吹き、霧が晴れてゆきました。
「……!?」
重武装の兵隊さまたちがお屋敷を囲んでおりました。
みなさま槍を掲げて、柄についたカラフルな旗がたなびいております。赤地に黒い狼の紋章──あれはご学友のズィブ家の戦闘旗ですわ。
何をしにいらしたのかしら? ただの
首をかしげておりましたら、鉄柵門の内側にいた守衛さまが問答無用で刺されて、地面に倒れました。
「えっ?」
おもわずカップを持ったまま止まってしまいました。戦争ですわ! 戦争ですわ!
完全に目が覚めました。
地面に広がる赤い血が、思考を走らせます。
わたくし政治はわかりかねますが、きっとお父様が失敗なさったに違いありません。
わたくしの住んでいるお屋敷は平和な都市部にありますのに、完全武装の兵隊さまに取り囲まれるなんて普通ではありえませんもの。見とがめられずにいらっしゃった時点で陰謀に間違いありませんわ。
そのうち門に
先端を金属で覆われた巨大な丸太が、鋼鉄製の門をゆがめてゆきます。
丸太の左右に飛び出したレバーをつかんで、兵隊さまたちが何度も突進なさいますと、10回にも満たない回数で門柵が吹き飛ばされました。
兵隊たちが怒号をあげて庭に押し寄せてまいります。
黒いマントをたなびかせ、朝日に槍の穂先がきらめきます。
水の中できらめくお魚の鱗を連想させました。かなりの大物ですわ。
……えっ、本当で攻めていらしたの? なぜ? 現実逃避をしている場合ではありません。どうするか決めなくては!
わたくしのお屋敷からも、常駐騎士さまたちが飛び出してゆきました。
窓からも矢がヒュンヒュンと飛びかって撃ち合いになり、お屋敷の壁に突き刺さっております。
手に持っていたカップが射抜かれて砕けました。
そのときはじめて、これが生命に係わると理解できましたの。
「ゆけ! 殺せ! 毒婦アテンノルンはわしの娘に恥辱を与えおったぞ! 捕まえたものには褒美は思いのままだ!」
「うおおおお!」
「生死は問わぬ! わしのまえに引き出せ!」
「うおおおお!」
わ、わたくしが目的ですの!? 男爵家のかたがたに恨まれることをした覚えはありませんが……。
庭先でお吠えになっている男爵さまの娘とは、ご学友のチクロさまです。
チクロさまはただの弱小貴族のご息女ですし、面識はあっても付き合いがありませんの。
ましてや恥辱を与えるなど……
……
…………
ま、まさかひと月前の……?
###
「あなたを絶対に許しません!」
わたくしを地面から見上げているのは、チクロ・アルバレビ・ヒッタイトさま。
成り上がりの男爵家の娘で、わたくしと同じ学園に通う同年代の生徒です。
燃えるような赤い瞳は、敵意がこもっていなければ美しかったでしょう。
黒い髪も伸ばせばきっと美しくなったでしょう。
今は埃にまみれて倒れておりますが。
「決闘をお挑みになったのは、チクロさまではありませんか。そのうえで恨み言をおっしゃるなんて、品位に欠けますわ」
「くっ……」
そう、わたくしは剣での決闘を挑まれ、見事に勝利しました。
訓練場の床の上にはチクロさまの剣が転がり、わたくしは剣を保持しております。
生殺与奪の権利はわたくしにありますし、そのうえチクロさまはしびれて倒れていらっしゃいますので、
立ち並ぶギャラリーのかたがたも、はっきりとわたくしの勝ちをお認めになってくださいます。
「正々堂々と戦いなさい! ひきょうもの!」
「まあ……! あんまりですの! 何が卑怯でして!」
あんまりな暴言に、剣を握る手に力がこもってしまいました。
刃をつよく喉に当ててしまい、チクロさまは限界までのけぞって、涙目になっていらっしゃいます。
細い血が刀身に垂れました。
そんなお言葉をおっしゃるかただなんて存じませんでした。
わたくし卑怯者呼ばわりされるいわれはありませんわ。
「しびれ薬なんて卑怯者のやりかたです! わたしはそんなやりかたを絶対に認めません!」
「まあ、まあ……! チクロ様のご血筋は、戦いで負けたときにお相手が悪いと命乞いなされる家系ですの?」
「なっ……なっ……馬鹿に──馬鹿にするな!」
「ですが、チクロさまは決闘をお受けになったではありませんか。そのうえわたくしを卑怯者とおっしゃるのでしたら、失礼ですが、心構えからして未熟なのではありませんの?」
「おのれっ……!」
チクロさまは顔を真っ赤にして、ますます目尻に涙を浮かべられました。
キッとわたくしをにらみつけ、貝のようにおし黙られました。
負けてもなお強気でいらっしゃいますわ。
お気持ちはわかりますの。
チクロさまは新興の貴族で、武門で成り上がった家系です。
向こう気が強く、わたくしたち
お相手を侮る気持ちは言葉の
ですのでわたくしは大事にいたる前に教育して差し上げようと、決闘を挑みました。
力が強いだけではどうにもならないと、同じ力で勘違いを正して差し上げるのも
その結果、武を頼りにしていたチクロさまが地面に膝をつき、わたくしは立っております。
勝者はわたくしです。
このわたくし。うふふふ。わたくしです。ふふふふふ。
声には出さず表情も隠しておりますが、うれしくって本当は笑いだしそうでしたが、それはあまりにおかわいそうですわ。
気を引き締めて表情を保ち、あくまで心配して忠告する同級生の仮面をつけ続けます。
「これでお分かりになりまして? チクロさまはもっと社交術をお学びくださいませ。貴族社会ではうかつな発現は
「……実力じゃない! 普通なら私が勝った!」
燃えるような瞳がわたくしをにらみます。お聞き分けくださらない頑固さに、不覚にも怒りを覚えて、苛立ってしまいました。
舌を切り取ったら、多少は素直になるかもしれませんわ。いえ、いけません。頭を振って
「わたくしには難しくて分かりかねますが、お茶会の後に勝負をお受けになったのは、チクロさまですわ」
「くっ……それが卑怯だと言っているのです。しびれ薬入りのお茶を飲ませてから決闘を挑むなんて、卑怯者のやりかたです!」
「ご無体をおっしゃらないでくださいませ」
酷い言われようです。舶来品のコーヒーを珍しがられていたのはチクロさまですのに。
これは実家の姉さまから身をもって教えていただいた経験ですが、不用意に決闘を受けるといったハイリスクな行動は、命にかかわります。
わたくしもお茶会のあとに姉さまから水泳に誘われ、湖で身体がしびれて、おぼれ死にそうになった経験があります。
そのうえで頭を押さえられて水に沈められるより、衆人環視のなかで優しく負かすほうが慈悲深いと存じますわ。
訓練場で武器を落とすだけで済ましてさしあげたのですから。ですがこれだけ頑固なのですから、少々きつくご忠告さしあげましょう。
「そういえば、敗者は何でも命令を聞くお約束でしたわね」
「くっ……卑怯だから無効……です」
「どういたしましょうか。これ以上いぢめては後味が悪くなりそうですし……そうですわ!」
天才的なひらめきがやってきました。
肉体を傷つける残酷な行為はしたくありませんが、もっと効果的な方法を思いつきましたの!
チクロさまの正面にしゃがみ、手を取りました。たくさん訓練をなされたごつごつした手です。
「お立ち下さいませ、チクロさま。これ以上傷つけたりはいたしません。ただ、伝言をお頼みしたいのです」
「伝言……ですか?」
「そうです。あなたに目をかけていらっしゃる訓練教官さまに、「アテンノルンさまと剣で戦って手も足も出ずに敗北した」とお伝えください」
「そ、それは……!」
驚いていますわね。悲しんでいますわね。
訓練教官の信認を得られれば、学園での成績は上がりますし、将来の注目株として大人の貴族からも一目を置かれますものね。
「うふふ、悔しそうなお顔をしてもダメですの。約束しましたもの。それからチクロさまのお父様にも、わたくしと正々堂々戦って、こてんぱんにやられたとお伝えください」
「言っていい冗談と悪い冗談がある! 父を侮辱する気か!」
「まあ! そんなつもりはございません。ですが、チクロさまは敗北なさいましたの。本来ならば命さえも取り合う決闘で敗北したのですわ。その敗北を言葉だけで許されるのですから、敗北を認める潔さも大切です。チクロさまは敗北いたしましたので、武門に傷がつきましたし、これから武で成り上がるのは難しいかもしれませんが、ファイトですわ!」
ことさら敗北を強調してお伝えしました。
「ぐ……」
「どうなさいました?」
「…………」
チクロさまの歯が軋みをあげております。唇の端から一筋の血が流れました。色気のある、
「おできにならないのでしたら、わたくしが名誉に誓って代わりにお伝えいたしましょうか?」
「ぐすっ…………わがりまじた」
泣いてしまわれました。ハンカチで涙を拭いてさしあげましょう。これに懲りたら力の弱い相手を軽んじずに、平和な学園生活を送っていただきたいですわ。
###
絶対これですわ。
それだけで命を取りにいらっしゃったの!?
あわわ、あわわ……そんなユニークな話は聞いた経験がありませんわ!
馬鹿正直にしびれ薬を飲んだチクロさまが愚かなだけです。そう、悪いのは弱くて愚か者のチクロさまです!
「おのれぇ! 重ねて許さん! 悪女を殺せ!」
口に出していましたわ! 魔導音声探知に引っかかってしまいましたの! 違いますの! 誤解ですの! 矢を撃たないでくださいませ! 危ないですわ! ひいっ、今のはすこしズレたら、わたくしの腕に刺さっていましたわ! 誰か! 誰かありませんの!
「お嬢さま! お怪我はありませんか!」
やっと召使いがお部屋にやってきましたの。早いとはいえませんが、やってきただけでよしといたしましょう。
「ええ。平気ですの」
「ならばこちらに!」
執事の一人に手を引かれるままお屋敷の廊下を駆けました。あちらこちらで闘争の音が聞こえます。怒号が飛び交い、窓ガラスが割れ、焦げ臭い香りがいたしました。
「おはやく!」
お姉さまと対立してから冷たくなった召使いが、わたくしの身を心配していて不思議ですが、きっと緊急事態だからでしょう。
それよりもガラスを踏んで足が痛いですわ。スリッパを履くべきでしたの。
廊下を走り、階段をいくつも駆け降り、ワイン蔵のある地下室に入りました。
石畳の一部を踏みながら壁を押すと、レンガの石壁が透けました。ここに隠し扉があるなんて初めて知りましたわ。
さらに通路を進んだ奥のお部屋には、青く輝く魔法陣がありました。そばにはおばあちゃまが椅子にお座りになっておりました。
「やっときたか。さっさとここに入れ」
はい。とお返事をする間もなく、背中を突き飛ばされて、魔法陣の青い光の中に包まれました。
「おばあちゃま! これはなんですの?」
「愚かなお前のせいで、とんだ貧乏くじを引かされたわ」
「申し訳ございません! おばあちゃまもお逃げください!」
「この屋敷を息子から預かった私が、逃げてたまるか。お前は転移先で生き残れ」
「おばあちゃま!」
叫ぶ間にも視界がかすれてゆきます。本格的な転移が始まって、わたくしの声も、目も、光にさえぎられて何も見えなくなりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます