5-2 姉弟の告白
君嶋家のリビングルームは、モノトーンで統一された落ち着きのある空間だ。
侑芽夏が君嶋家に来る時はだいたい水琴の部屋に行くため、リビングの圧倒的なおしゃれ感にはいつも驚かされる。同時に、水琴の部屋の散らかりっぷりも改めて感じてしまうが、それは黙っておいた方が良いだろう。大事な話をする前にこれ以上ダメージを与えては可哀想だ。
「侑芽夏さん。これ、アッサムティーね。ミルクと合うから良かったら使って。クッキーもあるから」
「わぁ、凄いおもてなしだね」
「今、両親が休日出勤でいないから……。ただの真似っ子だよ」
言いながら、宗太は気恥ずかしそうに微笑む。
きっと、宗太の服装がラフなパーカーではなくきっちりとした姿だったら執事のように見えることだろう。ちょうど水琴がシックなワンピース、侑芽夏が買ったばかりの赤いロングスカートにブラウス姿で、小さな喫茶店に来ているような気分だ。
「それで侑芽夏さん。僕にも用事があるってどういうことなの?」
何気なく侑芽夏の隣のソファーに腰かけつつ、宗太は訊ねてくる。
大きな胡桃色の瞳は、心なしか不安げに揺れているように見えた。もしかしたら、漫画関係の話かと思っているのかも知れない。
「それは……」
侑芽夏は言葉を詰まらせ、水琴と視線を合わせる。
水琴は少し悩むような素振りを見せてから、やがて覚悟を決めたように小さく頷いた。
「宗太。あたし…………宗太に黙っていたことがあるの」
「っ!」
宗太は小さく肩を震わせる。
その瞬間、侑芽夏は「違う」と思った。宗太は決して漫画家になりたいことがバレたと思って怯えている訳ではない。
気付かない訳がないのだ。
誰よりも漫画が好きで、『娯楽運びのニンゲンさん』が好きで。
――姉のことを尊敬している宗太が。
「あたし、ユメと二人でアニソン戦争に挑むことになったの。宗太の好きな、『娯楽運びのニンゲンさん』。そのオープニングテーマを、歌うために……」
気付かない、訳がない。
水琴が宗太に隠していたように、宗太も水琴に隠していたのだろう。
「あたし、頑張るから」
宗太の頬に、音もなく雫が流れる。
すぐ隣に侑芽夏がいるのに、宗太はまっすぐ水琴だけを見つめていた。どんなに目が赤くなっても、涙が溢れて止まらなくても、宗太はまったく気にしていない。
「お姉ちゃん……ごめん、僕…………」
「やっぱり、気付いてたよね?」
水琴の問いかけに、宗太は静かに頷く。
そのまま俯いてしまう宗太に、侑芽夏は不安な気持ちに包まれた。きっと水琴も同じ思いなのだろう。「宗太」と呟く声は弱々しく感じられた。
「僕…………僕、は……。いつだって、どんな時だって、お姉ちゃんを苦しめてばかりなんだって……思ったんだ」
「っ! そんなこと……っ」
侑芽夏が思わず「宗太くん」と叫びそうになるより早く、水琴は宗太の元へ駆け寄って両手を握り締める。
「どうしても、思っちゃったんだよ。僕が『娯楽運びのニンゲンさん』を好きじゃなかったら、お姉ちゃんと侑芽夏さんは何も気にせずアニソン戦争に挑めたんだって」
「……それは違う。違うよ宗太。宗太っていうきっかけがなくても、きっとあたしは声優のオーディションで触れた時に好きになってた」
「ホントに?」
まっすぐな瞳で水琴を見つめる宗太。
その表情は、か弱さとは真逆のものに見えた。
「宗太くん、本当の話だよ。キミが初めて弱音を吐いた時、好きだから怖いって言ってたの。確かに宗太くんのことも頭の中にはあったと思う。でも、純粋に好きな作品だからまた落ちたらどうしようって思ってたんじゃないかな」
透かさず会話に入り込むと、案の定水琴にキッと睨まれてしまった。
「言わないでよ。っていうか、今は姉弟の時間なんだから割り込んで来ないで」
「いやいや、私も大事なLazuriteの一員だから」
あっという間に不機嫌になった水琴と、得意げに鼻を鳴らす侑芽夏。
何というか、シリアスな空気が一気に崩れてしまった感覚だ。ついさっきまで感情を爆発させていた宗太も、すっかり涙は止まっていた。瞳はまだ赤らんでいるものの、表情は柔らかくなっているように見える。
「ねぇ、お姉ちゃん、侑芽夏さん」
名前を呼ぶ声も、どこか優しく感じられる。
何故だろう。五つも年が離れていて、最近まで小学生だったはずの宗太が、今日はどこまでも大人っぽい姿に見えた。
「僕、今……凄く嬉しいんだよ。アニソン戦争のことを話してくれて、頑張るって言ってくれて。すっごく、嬉しいんだ」
二人の瞳を交互に見つめながら、宗太は気恥ずかしそうに微笑む。
――嬉しい。
その言葉にどれだけのパワーが宿っているのか、侑芽夏はよくわかっている。きっと、水琴の胸の奥にも届いているのだろう。
「そっか」
という短い水琴の返事に、隠しようもない温かさが紛れ込んでいた。水琴はそのまま宗太の頭に手を伸ばして、優しく撫でる。
宗太は困ったように眉根を寄せてから、
「じゃあ、僕も本当のこと言って良い?」
と、急に思い立ったようにそんなことを言ってきた。
照れたように頬を染めたまま、愛らしく小首を傾げる。――という破壊力抜群のポーズをしているものだから、水琴は「うぇっ?」と大袈裟な擬音を漏らしていた。確かに今の宗太は反則的に可愛い。しかし侑芽夏の脳内は、「宗太くん、もしかして漫画家になりたいってことをついにっ?」と大騒ぎだった。
「ちょっと待っててね」
やっとの思いで頷いた侑芽夏と水琴を確認すると、宗太はそそくさとリビングを出ていく。この時点で侑芽夏は「やっぱり漫画家のことだ」と確信した。
――のだが。
「お姉ちゃん、侑芽夏さん。アニソン戦争、楽しみにしてるね!」
戻ってきた宗太の手に握られていたのは、『娯楽運びのニンゲンさん』のアニソン戦争のチケットだった。
てっきり漫画の原稿を持って来ると思っていた侑芽夏は、ポカンと口を開いてしまう。その隣で、水琴も同じような表情になっていた。
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