世界は悪意に満ちている。

ボン

プロローグ

その夢の中での俺は「蟲」だった。

この「カフカ的世界」の舞台は何処かの実験室らしき部屋の水槽の中で、その部屋で使われている文字から察するに中国の何処かにある施設じゃないかと思われるが、そこでは毒虫達を互いに戦わせていた。


またこの部屋にはそんな水槽が幾つかあり、各水槽で生き残った虫達を更に別の水槽に集めて戦わせていたが、その様は伝奇小説なんかに出てくる「蠱毒」の現代版といったところだ。


窓から射しこむ朝の日の光と喉の渇きで目覚めた俺は冷蔵庫からミネラル水を取り出すと一気に飲んだ。

またあの“悪夢”を見ていたのだが、今回のエンディングはいつもと違っていた。

目の前でブーンと羽音を響かす巨大なスズメバチの腹をつかみ切断すると、もう一方のハサミでスズメバチの頭を掴み咀嚼して、自身がちょうど最後の個体となったところで目覚めたのだが、ちょうど難解なパズルをクリアした時の様な充足感を覚えていた。


俺がその“悪夢”を見るようになったのは、昨年秋に中国で開催されたEスポーツの国際大会「WEG2010」こと「World E-sports Games 2010」への参加がきっかけだった。

当時は「尖閣諸島事件」や「ゼネコン社員拘束事件」はたまた「レアアースの禁輸措置」など中国による日本への度重なる挑発行為が続き、両国間にはこれまでに無い緊張感が高まっていた時期でもあり、日本からの大会参加も危ぶまれていたのだが、開催の2週間前にようやく日本チームの受け入れが決まり、参加オファーを受けた選手の中にはスケジュール調整が間に合わない者もかなりいたようで、そんな中でアメリカにゲーム留学中でテクノロジーWebサイトでゲーム投稿者として知られつつあった俺に出場依頼があったのは今思えばそれはまさしく天の采配だった。

そしてFPSシューティングゲーム部門で優勝した俺は国際試合で2勝目を飾った。


試合後はさっさと撤収する予定だったのだが、予定していた帰国便が運休となり、致しかたなくホテルで缶詰となっていた俺たちのところにシンガポールチームより親睦会へのお誘いがあった。

せめて現地の食べ物でも食べてちょっとした観光気分を味わいたいと思っていた俺達は二つ返事でその誘いを快諾した

以前、親父の仕事の関係で「明るい北朝鮮」ことシンガポールに3年程住んでいたことがあり、シングリッシュと呼ばれる訛りのある英語を話す事が出来る。そんな俺の口から流暢なシングリッシュを聞いた彼等は最初は少し驚いたようだったが、すぐに打ち解ける事が出来た。


シンガポールチームのメンバー曰く、ここ湖南省「武漢市」には生きた野生動物を扱う生鮮食品市場が幾つも有るらしく、薬膳料理と称して半茹でコウモリが丸ごと入ったスープを出す店なども有るらしい。今回は地元通訳の人のオススメというそんな薬膳料理店に行く事になったのだが、俺自身も怖いモノ見たさが手伝い、少なからずワクワクしていた。


夜を待ってから監視カメラだらけのホテルの周辺を抜け、ゴミが散乱した路地にある薬膳料理店に連れて行って貰ったが、噂に違わないネタ料理のオンパレードに俺たちはいたく満足した。

だが流石に「半茹でコウモリ」はビジュアル的にNGなのと、伝染病のウィルスの宿主である可能性もある事から、俺は昔から親近感を感じていた「サソリ」の踊り食いの方にチャレンジした。また出て来たアルコールで酔わせた「サソリ」は俺が予想していたモノよりもかなり大きく、またその姿から予想される通りの甲殻類っぽい食感と味は悪くなかった。

翌日の便でアメリカに戻った俺は不意に目の前が真っ暗になり、気がついた時には目の前には心配そうな面持ちの母がいた。

どうやら俺は心肺停止と蘇生とを何度も繰り返していたらしい。


その後暫く経過措置のため入院したものの、1週間後に無事退院した時には以前にも増してすこぶるコンディションが良くなっていたのを感じると同時に、あれ以降繰り返し見るようになったあの「悪夢」が一体何なのかが気になり、その原因を武漢市に求めて裏サイトなどで情報を集め始めたのだが、どうやら武漢市には1950年代より「ウィルス研究所」なる施設が置かれており、そこではコウモリなどを媒介としたウィルス兵器などの研究をしているらしい。


更にヤバい事にはそのウィルス研究所で使った実験動物を研究所員が小遣い稼ぎのために野生動物市場に横流ししている可能性があるという如何にもなネット情報にはさすがに背筋が寒くなった。


やがてこの夢の正体がである「明晰夢」だと気づいた時から俺はこの「サソリ」をアバターとしたゲームの世界にどっぷりと没頭して行くと同時にその能力がリアルの世界の俺にも反映したら面白いのになと思った。


俺の身体に「換骨奪胎」ともいうべき驚くべき変化が生じ始めたのもその頃からだ。


初春のまだ寒い東北の朝、30分程かけてヨガによるトレーニングをして、ぬるめの湯と冷たいシャワーを交互に浴びた俺は洗濯物を洗濯機に放り込むと洗面台に向かう。


鏡の向こうからこちらを見返して来る鋭い双眸を浅黒いなめし革の様な肌とシルバーの短髪とのコントラストとがことさらシャープさを際立たせる精悍そのものの顔は正面から見ると確かに日本人なのだが横顔は西洋人という絶妙なバランスで成り立っている。


また長身でバランスの良い骨格を覆う高密度な筋肉もジムなどで人工的にこしらえたモノとは明らかに質感が異なり、首から肩、背中にかけて見事に発達した様はまるで巨大なサソリを連想させた。















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る