第26話 大きな一歩


「領主様のお顔とお名前は伝えてありますので、あとはそれぞれに名前を付けて下されば契約は完了するようですよ?」

「……はい? ……契約、ですか?」

「……あっ、けして命を脅かすような、危ないものではないのでご安心下さい。この子たちは皆様のこれまでの事を知り、ただ力になりたいと、そう思っているだけなのです。名前を付けるのは……どうやらそういうものらしいです。私にはよく分かりませんけれど」

「……はあ。……では、私が考えれば良いのですね? このフェンリルたちの名を……」

「はい」


 すると領主は少し戸惑いビクつきながらそろそろとフェンリルたちに近付いた。悩むように首を捻り、しばらくジーッと目を凝らし――、


「君はブルー。君はシルバー。君はバイオレットだ」


 それぞれ瞳の色が異なっているのを参考にシンプルな名前を彼らに与えた。名付けられたフェンリルたちは嬉しそうに領主に擦り寄り、その人懐っこさに領主の緊張もすっかりほぐれる。お互いにあっという間に打ち解けてしまった。それを見た住民たちの顔にもやっと安堵の色が広がる。領主に撫でられ喜ぶフェンリルたちの様子を見ては笑みがこぼれ、町は和やかな雰囲気に包まれる……。ところがそれを打ち破るが如く、粗暴な声と轟音が不快感と共に飛び込んできた。


「――貴様らぁぁーーッ!!」


 馬に跨り突進して来たのは昨日のあの騎士たちだった。土埃を巻き上げながら勢い勇みやって来る数は昨日よりもだいぶ多い。その身なりは昨日のような騎士服ではなく、頭からつま先までしっかりと鎧を身に着けていた。


「オイッ! 昨日はよくもッ――ヒィッ……!」


 到着するや否やすぐに威勢の良さは消え失せた。目に映るのは三頭のフェンリル。直ちに戦闘体制に入ったフェンリルは住民たちを守るように白い大きな壁となって立ちはだかり、騎士らに牙を向けている。そこでアリアベルに促され、領主がフェンリルに合図を送ると三頭は一斉に相手に襲いかかった。


「……なっ、なんだこの魔獣はぁぁ〜っ!」

「……ああっ、盾がっ……! まさか剣が通用しないだと!?」

「……やっ、やめろっ! 来るなっ! ……うわああぁぁ〜っ!!」


 その一振りから繰り出される打撃のパワーは圧倒的だ。馬ごと大勢がなぎ倒され、強靭な爪と牙は騎士たちの盾や鎧をも切り裂いてしまう……。元より恐れをなしていた馬はいよいよ主を振り落としては逃げ帰り、地面に転がった騎士たちも一目散に逃げて行く。こうしてさすがは伝説とされる、ランクとして間違いなくS級であろうフェンリルたちは見事に敵を追い払った。


「……す、すごい……」

「……守ってくれたのか……お前たちが、俺たちを……」


 その活躍に一部始終を見ていた民たちの目は釘付けだ。感心する余り言葉を失くし訪れた静寂。その後すぐに渦を巻くようにワッと歓喜の声が湧き起こる。


「ハハハッ! すごい! すごいぞお前たちっ……!!」

「なんて強さだ! フェンリル様が護衛とは心強い! 最高だっ!」


 町は大いに賑わいだした。皆がフェンリルを囲んで褒め称え、楽しそうに笑っている。その様子にアリアベルも満足だ。そそくさと群衆から抜け出してきてはしまったが、ライと共に「これでひとまず安心ね」と遠目に、ほんわかした気持ちで見守っている。そこへキョロキョロ辺りを見渡して、同じように人だかりを抜けてきた領主がコソリと話しかけてきた。


「あの……魔術師様、神の遣い様」

「……? 領主さま?」

「すみません……その、ありがとうございます」

「……はい?」

「いえ……昨日は驚きの余り、頭も気も回らず、ろくに礼も言えなかったと思い……」

「フン! 全くな!」

「もうライったら! ……あ、いいえ、そんな事は……」

「どうか無礼をお許し下さい。何せずっと放心状態で……此度の事も何とお礼を申したら良いか……」

「お役に立てたのなら良かったです」

「まだまだこれからだ! 今はあくまで最初の一歩の段階なのだからな!」

「……それでも、私共には大変大きな一歩です。本当にありがとうっ……ありがとうございます……」


 パッとアリアベルの手を取った領主がその後何度も礼を口にする。震える肩と涙声。アリアベルは握られたその手に視線を移し、ぼーっとしながら伝わる確かな温もりを感じていた。



    ◻︎◻︎



「祝福です! あっちも、あらこっちも祝福です!」


 その後、アリアベルは領主が昨日発案していた区画整理と補修工事に手を貸していた。領主の指示の元、自称魔術師による魔術により、次々と造られてゆく新たな道と建造物。同時進行であちこち大きな畑も作り、アリアベルが祝福ですと発する度にいろんな野菜が出来てゆく……。「わあ!」と上がる歓声。こちらを気遣う領主の計らいにより誰も側までは寄って来ないが、さっきから熱い視線は感じている。

 ちなみに今実らせているのは“普通の野菜” だ。普通といっても少しばかり育ちが良く、もしかして栄養価もちょっとだけ高いのかもしれないが、これがアリアベルにとっての精一杯の普通なのだ。もちろんこの先有力なカードに成り得る奇跡の食べ物も実らせたが、それは領主館のみに限定した。今後はその場所だけに実り、腐る事もない奇跡の食べ物は、領主だけがそれを管理し扱える唯一のものとなるだろう。



「――侯爵から降格して男爵に……ですか?」


 作業の合間合間に話題に上ったのが昨日今日と襲来した騎士たちの事だった。まだ皇帝の耳にも入っていなかったのに何故早々に騎士たちがあんな剣幕でやって来たのか気になったが、領主の話で疑問が解ける事になる。


「この東部に近い領土を持つほど不名誉と言われておりますから。汚名返上の為、どうしても手柄が欲しかったのでしょう……」


 それはあの者たちが東部に隣接する領土を持つ没落貴族とその傍系、お抱え騎士たちである事が理由のようだった。元々、貴族にとってはこの東部に近い領土を持つほど不名誉であり恥だと言われている。なので奇跡の食べ物の存在をいち早く知らせ献上する事で忠誠心を、速やかに東部を制圧し統率力を見せる事で良い印象を持たせ皇帝へ取り入ろうとしたのではと領主はそう推察した。


「……そうだったのですね……」


 手柄を立てる為に、だから懲りもせず再び攻め入って来たのねと納得する反面、それにしてもあまりに執着しすぎていたような気がして引っかかる。そして自身のこれまでの経験と昨日今日の騎士たちの行いを見るに、やっぱり騎士というのはろくでもないのねと改めて思うと「ハア」とため息が出るのだった。嫌悪感を追い出すようにここで一気に力を使うと場が一層どよめきだつ。一瞬のうちに立派で豪華な邸宅に変わった領主館。美しい造園、備えられた設備も周辺の景色も以前とはまるで違う煌びやかさで溢れている。


「……おいおい……こりゃあ、とんでもねぇな……」

「……本人は魔術師だと言っているが……」

「……も、もしかして、あのお方こそ降臨された神ではないのか……?」


 アリアベルは気付いてさえいなかったが、もはやそんな囁き声がチラホラと上がり始めていた。それは誰より先に領主が抱いた疑念でもあったが、さすがにここまで卓越した技の数々と隠しきれない風格、崇高美を見せられればそう思うのも無理はない。当然だ。ただでさえ伝説と言われるフェンリルたちが萎縮しては頭を垂れ、神の遣いの鳥とは対等に話し、時には言動を諌めている。今は領主しか知らないが風の精霊は彼女に敬語を使っているのだ。魔術だと言ってはいるが、魔術師が詠唱もなしに術を使うのは見た事も聞いた事もないし、その力が馴染みのある魔力ではない異質なものだという事は分かる者には分かっていた。

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