エピローグ

エピローグ1

 それは、アニソン戦争の翌日のことだった。


 今日は日曜日。

 学校は休みで仕事も特に入っていない。水琴は午前中にラジオ収録があるようで、侑芽夏は午後三時頃に君嶋家へ向かった。


「侑芽夏さん、こんにちは!」

「うん、こんにちは。宗太くん、いつにも増して元気そうだね?」

「ふふん、当たり前でしょ?」


 出迎えてくれたのは宗太だった。

 浅葱色の一本結びをした髪に、胡桃色のくりくりとした瞳。ボーダーTシャツに短パンといういつも通りのラフな恰好。

 そして何より、血色の良い顔。

 こんなにも顔がテカテカしている宗太の姿を見るのは初めてだった。


「キミはまだ仕事?」

「ううん、部屋でだらーっとしてると思うよ」

「ああ、いつもの」


 ははは、と思わず二人して苦笑し合う。

 そのまま「しょうがないなぁ」と言わんばかりに息を吐き、水琴の部屋へと向かおうとした。しかし、その足はピタリと止まってしまう。


「……どうしたの?」


 白いチュニックの袖を掴まれ、侑芽夏は首を傾げる。

 宗太は慌てた様子で手を離し、挙動不審に視線を彷徨わせた。


「ええと、その……。僕もあとで、そっちの部屋に行っても良い?」

「もちろん良いけど……というか、今から一緒に行く?」

「あっ、いや、その。色々、準備があるから」


 勢い良く手を振って拒否する宗太に、侑芽夏はまたしても首を捻る。

 しかし、少し考えればわかることだった。ついにあのことを水琴に告白するのだろう。もしかしたらすでに気付いているかも知れないが、そこはきっと水琴が空気を読んでくれるに違いない。


「……あ」


 本来であれば、「宗太くんなら大丈夫だよ」なんて微笑ましい気持ちになりながら、今度こそ水琴の部屋へ向かうはずだった。

 しかし、宗太のまっすぐな瞳を見ていたら、急に思い出してしまったのだ。


「そうだった。私、宗太くんに渡したいものがあるんだよ」

「渡したいもの?」


 キョトンとする宗太をよそに、侑芽夏は鞄の中から小さな袋を取り出す。

 横浜旅行の時に買った、ラズライトのストラップ。本当は昨日渡したかったのだが、感極まりすぎてそれどころではなかったのだ。


「宗太くんの趣味じゃないかも知れないけど……。ラズライトにはね、集中力を高める効果もあるから。だから、宗太くんも夢に向かって頑張ってね」

「…………」


 袋から勾玉まがたまの形をしたラズライトのストラップを取り出し、無言でじっと見つめる宗太。やはりパワーストーンは趣味じゃなかっただろうか。

 思わず眉根を寄せてしまう侑芽夏に、宗太はぼそりと呟く。


「そっか。……そうなんだね」

「……宗太くん?」

「誰かに応援されるのって、こんなにも嬉しいことだったんだなぁって思って。……ありがとう。大事にするね、侑芽夏さん」


 ぎゅっとストラップを握り締めながら、宗太は侑芽夏をじっと見つめてくる。

 あまりにも眩しい光が目の前にあって、侑芽夏はついつい逸らしそうになる。でも、負けじと見つめ返してみせた。


「まずはキミに伝えることから、だね」

「うん! それじゃああとでね。侑芽夏さん」


 迷いのない頷きを見せる宗太に、侑芽夏も頷き返す。

 それから、今度こそ彼女の部屋へと向かった。



 今日、わざわざ侑芽夏が水琴に会いに来た理由。

 それは昨日、涙でぐちゃぐちゃになってろくに水琴と会話ができなかったからだった。色んな想いが溢れすぎて、侑芽夏も水琴も使いものにならなくなったのだ。

 あのあと、また京ケン先生と会話する機会があり、褒められる度に涙が止まらなくなった。もっとやばかったのはマネージャーの茜だ。和喫茶での出来事もよみがえり、「ありがとうございます」しか言えないマシーンと化してしまった。

 今からこんな状態で、いざ『娯楽運びのニンゲンさん』のアニメが始まり、オープニング映像が流れたらどうなってしまうのだろうか。


「うぇへへへ」


 想像するだけでオタクとしての笑みが零れてしまう。それに涙も加わってしまうのだから、傍から見たら気持ち悪い姿になってしまうことだろう。

 ファンには絶対見せられないのは確実だった。


「何で人の部屋の前でニヤニヤしてるの。気持ち悪っ」

「へっ? あ、いやそれは、色々とあって……あはは」


 部屋の扉をノックしようとすると、その前に水琴が顔を出した。

 きっと今日もジャージ姿なのだろうと思っていたがそんなことはなく、純白のワンピースに身を包んでいる。髪もいつも通りのハーフツインテールだし、心なしか部屋もすっきりとしているような気がした。


「…………えっ」


 ワンテンポ遅れて、侑芽夏は驚愕の声を漏らす。

 確かに水琴は午前中、ラジオ収録があった。でも、人前に出る訳でもないのに水琴がこんなにも着飾るだろうか。

 家に帰ったら部屋でゴロゴロするのが君嶋水琴という人間だし、ジャージが一番落ち着くとも言っている。部屋だって、綺麗に整理整頓されている――とまでは言わないが、少なからずごちゃっとはしていなかった。

 いつもだったらベッドの上で山積みになっていた洋服も、ちゃんとクローゼットの中にしまわれている。ただそれだけで妙な感動が襲ってきた。


「どうしたの、みたいな顔するのやめてくれる?」

「いや、だって」

「……あたしだって、昨日のことについては話したいことがたくさんあるの。だから、少しくらいちゃんとした日があっても良いでしょ」


 思い切り視線を逸らしながら、水琴は聞き取りづらいほどに小さな声を漏らす。

 当然のように侑芽夏がニヤニヤとした顔になると、水琴は不服そうに唇を尖らせるのであった。

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