エピローグ2

 水琴の部屋には勉強机以外のテーブルがなく、座布団もない。そのためベッドの上に二人並んで座っていると、


「で、昨日の暴走は何だったの?」


 いきなり、水琴の刺々しい瞳が牙を剥いた。

 もっと感動的な話になると思っていたが、そうはいかないらしい。


「あー、はは……。あれはそのぉ、アニソン好きとしてのさがと言いますか……」


 頭を掻きながら、侑芽夏は思い切り苦笑を浮かべる。

 水琴の言う通り、侑芽夏は昨日のアニソン戦争で暴走してしまった。

 SNS等でもすでに話題になってしまっていて、『古林侑芽夏暴走事件』とまで言われているくらいだ。


 ことの発端は、Lazuriteの勝利が決まったあとのこと。

 アニソン戦争が綺麗に幕を閉じた――と思いきや、侑芽夏が突然手を挙げたのだ。


「私、月影アイリさんの『シャングリラ・ストーリー』を、第一話の特殊オープニングとして観てみたいです!」


 それは、どうしても抑えられなかった『娯楽運びのニンゲンさん』のファンとしての意見だった。

 やってはいけないことをした自覚はある。でも、侑芽夏が本音を放った瞬間、確かに会場中が震えたような感覚が襲った。


 原作と同じように、『第一話詐欺』のオープニングを観てみたい。

 そう思ったのは侑芽夏だけではなかったようだ。客席のざわざわと、京ケン先生の瞳の輝きと、戸惑いながらもテンションの高いアナウンサーの声。


「いや、でもそれは……」


 と明らかに困惑するアイリに、侑芽夏は迷わず言い放ってしまう。


「アニソン戦争は勝敗を決めるためのもの……だけじゃないと思うんです。少なからず、私はアニメでも第一話詐欺が観てみたい……。皆さんはどうですかっ?」


 問いかけると、会場中は拍手に包まれた。

 このまま、『シャングリラ・ストーリー』が第一話のオープニングテーマに決まる……かと思いきや、一つだけ大きな問題があった。


 それは、アニメーターへの負担だ。

 侑芽夏の発言一つで、オープニング映像を二種類作らなければいけなくなる。

 この時点で、侑芽夏はようやく自分の犯してしまった事実に気が付いた。しかし、会場の興奮が収まることはなく、やがてアニメ制作サイドに頭を下げる展開になってしまう。

 最初は渋い顔をしていた監督も会場の熱に心が動かされたようで、最終的に頷いてくれた。


 こうして、第一話の特殊オープニングとして『シャングリラ・ストーリー』が使われることが決まったのであった。


「いや、確かにあたしも観たいって思ったよ。でも第一話って、とりあえず観てみよーって感じで観る人も多いじゃん? そういう人が二話以降も観てくれるかどうかはわからない訳で、『娯楽運びのニンゲンさん』=『シャングリラ・ストーリー』っていう印象を持つ人も絶対いると思う訳よ。わかる?」


 水琴の言葉に、侑芽夏はベッドの上で正座になりながらコクコク頷く。水琴は眉をピクリとさせてから、大きなため息を吐いた。


「それに、Lazuriteが無茶を言うようなユニットだっていう印象もついたと思う。アニメーターさんを敵に回したと思うし、今後アニソン戦争に選ばれるかどうかにも影響が出るかも知れない」

「……はいぃ。その通りです……」


 先ほどから水琴の正論が耳に痛すぎて、もはや半泣き状態だ。『古林侑芽夏暴走事件』という言葉には、よくやった! という気持ちも含まれていることはわかっている。それでも、今後のLazuriteにとっては決してやってはいけないことだったのだ。


「あー……もう、そうじゃなくて……っ」

「…………?」


 正座のまま項垂れていると、水琴は急にしかめっ面になり、頭を掻きむしった。

 せっかくのハーフツインテールが乱れるが、気にする素振りも見せない。

 侑芽夏が小首を傾げていると、水琴は身体ごとこちらに向き、


「ごめんっ」


 と、突然頭を下げてきた。

 ますます意味がわからなくて、侑芽夏の頭はクエスチョンマークに溢れる。


「いやいや、何で今の流れでキミが謝るの? 普通、私が謝るところでしょ」

「そう……なんだけど。確かに、『古林侑芽夏暴走事件』についても話したいって思ってた。でも、そうじゃないの。この話題を先に出したのは、単なる逃げだから」


 眉根を寄せたまま、水琴は独り言のような声を漏らす。

 侑芽夏はもう、首を傾げるようなことはしなかった。水琴が必死に何かを伝えようとしている。

 そう思ったから、侑芽夏も身体を動かして水琴と向き合うような形になった。


「アニソン戦争から逃げようとして、本当にごめん。あたし、ユメにたくさん迷惑をかけたよね。弟がどうだとか、声優オーディションがどうだとか、そんなのユメには関係なくて……。だから自分の悩みとか全部、隠さなきゃいけないと思ってた。……それが間違いなんだって、気付きもしなかったんだよ」


 ――だから、ごめん。


 はっきりとした口調で言いながら、水琴はその場で頭を下げる。

 どこからどう見ても土下座で、侑芽夏は変に焦ってしまった。


「いやいやいやっ、お願いだから頭を上げて? 私だってキミを困らせてばかりだった。私の方が年上だからって、キミを引っ張らなきゃって思ってたから。それが間違いだって気付かせてくれたのはキミなんだよ。……だから、ありがとう」


 確かに、振り返ってみると謝りたいことばっかりだ。

 でも、今はそれ以上に感謝したい気持ちでいっぱいになっている。ごめんと口にするのは意外と簡単だ。だけど、面と向かってありがとうと言うのは意外と恥ずかしい。


 きっと、自分の頬は朱色に染まっているのだろう。

 そう思いながら、侑芽夏は水琴の瞳をじっと見つめた。


「……それは卑怯だよ」

「えっ、何が?」

「…………」


 水琴はジト目でこちらを見つめ返してくる。

 その頬はほんのりと赤くなっているような気がした。


「あたしだって、ユメにありがとうって言いたいよ。でも……あたし達はこれから先もずっと、Lazuriteとして同じ道を歩んでいくから。友達としてだけじゃなくて、仕事仲間としても大事にしたい。だから、謝るところはちゃんと謝らなきゃって思ったんだよ」


 言って、水琴はすぐに俯いてしまう。

 瞬きがめちゃくちゃ多くて、無理をしているのが丸わかりだ。だからこそ、こんなにも心が優しい気持ちに包まれているのだろう。


「そっか。キミは私のこと、友達としても見てくれてるんだ」


 嬉しくて、ついついニヤニヤしてしまう。

 水琴はやっぱり、露骨に嫌そうな顔をした。その顔が可愛らしくて、侑芽夏は水琴の頬に手を伸ばし、人差し指でつんつんしてしまう。


「キミだって本当は嬉しいんでしょ? だって頬、真っ赤だよ?」

「…………ねぇ」

「ご、ごめん。流石に怒った?」

「そうじゃなくて。……たまには、水琴って呼んでくれても良いけど」

「っ!」


 侑芽夏は思い切り目を見開く。

 だって、上目遣いで見つめながら「水琴って呼んでも良いけど」と言ったのだ。その破壊力は半端じゃなく、侑芽夏は勢い余って抱き着いてしまう。


「わかった。これからは水琴って呼ばせてもらうねっ」

「ち、違うっ! たまにって言ったでしょ。Lazuriteではキミとユメで定着してるんだから、今更変えるのは無理。わかった?」

「うん、わかったよ水琴!」

「……本当にわかってるのかな……」


 侑芽夏の身体から離れながら、思い切り呆れたような顔を見せる水琴。しかし頬は赤いままで、心のどこかでは嬉しいのがバレバレだった。


「まぁ、そういうことだから。これからもよろしくね。……侑芽夏」

「っ! い、今の録音したい」

「んー……。ユメのたまに変なスイッチ入るところ、苦手なんだよねぇ」

「…………うん。今のはちょっとないよね。ごめん」


 はあぁ、とわざとらしくため息を吐く水琴に向かって、侑芽夏は頭を下げる。今度は侑芽夏が土下座をするような形になってしまった。

 しかも、


「お邪魔しま……えっ、何この状況」


 こんなタイミングで宗太が部屋にやってきてしまい、一瞬だけ変な空気が流れてしまう。呆れ顔の水琴に、ベッドの上で土下座をする侑芽夏。どう考えてもおかしい状況に、宗太は瞳をぱちくりとさせている。


「そ、宗太くんっ! これはその……私がキミに膝枕をして欲しいって頼んでただけでね」

「ねぇ。何で変な方向に捏造すんの? てゆーか膝枕なら宗太にしたいんだけど」


 咄嗟に出てきた言い訳に、水琴は当然のように渋い顔になる。しかし侑芽夏は「なるほど」と言わんばかりに目を見開いてしまった。


「あぁ、君嶋姉弟が膝枕してるところを傍から見るのも良いかも知れないね……」

「…………」


 ついつい零れ落ちてしまった本音に、水琴はもはや何も言い返してくれなくなってしまった。

 水琴のブラコンと同じくらい、侑芽夏の君嶋姉弟に対する愛情も病気の域に達しているのかも知れない。

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