弟の策略により命を落とした不器用な冷害王子は、最後まで祈りを捧げてくれた、婚約破棄した不器用な侯爵令嬢のために二度目の人生で奮闘した結果、賢王になりました

サンボン

プロローグ

祈りを捧げる少女と愚かな人形

「……それは一体、何をしているのだ」


 どこぞの貴族の令嬢だろう。

 王宮内にある噴水の前で、両手を合わせながら必死に祈りを捧げている。


 私も放っておけばよいのだろうが、あまりにも不釣り合いで、あまりにも奇妙な光景だったため、思わず声をかけてしまった。


 すると。


「……お母様が、ご病気で臥せっているのです……王宮の噴水に金貨を一枚と祈りを捧げれば、女神ダリア様が助けてくださると……」


 その少女は瞳に涙を溜めながら、必死で祈り続ける。

 だが、この噴水にそのようないわれがあるなど、聞いたことがない。


 おそらくは、少女の家族の誰かが、気休めにそんなことを言ったのだろう。全く……こんなところに来てまでご苦労なことだ。


 だが。


「あ……」

「……一人よりも、二人のほうが御利益はあるだろう」


 私は金でできたボタンを一つ、服からもぎ取ると、それを噴水の中へと放り込み、軽く両手を合わせて祈ってみせた。

 この私が、何故このような真似をしたのかは分からない。多分、ただの気まぐれだったのだろう。


 一分にも満たない祈りを捧げると、私は少女に声もかけずにその場を立ち去ろうとするが。


「あ、あの! あなたのお名前は……?」


 私を呼び留め、少女は名前を尋ねる。


「……“ディートリヒ”だ」


 家名を告げず、私は足早にその場を立ち去った。


「ディートリヒ、様……」


 少女の呟きを、背中で聞きながら。


 ◇


 私は、ラジア大陸にある比較的新興国の一つ、“エストライン王国”の国王、“ユルゲン=トゥ=エストライン”と、ヴァレンシュタイン公爵家の長女にして第一王妃、“テレサ=トゥ=エストライン”の間に長男……つまり、第一王子として生を受けた。


 当然、エストライン王国に住まう全ての者の私への期待はすごいもので、その輝かしい未来に疑う余地はなかった。


 だが……私には、その期待が息苦しくて仕方がなかった。


 幼い頃から王となるための教育を受け、語学、数学、帝王学、歴史、地理、政治経済などのあらゆる学問に加え、剣術、礼儀作法など、枚挙にいとまがない。


 なので、私には自由と呼べるものは一切なく、ただひたすらに己を磨き続けるのみ。


 かたや、私と腹違いの弟でコルネリウス伯爵家の次女である第二王妃、“エルネスタ=トゥ=エストライン”の子……第二王子の“オスカー”やそのオスカーと同腹の妹、“ヨゼフィーネ”は、比較的自由が与えられていた。


 そんな弟や妹を羨ましいと思いつつも、私は王となるためには仕方のないものと割り切る。

 何より、母である第一王妃が、私にいつもささやくのだ。


『あなたは王になるのです。そして、エルネスタに身の程を思い知らせるのです』


 まるで呪詛のように、その顔におぞましい笑顔を張り付けて。


 元々、父である国王陛下と第一王妃の間になかなか子を授かることができなかったため、第二王妃が迎え入れられたということらしいが、幸か不幸か、第一王妃も第二王妃も、ほぼ同じ時期に授かってしまったのだ。


 そうなると、どちらが先に産むのかということになり、第一王妃は早産の薬まで飲んで半ば強引に私を早く産んだそうだ。


 でも……第一王妃がそこまでこだわる理由も頷ける。

 これは乳母が第一王妃に内緒で語ってくれたことだが、国王陛下の寵愛は全て第二王妃に注がれていたらしい。


 母は、せめて国王陛下の寵愛以外の部分で勝りたかったのだろう。


 なので、私は常に第二王子のオスカーと比べて全てにおいて上回らなければならず、また、王太子に選ばれることを求められ続けた。

 時には母からしつけと称して、背中に鞭を打ち据えられながら。


 幼い頃からそう教えられ、求められ続けてきたこの私が、どうして人の心を通わせることができようか。

 気づけば、私は物も言わずただ言われたことだけを淡々とこなす、ただの人形・・に成り下がっていた。


 そんな自分を受け入れるしかなかった私が、十三歳を迎えたある日。


「ディートリヒよ、お主の婚約者だ」

「王国の星、ディートリヒ殿下に拝謁いたします。“フリーデンライヒ”侯爵家の長女、“マルグリット=フリーデンライヒ”と申します」


 国王陛下に紹介され、恭しくカーテシーをする目の前の女が、どうやら私の婚約者のようだ。

 輝く白銀の髪に琥珀色の瞳、整った鼻筋、その透き通るような白い肌に映える、紅い唇。


 なるほど、このマルグリットとやらは、かなりの美少女のようだ。

 だが……私にとっては、所詮は政略結婚としてなんの意思も持たずに選ばれただけの女、その程度の印象に過ぎない。


 そのような者が、人形・・であるこの私の心に響くはずもない。


「……ディートリヒだ」


 私は愛想なくそう告げ、すぐに視線を外した。

 これが、私と婚約者であるマルグリットとの、最初・・の出会いだった。


 ◇


 マルグリットとの婚約が結ばれてすぐ、彼女は王宮で暮らすようになった。

 もちろん、王妃として相応しい教育を受けるために。


 一方で、私はといえば、こちらも今までと変わらぬ人形・・としての日々。

 ……いや、この頃には別の二つ名があったな。


 私は人の心の分からぬ、氷のように凍えるほど冷たい王子と言う意味で、“冷害王子”などと揶揄やゆされていた。


 だから私のような者に、国王陛下や母である第一王妃、弟、妹、貴族や使用人に至るまで、用でもない限りは不必要に近づいてくる者はいなかった。


 なのに。


「ディートリヒ殿下、剣術の鍛錬はいかがでしたか?」

「ディートリヒ殿下、歴史の授業はよろしいのですか? 先生が探しておられましたが」

「ディートリヒ殿下、こちら、ボタンがほつれておりますのでお召し物をお着替えくださいませ」


 マルグリットは笑顔でも、怒りでも、悲しみでもなく、ただ無表情のまま、こんな私に事あるごとに声をかけてくる。

 だが、いくら心を失くしてしまったとはいえ、彼女の声や仕草などから、私に対する心遣いくらいは理解できる。


 ……本当に、不器用・・・な女だ。


 それが、私の彼女に対する評価だった。

 とはいえ、私も心を失くした“冷害王子”なのだから、似た者同士かもしれないが、な……。


 そうして、私とマルグリット、さらには弟のオスカーは十五歳の誕生日を迎え、国立学園に入学した。


 当たり前だが、“冷害王子”と呼ばれる私の周りにはマルグリットを除いて寄りつく者は誰一人とおらず、気さくで笑顔が絶えず、穏やかな性格のオスカーの周囲に多くの人が集まった。


「……マルグリット、お前もわざわざ私のそばにいる必要はない」


 私は、突き放すようにマルグリットにそう言い放った。


 なのに。


「お断りします。私の居場所は、婚約者であるディートリヒ殿下の隣です」

「……物好きな奴だ」


 私は顔を背け、そう呟く。

 だが……本当は、嬉しかった。


 彼女だけは、私のそばにいてくれる。

 たとえ私のことを世界中の誰もが嫌悪したとしても、ただ、マルグリット一人がいてくれれば、それでいい。


 そして学園生活が二年を過ぎ、二人が十七歳を迎えた、その時。


 ――エストライン王国の現国王、ユルゲン=トゥ=エストラインが崩御した。

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