5-4 たった一曲のアニメソングのために。

 この一週間は、あまりにも慌ただしく過ぎていった。

 売れっ子の水琴ほどではないにしろ、侑芽夏だって声優の仕事と学業を両立させているのだ。そこに「新しい曲を作る」という大きな挑戦が加わったことにより、忙しさがピークに達してしまった。

 メロディーを覚えるだけならまだしも、『娯楽運びのニンゲンさん』を背負いながら歌わなくてはならない。それがどんなに大変なことか、改めて実感するような一週間だった。


 パファーム横浜。

 ここに水琴と二人で来るのはこれで二度目だ。つい先日来たばかりだというのに、懐かしい気持ちに包まれる。

 きっと、あの時とは心情が百八十度違うからなのだろう。


 月影アイリの楽屋の前で、侑芽夏は小さく深呼吸をする。

 やがて水琴とアイコンタクトを交わし、扉をノックした。


「どうぞ」


 聞き慣れたはずのアイリの声が、妙に冷たく感じる。

 もしかしたら、アイリもアイリで緊張しているのかも知れない。そう思いながら扉を開けると、真紅色の瞳がこちらへ向いた。


 手にはスマートフォンが握られていて、服装もまだTシャツに短パンというラフな恰好だった。

 それでも様になっているのだから、アイリの放つオーラは恐ろしいものだ。


「君嶋さん、古林さん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」


 さっと立ち上がり、礼儀正しくお辞儀をするアイリ。

 確かに、アイリと顔を合わせるのは随分と久々な気がする。アイリのライブが始まる前にちらっと挨拶したのが最後だろうか。


「こちらこそ、よろしくお願いします!」


 思わず背筋をピンと伸ばしてから、侑芽夏は水琴とともに頭を下げる。

 負けたくない、という気持ちはもちろんあるが、アイリが先輩という事実は変わらない。ついついかしこまってしまうのは仕方のない話で、侑芽夏は小さく苦笑を零す。


「あの……。リリースイベントの時に調子が悪そうだったという噂を知りました。今は大丈夫なんですか?」


 すると、眉根を寄せながらそんなことを聞かれてしまった。

 まさかアイリにまで知られてしまっていたとは思わず、侑芽夏の苦笑が深くなる。水琴と目を合わせてから、「いやいや」と手を振った。


「確かに色々ありました。でも、もう大丈夫です。むしろ、その……絆が強まった、みたいな感じで」


 先輩の前で何を言っているのだと、侑芽夏はわざとらしく「あはは」と笑う。水琴の視線が鋭くなったのは言うまでもなく、侑芽夏は必死に視線を逸らした。


「そうなんですね。じゃあ……」


 すっと表情を引き締めながら、アイリは侑芽夏と水琴を見据える。

 そして、



「遠慮はしなくて良い、ということですね」



 その場の空気を、ガラリと変えてみせた。

 普段のアイリは物腰が柔らかいどころか、後輩に対してもおどおどとした態度を見せることもある。それくらい引っ込み思案な性格をしているはずなのに、今のアイリは真逆の姿をしているように見えた。


「お二人には悪いですが、勝ちを譲るつもりはありません。私にとっては三度目のアニソン戦争。今回も勝たせていただきますから」


 まるで、もうステージに立っているような眼力と冷静さだった。

 一瞬だけ、侑芽夏は怖じ気付きそうになってしまう。

 だって、相手は憧れの月影アイリだ。そのアイリが、自分達の目の前で闘志を燃やしている。ただでさえ強いアイリが、更なる壁となって立ちふさがっている――なんて。


 心が震えるような感覚が襲いかかる。

 気付けば侑芽夏は、ニヤリと口角をつり上げていた。


「望むところですよ。私、本当だったら月影さんと戦えるだけで満足でした。でも、私だってアニソンが大好きなんです。『娯楽運びのニンゲンさん』のことも大好きになっちゃったんです。なのでごめんなさい。私達が勝ちます」


 普段だったら、アイリと事務所ですれ違うだけで舞い上がるような人間だ。

 そんな自分がアイリに対して強気な発言をするなんて、自分でも信じられないくらいだった。

 でも、これが今の自分の本心なのだから仕方がない。


「ユ、ユメ……大丈夫? 無理してない?」


 思い切り動揺しながら、水琴が顔を覗き込んでくる。

 正直、予想外の反応だった。水琴なら侑芽夏の言葉に乗っかってきてくれると思っていたため、不満たっぷりに唇を尖らせてしまう。


「あ、そういう感じ……?」


 小声で呟いてから、水琴はアイリを見つめる。

 どうやら、侑芽夏の言わんとしていることを理解してくれたようだ。何を言ってくれるのだろうと、侑芽夏はわくわくしながら水琴に注目する。


「月影さん…………いや、アニソン界のエゴサ姫さん! 本当はメンタルが弱い癖に無理しちゃって大丈夫なんですかぁ? あたし達が調子悪かったことも、エゴサで知ったんですよね? あの日にSNSで呟いてた『大丈夫かなぁ』ってやつ、完全にLazuriteに対する心配じゃないですか。ねぇ、月影さん?」


 ――いや違う! そういうことじゃない!


 侑芽夏はくわっと目を見開く。「勝つのはこっちですから」とか、「相応しい曲ができました」とか、「想いはこっちの方が上です」とか、そういうことを言って欲しかったのに、水琴の発言は単なる煽りだ。

 いや、確かにアイリがアニソン界のエゴサ姫と呼ばれていることは知っていた。動画投稿時代からファンとの距離は近くありたいと思っていて、「いいね」はもちろん、ファンのコメントに返信することもよくあるらしい。

 まぁ、つまりは周りの評価をとても気にする性格なのだろう。


「…………」


 アイリは完全に言葉を失ってしまっていた。

 どうするのこの空気、と侑芽夏はジト目で水琴を見つめる。水琴は瞬き多めでこちらを見てくるだけだった。


「あ、あの、月影さん」

「……エゴサ姫って呼んでも良いんですよ?」

「いや、そんなっ」


 さっきまであんなにも勝負モードになっていたのに、その勢いが一気にしぼんでしまった。心の中で「キミの馬鹿ぁ」と嘆きながら、侑芽夏は必死に言葉を探す。


「月影さんはレーベルの先輩です。それに、三回目のアニソン戦争っていうことでプレッシャーもあると思います。でも、私達だって色んな思いを抱えているんです。……絶対、負けませんから」


 先輩だろうが、エゴサ姫だろうが、関係ない。

 月影アイリはLazuriteの対戦相手であり、勝たなくてはならない相手だ。だから侑芽夏は笑うのだ。アイリが「勝ちを譲るつもりはない」と言うように、侑芽夏達にも譲れない気持ちと自信がある。


「はぁ、恥ずかしいですね」

「……月影さん?」

「こういう時、もっと突っ込めるように頑張らなきゃいけないですね。……とりあえず、アニソン戦争に勝つことで君嶋さんへの報いにはなりますかね?」


 アイリの真紅色の瞳が細められる。

 視線の先はもちろん水琴で、彼女はビクリと肩を震わせた。


「ご、ごめんなさい……その、煽る方向性を違えたと言いますか……」


 珍しく、水琴が身体を縮こませる。元々小柄な身体がますます小さくなり、まるで豆のようだ。なんて言ったら大袈裟かも知れないが、少なくとも愛想笑いは下手くそになってしまっている。


「大丈夫ですよ、気にしないでください。私、何だか近寄りがたいオーラがあるみたいで、こうしてアニソン戦争の前に会話をするのも初めてなんです。……本当に話せて良かったと思っていますから」


 言って、アイリは優しく微笑む。

 一瞬、水琴を励ますために浮かべた笑みだと思った。対戦相手ではなく先輩として寄り添ってくれている感覚に襲われる。

 でも、その感覚はただの勘違いだったようだ。


「お二人とも、前にすれ違った時とは目の色が違いますから。戦いがいがありそうで良かったです」


 ――でも、勝つのは私ですけどね。


 まるでそう言いたいかのように、口の端をつり上げる。

 これほどまでに挑発的な表情のアイリを見るのは初めてで、侑芽夏は思わず目を見開いてしまう。

 月影アイリが、先輩ではない姿を自分達に見せてくれている。


「月影さんが先輩だからって、こちらも遠慮しないので。よろしくお願いします」


 嬉しくてたまらない気持ちのまま、侑芽夏はまっすぐに宣言する。アイリは頷き、水琴もはっとしたように背筋を伸ばした。


 先輩も後輩も関係ない。

 たった一曲のアニメソングのために、自分達は戦う。


 その事実が、侑芽夏にとっては何よりも嬉しいことだった。

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