5-7 私達の戦い方

 テレビサイズというのは本当にあっという間なもので、すぐにアイリの出番がやってきてしまった。

 舞台袖に引っ込むと、入れ違いでアイリがステージに立つ。すれ違った瞬間、黒いドレスに身を包むアイリからはピリピリとした緊張を感じたような気がした。


「皆さん、こんばんは。月影アイリです。今日はよろしくお願いいたします」


 ステージ上のアイリは凛とした声を出し、礼儀正しくお辞儀をする。

 こういう時、先攻のLazuriteが一度作り上げてしまった空気を崩すのは難しい。しかし、アイリがいつも通りの落ち着いた様子で現れた瞬間、一気に空気が変わったように見えた。


 先ほどのLazuriteとは違い、アナウンサーも淡々と進行していく。

 アイリが披露する楽曲は『シャングリラ・ストーリー』と言い、作詞・作曲はアイリ自身が担当したということ。編曲はアニソンクリエイターとして注目を集めている王塚おおつか知良かずよしで、それだけで会場が湧き立つほどだった。


 自分達だって、もちろん手ごたえはあった。

 テレビサイズという短い時間の中にも観客の一人一人を見る余裕はあって、弾むようなペンライトと、キラキラと輝く瞳を確認すことができたと思う。

 原作ファンの人にも、Lazuriteファンの人にも、何か心に響く部分があったのだと信じたい。


 でも――やっぱりどうしたって、月影アイリは完璧だった。


 アナウンサーがステージから捌け、瞬時に切り替わるアイリの表情。

 流れるイントロは意外にもゴリゴリのバンドサウンドで、格好良さに全振りをした印象だ。確かに『娯楽運びのニンゲンさん』はファンタジー作品だし、バトルシーンもある。

 しかし、出会いや娯楽を通じた『楽しさ』がこの作品の真骨頂だと思っている侑芽夏にとっては、イントロから衝撃を受けてしまった。


(そっか、月影さん……こういう方向性で来たんだ)


 舞台袖からじっとアイリを見つめながら、侑芽夏は小さく息を吞む。

 水琴から聞いた話によると、『娯楽運びのニンゲンさん』が連載を始めたばかりの頃、「第一話詐欺」と呼ばれていたらしい。

 壮大なファンタジーが始まったかと思いきや、二話から急にコメディー色が強くなったため話題になったのだ。


 ――つまり、アイリはアニメでもそれを再現しようとしている。


 ただの想像でしかないが、侑芽夏はそう思った。

 月影アイリは格好良さやシリアスを前面に出したアーティストだ。

 元気で明るい曲ももちろんあるにはあるが、アイリのイメージからはかけ離れているだろう。そんな彼女がアニソン戦争に選ばれた訳は、そのイメージをくつがえすためなのだろうか。


 いや、違う。

 アイリの力強い歌声を聴きながら、侑芽夏は断言する。


 LazuriteがLazuriteなりの答えを出したように、アイリにもアイリの答えがあるのだ。

 自分に出せる実力でアニソン戦争に挑むという、たった一つの答えが。

 舞台袖からは客席を見ることはできない。でも、きっとLazuriteとは真逆の色をしているのだろうと思った。


 スタンドマイクを片手に、まっすぐ客席を見つめたまま歌い上げるアイリ。

 表情は至って真面目――という訳ではなく、どこか得意げな笑みを浮かべていた。思わずこぶしを振り上げたくなる激しいメロディーも、格好良さの中に隠れた遊び心のある歌詞も、すべてを包み込むような歌声も。

 たった八十九秒という短いテレビサイズの中に、この空間を余すところなく支配する力が込められている。


 やっぱり、月影アイリは月影アイリなのだと思い知らされた。

 確かに彼女はアニソン界のエゴサ姫だと呼ばれているし、プライベートではおどおどとしていることが多い。でも、一度ステージに立ってしまった彼女から感じるのは、絶対的な自信だった。


 彼女はまさしく、アニメソングを歌うために生まれた存在なのだろう。

 迷いなくそう思えてしまうのは、彼女の歌う『シャングリラ・ストーリー』が『娯楽運びのニンゲンさん』に相応しいと思っている気持ちが少しでもある証拠なのかも知れない。


 ――でも。


「キミ、行こっか」


 自分達には自分達の戦い方がある。

 それがわかってしまったから、侑芽夏はニヤリと笑うのであった。



 ***



 再び、Lazuriteのターンがやってくる。

 先ほどのテレビサイズとは違い、今度はフルサイズだ。テレビサイズではアニメから初めて作品に触れる人へ向けた歌詞になっているが、フルサイズではもっと深い部分に触れることになる。

 直接的なネタバレはもちろん駄目だが、「ここの歌詞はこのことを言っているかな?」と思わせるような歌詞にはなっているはずだ。


 侑芽夏と水琴がステージに立つと、客席のペンライトは再び赤色、水色、青色に染まった。

 いつも通りの見慣れた光景だ。そこからもう一歩進んでみたい。Lazuriteのステージではなく、『娯楽運びのニンゲンさん』のためのステージにしたい。


 そう思いながら、侑芽夏は水琴と視線を交わす。

 泣いても笑っても、この歌唱が最後だ。月影アイリという名の敵はやっぱり手強くて、与えられたプレッシャーは鼓動の速さに変わっていく。自分達には自分達の戦い方があると思ったばかりなのに、それはただの強がりだったのだろうか。


 ――いや、そうではない。


 水琴に微笑みを向けられると、そっと心が温かくなるのがわかった。


 ――そうだ。私の隣にはキミがいる。


 水琴が隣にいるから、自分は今、ここに立っている。出会いの物語を伝えられるのは、自分達の歌声だ。だから、何も迷うことはない。



 軽い心のまま、侑芽夏は水琴とともに歌声を響かせる。

 曲に合わせて身体を揺らし、時には客席に手を振り、笑顔を振りまいた。

 さっき以上に楽しいと感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。侑芽夏の熱い歌声と、水琴の甘い歌声が混ざり合う。確かに今、自分達に出せる全力を出せているという実感があった。

 どんなにアイリが圧倒的に感じても、自分達は自分達だと信じることができる。

 だから、だろうか。


(…………っ!)


 ぽつり、ぽつりと、ペンライトの色がカラフルに染まっていく。

 きっかけは間違いなく「君の世界こころは何色ですか?」という落ちサビの歌詞からだろう。

 Lazuriteが歌っているからこの色を振らなくてはけない……ではなく、自分の好きな色を振って欲しい。一人一人違った色があるからこそ、この曲は完成する。侑芽夏も初めて水琴の歌詞を見た時、色とりどりな光景が見られると良いな、と心のどこかで思っていた。


 それが、まさか現実になるなんて。

 まるで『娯楽運びのニンゲンさん』のための曲だと認められたような気がして、侑芽夏は咄嗟に上を向いた。赤らんだ瞳も、一瞬だけブレてしまった声も、きっとバレバレなのだろう。でも、仕方がないではないか。


 勝敗はまだわからない。だけど、後悔はない。

 そう、はっきりと言い切れてしまう侑芽夏の姿がそこにはあった。



 この鳥肌は、フルサイズの『シャングリラ・ストーリー』を歌い始めたアイリに対するもりだろうか。それとも、ただ単に冷房が効きすぎているだけだろうか。


「ユメ、汗やばすぎ。ほら、拭いて拭いて」

「あ、うん……ありがとう」


 どうやら正解は後者だったようだ。

 侑芽夏は恥ずかしさで俯きながら、水琴からタオルを受け取る。

 フルサイズとはいえ、たった一曲でここまで汗を掻くとは思わなかった。確かにLazuriteはまだライブの経験はないものの、リリースイベントでのミニライブくらいは経験がある。数曲続けて歌うくらいは余裕のはずなのに、不思議なこともあったものだ。


「ねぇ、ユメ」


 じっとアイリを見つめたまま、水琴は小さく呟いた。一瞬だけ水琴の横顔を見つめてから、侑芽夏もまたアイリのステージに目を移す。


「凄いよね、月影さん」

「……うん。私達と全然方向性が違うはずなのに、違和感なんてないもんね。格好良いけどそれだけじゃないって言うか……。いつもよりキーが高いからかな。明るさもちゃんとあるし、これも『娯楽運びのニンゲンさん』の形なんだなぁって思う」

「ユメ、今日は審査員の立ち位置だったっけ?」

「ち、違うよぉ」


 水琴に冷静な突っ込みを入れられ、侑芽夏は思い切り苦笑を浮かべる。

 ――いや、明確に言うと苦笑を浮かべようとしていた、だろうか。


「楽しそうだね、ユメ?」


 口角をつり上げながら、水琴は小首を傾げてくる。

 侑芽夏が苦笑だと思って浮かべた笑顔には、ほんの少しだって苦い部分は存在していなかった。今だってアイリの先輩として実力はありありと感じているはずなのに、思った以上に自分の心は落ち着いている。


「…………じゃないか、って」

「ん、何?」

「だから、そのっ」


 憧れの先輩に対してこんなことを言って良いのかと、一瞬だけ躊躇ってしまう。でも、思ってしまったのだから仕方ないではないか。

 意を決して、侑芽夏は水琴を見つめる。


「私、今……絶望的だって気持ちはまったくない。相手は大好きな月影さんだけど。ずっと手が届かないって思ってた人だけど、それでも…………。私達、月影さんとちゃんと戦えてるんじゃないかって思うんだよ」


 ちょっと前の自分だったら、考えられない感情だった。

 確かに自分は歌が好きだ。いつかはアニメソングを担当してみたいと思っていたし、叶えられると信じていた。


 自分には月影アイリという憧れの人がいる。その人の背中に少しでも近付きたいと思っていた。追い付きたいとか、ましてや追い越したいなんて思ったことはない。

 いくらアニソンに対する情熱があっても、それだけは恐縮する気持ちが勝ってしまうだろう、と。

 思っていた、はずなのに。


「あたし達なら、勝てるよ」


 胸がカッと、熱くなる。

 ここにはもう、弱音も迷いも振り切った自分達しかいないのだ。当たり前のように頷いてくれた水琴がいるから、侑芽夏も遠慮なく心を燃やすことができる。


「だね」


 水琴の透き通った胡桃色の瞳に吸い込まれそうになりながら、侑芽夏は微笑みを返す。

 ただそれだけで力が湧いてくるのが不思議だった。

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