最終話 俺だけが知ってるクーチョロな彼女
「先輩は、私にとって──」
やけに熱っぽい視線をこちらに向けながら、琴ヶ浜がじりじりと歩み寄ってくる。
ねぇ、待って? マジで?
今日の手作り弁当といい……今度こそマジでそういうことなの、琴ヶ浜さん⁉
俺は緊張に身を強張らせて、琴ヶ浜の次の言葉に耳を澄ます。
わかってる。もしかしたらまたバカな勘違いかもしれないって、俺わかってる。
だけど……ひょっとしたら、本当にひょっとしたらだけど。
(琴ヶ浜って、やっぱり俺のことが……?)
抜けるような初夏の青空。二人きりの屋上。
風に揺れる黒髪に手を添えながら、顔を赤らめて俺の正面に立つ琴ヶ浜。
これぞ青春ド真ん中というようなそれっぽいシチュエーションも相まって、気付けば俺のテンションはエベレストほどの高さにまで急上昇し……。
「私にとっての──に、二代目ケンスケなんです!」
「それでも『二代目』かい!」
……次の瞬間には高尾山くらいの高度にまで急降下していた。
ちくしょう、わかってたのになぁ!
こんなこったろうとわかってたのになぁ!
でも、それでもさ!
「ちょっとくらい夢見たっていいじゃないか! 男の子だもの!」
防護フェンスに張り付きながら初夏の晴れ空に汚い叫び声を響かせる俺に、琴ヶ浜がおそるおそるといった様子で声をかけてくる。
「せ、先輩!? 急に空に向かって叫んで、どうしたんですか?」
「……すまん。こっちの話だ、気にしないでくれ」
「は、はぁ……?」
俺は今日一番の盛大なため息をついて……だけど、不思議とどこか安心していた。
完全に忘れることなんてできないだろう。
ふと思い出しては、寂しさに涙を流す日だってあるはずだ。
だけど、少なくとも琴ヶ浜はもう、以前のように悲しい記憶にがんじがらめに縛られて、失くしたものの影を追ったりはしていない。
過去を過去として、きちんと割り切れているように見えた。
だからこその、「二代目」なんだろう。
琴ヶ浜が見つけた、ケンスケではない、新たな「
光栄にも、それに任命されたのがこんな俺だっていうのなら。
「ふぅ……わかった。『二代目ケンスケ』の称号、謹んでお受けいたしますよ」
まぁ、せいぜい初代の分まで励むとしようかね。
「! はいっ、よろしくお願いしますね」
俺の芝居がかった物言いに、琴ヶ浜もスカートの裾を軽く持ち上げて一礼する。
「…………本当は、───って、言いたいけど」
キーンコーン、カーンコーン。
一瞬、琴ヶ浜が何事か呟いたような気がしたが、学校中に鳴り響く予鈴のチャイムにかき消されて、その声が俺の耳に入ることはなかった。
「……午後の授業が始まりますね。遅刻したら大変ですし、早く教室に戻りましょう」
少しだけ風紀委員としての顔を覗かせた琴ヶ浜は、一通り弁当を片付けてから「そうだ」と思い出したように聞いてくる。
「そういえば、先輩はルピナスにはいつ復帰するんですか?」
「もう怪我も完治したしな。さっそく今日から行くつもりだよ。一週間も休んじまったから、今月はちょっと多めにシフトを入れてもらえるように藤恵さんに頼まないとな」
俺が言うと、琴ヶ浜がキランと瞳を光らせる。
「そうですか。なら、ちょうど良かったです。先輩にはそろそろうちの夏季限定メニューについてみっちり教えこもうと思っていましたから」
「えっ……か、夏季限定メニューなんてあるのん?」
最近ようやく店の全メニューを覚えられたところだったのに。
よもや、これ以上覚えなきゃいけないことが増えるなんて。
「当たり前です。なので、今日のシフトではさっそくデザートの作り方を教えます。お客さんに提供できるレベルの物を作れるまで、今日はホールに出しませんので、そのつもりでお願いしますね?」
「い……嫌だ! 俺やっぱり来週から復帰する!」
「ダメです。放課後になったら引きずってでも連れていきます」
「うっ……じ、じゃあ、せめてなるべく優しく教えてくれると嬉しいなぁ、なんて」
「何を言っているのですか? 久しぶりの出勤なのですから、むしろいつも以上に厳しく指導するに決まっているじゃないですか」
今度はいつのまにか「鬼教官」の顔をした琴ヶ浜が一蹴する。
き、厳しい。やっぱりこいつ、超スパルタだ!
威圧感に呑まれながら、それでも俺はダメ元で懐から「切り札」を取り出した。
「じ、実はここに、『たてはま動物園ズーパラダイス』の入園チケットがありまして……」
仮にも風紀委員を、しかもあの「鬼の風紀委員」を買収しようとは我ながら命知らずなことをするもんだ。
普通なら、こんな負け確の博打に打って出る奴なんかいないだろう。
「……人を物で釣ろうなんて、あまりに浅はかな考えですね。そんな物で指導の手を緩めるほど簡単な人間だと思われているのなら、まったくもって心外です」
「で、ですよね~……はぁ、せっかくのチケットだけど、仕方ない。適当に処分するかぁ」
「えっ」
「へ?」
だけど、知っている。
自分にも他人にも厳しく、たとえ相手が先輩だろうと格上だろうと、ルール違反や不正は一切見逃さず許さない。誰に対しても決してなびくこともない。
どこまでもストイックで、どこまでもクール。
そんな、琴ヶ浜恵里奈という女の子が。
「……い、要らない、とは……言ってないでしょう」
誰にも見せない、子供っぽくて、意外にチョロい一面があることを。
本当は一人ぼっちが大の苦手で、とても寂しがり屋で、そして……。
「もちろん……その時はまた、私と一緒に行ってくれますよね──剣介先輩?」
こんな風に悪戯っぽい笑みを浮かべてはしゃぐこともあるような、とても可愛いらしい女の子なんだということを。
かつてはこの世で一匹だけが。
そして今は、きっと俺だけがそれを知っている。
第一部 fin
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